森川博之 「私的な遊戯」

私的に色々綴って行きます。
曲↓http://www.myspace.com/morikawahiroyuki

おらがまち、時々エジソン

2008-05-31 22:43:58 | Weblog
人生の先輩に誘われ、久しぶりにサッカー観戦。

等々力競技場での川崎F対札幌、雨で寒く、しかも
代表選手不在の中、それでも好ゲームでした。
やっぱり生で観るのは最高です。
テレビでは見れないちょっとした動きや、ピッチの中での
人間模様など、かなり堪能しました。

で、試合が終わった後、駅まで先輩に送ってもらってたら
ある事に感動した。

町にサッカーが根付いている。
「おらが町のチーム」、そんな雰囲気が競技場の周辺の
商店街には溢れていて、川崎のユニフォームを着た人々が
チャリンコで家路についている。

私の密かな夢は、小金持ちにでもなったら、老後は
何処かサッカーが生活に根付いた国に行って、毎週
のんびりと観戦する事だった。

しかしどうだろう、今日体感した「熱」は私が求める
それと遜色が全く無い。
それなら、わざわざ海外に行く必要も無い。日本好きだし。

有難い事に小金持ちになる必要も無いではないか。
今から老後を考えるのも何だか寂しい三十路前だが、
第一候補は京都辺りにしようかと。

理由?京都弁を話す女性が物凄く好き。理由なんて
些細なもので構わないじゃあないか、じゃないか。


写真は分かりにくいが、我那覇選手。
ドーピング問題で渦中の人になってしまったが、
今日はゴールも決め、その毅然とした対応は凛としていて、
ぶれも無く、感動しました。

あ、札幌の途中交代で出てきたブラジル人、その名も
「エジソン」選手。完全に名前負けしていて「ありゃ駄目だ」
と二人で言ってましたが、先輩が調べたら未だ18歳。
しかもデビュー戦だったらしい。
若い、道理でオロオロしてたわけだ。頑張れ!生き残るんだ!

スポーツはいいねえ。色んなものを与えてくれます。

テストステロン

2008-05-31 01:53:31 | Weblog
テストステロンの作用

・男性らしい骨格、筋肉が作られる
・明るく前向きになる
・声が低くなる
・情緒不安定、短気になる
・孤立、孤独を好むようになる

たった今ボーっとテレビを見ていたら、この男性ホルモン中の
成分が話題に出てきた。テーマは

「何故男性は女性より恋愛を引きずるのか?」

3つ仮説が出て、その最後がこのテストステロンだった。
こいつの中には「縄張り意識の強さ」も入っているらしく、
要するに「俺の女だったのに」という感覚に、いつまでも
捉われてしまうらしい。

因みに女性にも男性ホルモンは存在して、しかしながら
比率としては男性の5%程らしい。

なるほど、それならば納得出来る。

最も人間臭さが出る色恋において、こういった生物学的根拠に
答えを求めるのは中々に虚しいが、そうでもしないと長年
語られてきた「通説」を受け入れられない。

引きずる、ねえ。余りにも時間が経ち過ぎると、それが
引きずってるのか、背負ってるのか、プラスかマイナスかも
分からなくなってくる。

ただ、家族以外の誰かを強烈に愛する感情は、得たいと思っても
そう易々と獲得出来るものでもない。人それぞれとは思うが。
環境やら心境やらタイミングやら、色んな条件が瞬間的に
集約される時、芽生えるのかね?

恋愛はとても素晴らしいし、結構汚い。
俺が思う恋愛においての一番の長所は、あらゆる感情の振り子
の振り幅が、物凄く激しくなる事だ。

それは喜びや悲しみや快感や痛み、嫉妬さえも含めて、
使うエネルギーは凄まじく、得るもの失うものも大きい。

固いねえ、自分でも思う。もっとシンプルに考えれば良いのに。
愛は真心、恋は下心、一体誰が考えたんでしょうか?
上手すぎます。


ヒロータ

2008-05-30 00:59:55 | Weblog
うちの箱のPAが5月いっぱいで辞めるんです。

特に揉めた訳ではなく、寧ろ気持ち悪い位スタッフの関係は
良好だ。
ただ、新しい道を歩く決意をしただけなのです。

そりゃ応援します。次の道もまたプロフェッショナルな
要素満載のお仕事ですから。まあ、仕事は全てそうなのですが。
ヒロタ(PAの名前)ならやれます。
彼はどういう男かと簡潔に説明すると、非常にマメで、器用で、
自己犠牲が強い男なんです。
そういう性格だから、次の仕事も上手く、丁寧にやっていける
でしょう。

箱としては痛いし、寂しさもあるが、行ってらっしゃいと
気持ち良く送り出すのが何よりだろう。
暫くはスクランブルな体制で臨みますが、なるようになるし、
やらなければいけませぬ。

兎に角だ、充実した社会生活祈ってます。風邪ひくなよ!

