森川博之 「私的な遊戯」

私的に色々綴って行きます。
曲↓http://www.myspace.com/morikawahiroyuki

ボランティア、ホントに偉大だ、ボランティア

2009-05-31 00:12:59 | Weblog
どうも、帰省ライヴを無事に終えた男です。

初の野外ライヴ、初のオケでの挑戦、と初物尽くしの
一日でした。故に発見が沢山。

まず、野外。
気持ちいい、とんでもなく気持ちいい。
開放感と自然が与えてくれる安心感。また野外でやりたいです。

えーと、オケ。
個人的には、あくまで個人的にはですが、しっくりきませんでした。
まあ、ベストを尽くした上での感想ですが。
評価も見事に真っ二つで、オケがいい(主に年配の方)派と、
弾き語り推進派にパックリ割れました。

何事もやってみないとその結果は得られないものです。
良い経験をさせて頂きました。
ただ、東京でやるときは、オケは・・無いですな 笑

最後に、運営のボランティアさん、来て下さった皆様、
本当にありがとうございました!

今回はひょんな事から出会いも幾つか得ることが出来、
そういう角度からも、良い一日だったと言う事ができますな。

特に、付き人みたいに私の空き時間に付き合ってくれた、
杉山くん!君は良い保育士になる!
私が保証しても何の利も無いが、とにかく保障だ、保障。

後は、今後も続くこのイベントの成功を、関わった者の一人として、
ひっそりと願っております。

しかし、ボランティアって、本当に無償なんですな。
腰抜かしました。偉い、心底思った。

混沌世界の混沌思考

2009-05-18 02:42:17 | Weblog
関東では、エスカレーターの右側は空けておくのがマナーであり、
行ったことは無いが、関西ではそれは左側、だそうだ。

実家に帰ると車に乗る。
上京してからというもの、めっきり安全運転になってしまった。
だだっ広い三車線、まるでレースの様に抜きつ抜かれつ。

今日もコンビニへと足を向けた。
私の側のレジは並んでいて、もう一方のレジが空いた。
あっちのレジの店員が二番目にお並びのお客様、こちらへどうぞ
と言っていた。

時間は過ぎていくものだし、当然二度とは戻らない。
しかしながら、一分一秒を争う事態などは、そうそう無い。

エスカレーターを早足で駆けても、左側との差はせいぜい2,3秒。

前を走る車を猛スピードで追い抜いて、20キロ先にある目的地へと
向かっても、短縮できる時間などせいぜいが1,2分。

コンビニで私の前に並んでいた女性、次にお並びのお客様だった。
しかし、他の並んでいないお客が素早く向こうのレジへと向かった。
店員は何も言わずにレジを打つ。その内もう一人、向こうのレジに
並んでしまった。
女性は列から外れ、抱えていた商品を戻し、店から出て行った。
その去っていく背中からは、明らかなストレスが感じられた。

確かに店員の対応は良くなかった。
細かい気配りは大事で、一言、そちらでお待ちのお客様どうぞ、
そう言えば、彼女は小さなモヤモヤや苛立ちでは無く、お金を
払って商品を抱えて店を出ていた。

結果的に、私はそっち側の店員で商品を買った。
気だるそうに、タラタラと、無愛想に、レジを打つ。

そんなに急いでどうする、そう思う。
日常の2,3秒で人生は劇的に変わるのか?
否定はしない。しかし、疲れないか?
見えるはずの景色、新たな視点、その2,3秒を待てば、
それなりの対価を得られるかもしれない。
後者の方が、確率としては高い。多分。

あの店員みたいに、タラタラ行こうよ、と言いたい訳ではない。
あれこそ、時間を無駄にしている。

常に急がなくてもいいんじゃないか、そう思う。
やや急ぐ事が習慣になっている人々は、やはり多い。

精神の余裕、少なくとも私はこれが生きる上で最も大切で、必要な
要素だと確信している。
全ては健康あっての事だけど。

お金の話は無しで。
ああ、でも金は確かに余裕を生む。
人が造った金が、人の余裕を生んで、焦りを生む。

言いたい事は、人生においての根っこだ。
人はお金が無いと、恐らく生きていけない。
しかし、人は人が居ないと、絶対的に生きていけない。生まれもしない。

綺麗事かね、綺麗事だね。
偽善者かね、それでも結構。
そもそも善と偽善のラインは何処だ?
蚊を殺した後、老人に席を譲ればそれは偽善か?
青臭いね、ああ、青臭い。

脳味噌がボーっとしてきた。
結局、人は混沌の中で混沌とした思考を巡らせて、生きる。
善意と悪意と無関心に囲まれて生きる。

良い事の方が少しだけ多い人生だったな。

そう思って死を迎える人は居ないだろう。

瞬間だ。

偽善という言葉自体、無価値だ。

その瞬間に良かれと思う行動、それが善か悪か。それだけだ。

そしてその瞬間は、あっという間に過去になる。

老いていく、誰しもが老いていく。

しかし、そんなに急がなくてもいい。

この世界で、皆一様にこの時間を生きている。

少しでも私が生きるこの世界、その大局を見極めたい。

その為には恐らく、駆け足よりもほんの少し足を止める、
精神と時間の余裕が必要だ。

私が今考える、最良の生き方。

結局、その今さえも、もう過去になったが。

なるべくブレずに生きたい。それだけかね、今は。

もう、過去だが。




刺激と誘惑のハザマ

2009-05-08 09:07:09 | Weblog
昨日、新しい音源のマスタリング(手直し)作業をすべく、
ギターのあっちゃん宅へとメンバー全員が集まった。

気合と気力充分である。今日仕上げてやるぞ、と、そういう心持ちである。
勇んで玄関前に到着。と、ここであっちゃんが言った。

「あのお、犬嫌いな人、居ませんか?」

愚問である。大好物である。嬉しい誤算である。
後の二人も「好きっす」と、変なポイントで、ああこのメンバーと
音楽やれて良かったなどと思いつつ、いざお邪魔します!