ここで、珍しく写真嫌いの私が2ショットを撮ったのだが、
何故か見当たりません。理由は分かりません、ええ、機械音痴です。

ので、最近買ったIPODシャッフルでも載せときます。
ええ、完全に自己満足です。
それだけで終わってはいけないので、情報を1つ。
このシャッフル、適合するスピーカーは今のところ
写真に写ってる機種だけだそうです。価格は確か5000円程。
と、ヨドバシの店員さんは言ってました。
購入予定の方はそれも考慮しておいて下さいな。

色々周りに写ってるが、気にしないで頂きたい。
隣の小瓶は整腸剤。効きます。

では、お休みなさいませ。

ヒトである以上

2008-05-29 00:59:20 | Weblog
そういえば、昨日曼荼羅のスタッフさんと介護の話をした。

始まりは「半落ち」という映画、または小説の話からだった。
アルツハイマー。書くだけでも恐い。
そのスタッフさんは昔介護に関わっていて、どれだけその仕事が
過酷か、そしてその相手とどう接するのがベストか、という話を
スタッフさんは経験で、私は体験で語った。

私のとてもとても大切な人が、私の事を忘れている。
憶えてる、その人が私を忘れたのは2年程前だ。

年に1、2回その人とは逢い、話す。
ある時、その人は私に向かって私の弟の名前を言った。
正直、心が墜落した。その時は必死に思い出させようとした。
事実その人は私を思い出し、泣いた。
「博之さえも分からなくなってしまった」と、泣いた。

その人の悲しみの深さは計り知れない。分かる訳がない。
だが確実に私よりも悲しく、辛いはずだ。それは、分かる。
だから、それからは演じた。それからは逢う度に弟を演じた。
「傷つけない事」、それがアルツハイマーの進行を遅らせる
1つの手段だと、昨日スタッフさんは教えてくれた。
結果的に私の選択は正解だった。その後私と話す時、相変わらず
私は弟だったが、その人はとても幸せそうだった。
それでいいと思った。少し寂しいが、笑顔が見れるならそれで良かった。

ついこの前、その人と逢った。
「元気かね?」「子供はいつ生まれるの?」、弟から聞いた
情報を、弟になりきってその人に伝えた。

私が東京に帰る日、その人は家の前に偶然来た。日課の散歩途中
だったらしい。
私は空港まで送ってもらう父の車に荷物を詰め込み、路上で
しばしのお別れを告げた。

「じゃあね、また帰ってくるけん」

「あら、帰るね?気をつけて帰らなんよ」

私の隣には母が居て、母はちょっと可笑しそうに聞いた。

「誰か分かるとね?」

母はその人を「介護する側」で、その心身の疲労は見ても聞いても
相当なものだった。しかし、母も笑顔だった。それが最善であり、
切なる願望だったからだろう。偉いな、凄いな、と素直に思った。

その人は、目を丸くして言った。

「何を言いよると?博之じゃなかね、ねえ?」

言葉が胸を撃った。涙が出そうになった。我慢した、笑顔で
「そうそう、博之ばい。元気でおってね」と返した。
2年振りに問いたださずに名前を呼ばれた。

「いっそのこと殺して欲しい」と、記憶を無くして行く人は言う。
「いっそ殺して楽にしてあげたい」と、スタッフさんは介護の途中
何度も思ったらしい。

綺麗事など入り込む余地は無い。バランスなんか壊れきっている。
忘れられる悲しさ、忘れる悲しさ、それ以上であろう恐怖。
残酷にも、呼ばれた名前が強く残る。温かく残る。
遠く離れた私の痛みなど、渦中の家族の心情に比べれば本当に
微々たるものだろう。

だが、私は間違い無く愛している。その渦中の大切な人々を。
だから、祈る。
少しでも笑顔を、少しでも平穏を。
たとえ綺麗事でも、届かなくても。それしか出来ない。

また帰ってくるから。元気にしとってね。



脱力してます故・・

2008-05-27 23:53:15 | Weblog
曼荼羅ライヴ終了。

足を運んでいただいた皆様、有難うございました!
福山さん、パン美味しかったっす!