可愛いじゃないか。果てしなく、可愛いじゃあないか。

ああ、戯れたい。ムツゴロウさん張りに、この犬と戯れたい。

私にとっては最大の誘惑である。
マスタリングは当然集中作業であり、昨日はコーラスもやってしまおう
となっていたので、無論フウコ(犬の名前)はシャットアウト
しなければならない。これはもう、修行に置き換えても良い。

ドア一枚を隔て、ついぞ私とフウコは引き剥がされた。
私はバンマスであり、関わってくれたメンバーには本当に毎度感謝している。

しかし、犬はいかん。好き過ぎる。

作業に対し、集中は勿論した。沢山の会話を交わし、意見をぶつけ、
その日出来るギリギリの事を、ギリギリまでやった。

その日、何故か私はトイレが近かった。
「便所行ってくるわ」、そういい残しドアの向こう側へ。
そのドアの向こう、だだっ広いフローリングに、フウコは居た。

ああ、よしよしよしよし、よーおし。

フウコがじゃれる、フウコとじゃれる、フウコが見つめる、私も見つめる。

マスタリング?神に誓って真剣にやった。神など居ないとは思ってるが。
まあ、実際この音源は初めての部分が多く、且つ皆で創るという、
長らく私が忘れていた大切で素晴らしい作業であるので、刺激や
喜びは相当なものである。

何より、私はメンバー一人一人を信頼しているし、その中に
身を置くことは、とてもとても精神が楽だ。
感謝しっぱなしです。
有難う。

結局マスタリングもほぼ完成まで至り、フウコとも存分に愛を深めた。
最高の一日であった。

写真はフウコ。あっちゃんの音楽部屋は、恐らく音楽人であれば
誰もが羨んだり、感心するレベルの設備であった。画像は無い。

皆、お疲れさん!

・・ああ、また犬と結婚したくなってきた。


2009-05-05 07:00:11 | Weblog
母は、涙もろい。

テレビが仕組む泣いて下さい特集でポロリ、
お酒が入って昔話に華を咲かせてホロリ、
そしてたまに、やり場の無い怒りをぶつけながらハラリ。

母は、よく泣く。

先日、私が抱えている、とある病気の定期健診を受ける為に、
大学病院へと足を向けた。
半年に一度、抱えている爆弾が爆発していないか、その判断を
医者に下してもらう。私の病は無痛で進行してしまう為に、
自身では気付きにくい。そういう意味では痛みは必要だ。

いつもの大きな大学病院で、いつもの長い時間を待つ。
そして、その度に思い出す。
あの時も、母は泣いた。

発症は十数年前。当時相当残念な大学生だった私は、
その怠慢な生活と性格、その後押しもあり、無痛の病、
その静かな進行に全く気付かなかった。

とある日、己の体の異変をやっと発見し、しかしながら
かなり軽い気持ちで一人で町医者へ向かった。

「動かないで」

医者が真剣な表情で言う。私を待たせ、何処かの大学病院へと
直ぐに連絡を取った。
現実感が全く無い。どうやら深刻な病気で、告げられた
病名は確かに有名且つ、深刻なものだった。

病院へ行けと急かした、自宅に居る母に、少し笑いながら病名と
病状を話した。子供ながらに心配させてはいけないと、思った。

そこからはもう、あっという間だった。
その日の内に私は母の軽自動車に乗せられ、
医者が紹介した大学病院ではなく、母が直後に探してくれた、
その病気の権威の名医が居る病院へと向かった。

手術は成功だった。
しかし、後遺症が残った。

父は体を代えてやりたいと真剣な目で言い、精神的に参っている
私の我儘を聞いてくれ、決して安くは無い個室の病室を取ってくれた。
そして、激務の中でも幾度も足を運んでくれた。

親友達は私を笑わせようと、お見舞いだといいつつ、墨汁やら人工芝やら、
毎回妙なお土産を持ってきてくれた。人工芝はでかかった。

母は、一番傍に居てくれた。
入院で痩せ細っていく私を見て、私が好きな甘味を常に冷蔵庫に
入れておいてくれた。

後日、私の病が遺伝性の発症である事が分かり、
家族全員が検査を受けた。

母は、泣いた。
私の所為でごめんねと言い、泣いた。

そしてその涙は、生涯忘れない本物の愛が詰まった涙だった。

生んでくれただけでも幸せだ。
五体満足ならそれで良い。
何より、親が子供に注ぐ、理屈ではない愛情の深さを知った。

二十歳手前で、私はこの厄介な病のおかげで、若くして
両親の偉大さ、その存在の有難さに気付かされた。
そして、上に書いた言葉をきちんと実感出来る様にもなった。

今、私が両親にしてあげられる事は余りに少ない。
二人の健康を祈る事とか、生きてますと報告する事、
頂いた体や声で、こうやって文章を書いたり、歌を唄う事。
それを、幸せですと胸を張って言える事。

人間は忘れ易い生き物だが、私はこの病と向き合う度に、
母の涙と感謝の念を、ちゃんと心の引き出しから取り出せる。
正しく、怪我の功名だ。

有難う。

                         森川 博之

追伸

母へ。
今から撤去されたチャリンコを迎えに行きます。
今年何度目でしょうか?
都会は理不尽です。この前、市の駐輪場の年間シート”抽選”
から見事もれました。
裏返せば「駐輪場は足りてません」と堂々と言ってる様なものです。
・・笑顔で迎えに行ってきます!
嘘です。泣きそうです。