出番は2番目だったが、1番目の方が音信不通により
実質的には頭になった。

全体的には良かった。
まあ、毎回の事だが細かい事はここでは書きません。
課題は沢山あるし、直すのも自分ですしね。

改めて良い箱だなあと認識した。
良いスタッフさんが居る箱は、自ずと良い箱になる。
どの分野でも共通していえることだが。

雰囲気が兎に角いいんだよなあ、音に関しては文句無しだし。
あらあら、完全に独り言になってきてる。

相変わらずのライヴ後による虚脱感が激しいので、
本日は短めに切り上げます。

しかし最近、意図せずライヴが多い。
色んな発見や新たな感覚を得てる様な気もするし、
これはこれで良しとします。

ではでは、皆様良い月末をば。

シネマ

2008-05-27 00:47:58 | Weblog
映画館で睡眠。上映中にトイレ。

去年この私の中の二つの「禁」を同時に破った。
先ず居眠り。その映画は「不都合な真実」。
いやね、この映画、賞も獲ったし実際興味深かった。

でもこの日学習した。映画には最低限の体調を整えて
行くことを。
始まって最初から面白かった。まあ、映画というよりは
地球温暖化について、その対策、ヒトに出来ること等々、
を各地で公演する姿を追った「作品」だ。

「これは映画というよりは、小中学校の体育館で、
 みんなで観た方が良い様な・・」

と、思案している時に意識を絶つ。
内容が内容だけに、まるで自分が地球に全く優しくない
人間である、と勝手に思い込んだ記憶がある。
よく出来てるもので、エンディング辺りできっかり目が覚めた。

トイレット。これは「どろろ」。ツマブキ、シバザキ(シバサキ?)。

あくまで”私には”面白味が感じられなかった。
笑わせたいのか、泣かせたいのか、驚かせたいのか・・
何か全部を与えようとして全てが切れ切れになっていた印象。

正直、途中で飽きた。で、戦闘シーンが始まった。
このシーンは恐らく長い!と踏んだ私は意を決して席を立ち、
ウーロン茶でパンパンになった膀胱を宥めに、トイレへと向かった。
よく出来ているもので、帰ってきたら丁度ツマブキが
良く分からない物体を退治し終えていた。

こっちは後悔していない。良い選択だったと今でも思う。

まあ、二つとも招待券だったというのが最大の要因だったのは
否めないが・・身銭なら、観てたろうな。

いかん、否定で終わったらいかんぞ。
未だに印象に残ってる作品を二つチョイス。
ボブディランのドキュメンタリー。題名は失念した。
これは面白かった。音楽に興味が無い人でも、スターとは
どうなってどうなるのか、そうやってそうするのかを
かなり生々しく撮ってる。

もう一つは「瞬間の記憶」。
アンリ・カルティ・ブレッソンという偉大な写真家が
本人直々に撮った作品を解説していく逸品。
こっちは個人的嗜好が強いかもです。
でもこの人の作品を未だ見てない方は是非一枚でも拝見を!
私は基本的に絵やら写真やらに疎い人間なのだが、この方
の作品は一発で心の臓に刺さった。

ということで今日はこの辺で。
写真は昨日余りに文とかけ離れたものだったので今日に回した
「マカロニ」の練習、その休憩風景。
背中はカホンの泉さん。疲れてますねえ。
中野は良い街ですな、うん。

この感覚を終わりと思わない事

2008-05-25 22:12:46 | Weblog
その自ら背負った気体が、重いのか軽いのか、
浮くのか沈むのか、それさえも分からずに進んだ。

進んだ?そういうものは周りが決めることじゃないか。

時と歳を重ねる毎に、それは姿形を変え、色を変え、
時に重く、時に非常に重くしてしまった。

降ろしてしまえば、降りてしまえば肩の痛みも頭の痛みも、
そしてたまに錯乱する精神さえもが消失されるのだろう。

美化も正当化も無い。これは現実で、望む望まざるを
抜きにした、私が招いた結果であり現状だ。

どの瞬間かはもう忘れてしまった。
私の中には様々な思惑や希望や怠惰が絡み付いた糸が存在していた。
恐らく、感情の比率は違えども、誰にでも有る糸だろう。
いつの間にか、ピンと張った私の糸は緩み、緩やかに穏やかに
溶ける様に消えていった。

心地良い風、照りつける太陽、降り注ぐ雨、闇を守る月、
それらを美しいと、再び思える様になった。
勝手に創った壁、至高なる人物、重ねあった肉体、出会いと別れ、
それらを活かし、無駄にし、ここまで来た。

生きている事は幸せであり、それに気付く回数は増えた。
プラスアルファ、付加価値が欲しかった。
手に入れるには捨てる物など必用ない。
必用なのは、欲しいと思う気持ちに伴った愚直なまでの行動。

美化も正当化も無い。これが現実で、望む望まざるを
抜きにした、私が招いた結果であり現状だ。

知ってる。つまりは、そういうことだ。

今、私は軽い。総合的に、大局的に観れば未だ重いが、
個人として捉えると、残酷なまでに軽い。

笑える私、楽しめる私、よく眠れる私、押し殺さない私。
色んな種類の履き違えを認め、己を知った。
「今が良いならそれで良い」、そういうものではなく、
只シンプルに、今自分が何をすべきか、どう動くのが最善か、
発見した。見失いもしない。

恩返し。使うのもおこがましい謳い文句だし、責任転嫁ともいえる。
ただ、ただ、だ。流石に大量の時を用い、その過程で私に
関わって下さった方がいる。
背負ったものが何なのか、それを昇らせる術を教えて頂いた
方も居る。

どういう形であれ、私はその情に真っ向から向き合って、
どれだけの時を費やしても、報いなくてはならない。
その与えて下さった情を、私の中の活力に、与えられた
瞬間出来なかった分も、活きたガソリンにしなくてはならない。

それは何よりも自分の為に。「活きた生き方」をする為に。

文が長い。未だ曝け出せないのだろう。
今は軽い。今はそれで良い。
自家製の圧力がほぼ無くなりつつある今、やる事は知っている。
やれる事は知っている。

縁を恩と認識し、感謝を忘れずに、進んで行こうと思う。

どんな形であれ、私に関わって頂いた方々、
本当に、有難う御座います。

                        森川 博之

或る一つの物事に対するバランス

2008-05-25 02:24:20 | Weblog
何事においても丁度良い加減というものがある。

今日はかなりの忙しさだった。
ライヴの終了時刻は日付が変わろうとしている頃。
清掃等を終え、只今店長の車で送って頂いた次第である。

暇な時の申し訳なさ感は酷く、これは働いていて最も辛い。
「必要以上の仕事をしない男」と評されるが、意外と本音だ。
何せ、もう働いて長い。箱の売り上げと時給に関係性は無くとも、
好きな場所が賑わっていないと虚しい。
今日みたいに殆ど休みが無い状態の方が全然オッケーだ。
忙しいと時間の流れが早い。あと「働いた!」感が得られる。

で、私が最も好きな状態は言わずもがな「そこそこ忙しい」だ。
やる事をきちんとやって、プラス不測の事態への備えも行った
後に、軽く誰かと下らない会話を交わしたりする。

今日もわがまま振り全開だが、あくまで私的な願望なので悪しからず。

最後にちょっと面白い傾向を。
メタル系のお客は兎に角「コーラ」のオーダーが多い。
定番の「カシス」は誰かが頼むとつられて頼む確率がかなり高い。

あれ、まだあったけど忘れた。まあ、思い出したら書きます。
というわけで写真はうちのカウンターの一部。
明日は昼からマカロニの練習。健全過ぎです、マカロニ。
お休みなさいませ。

極端な表現もまた心理の真理

2008-05-24 01:30:25 | Weblog
もういいだろうな。

ここ何日かの湿気混じりの20度超えは、衣替えの
決断にゴーサインを出した。

しかし、梅雨の足音がヒタヒタと。
九州に比べればこっちは湿気が少ない。よってそれによる
不快指数はそこまで上がらないが、そこを越せば夏が来る。

夏は、四季の中で「苦手」な首位争いを繰り広げる季節。
言わずもがな、双璧をなすのは冬。
暑いのと寒いのが苦手です。我慢できません。
暑いと汗が鬱陶しい。人混みが鬱陶しい。
外と建物、若しくは電車内との温度差に気分と健康を害する。
寒いと厚着が鬱陶しい。かじかむ己の体が鬱陶しい。
厚着の中でのカフェの暖房もまた、鬱陶しい。

いや、かなり極端な表現になったけど、要するに残念な心身なのだろう。
よく「色が白すぎる」と言われるが、何回か黒くなろうと
挑戦したことがある。
駄目。赤くなって、皮がむけて、風呂で悶絶して、終わり。
何事にも理由はあって、しかしながらそれを「美白だろ」と
強引に言い張る自分は客観的に痛々しい。

因みに海は大好きだ!夜の海限定だが。
あの吸い込まれそうな神秘的な雰囲気がたまりません。
向こうに見える雲仙、実家を思い出します。

ああ、何か屁理屈日記になってしまった・・
写真は実家の海付近。あ、でもこれは夕方だ。よいよい。

生乾きには皆様ご注意を!

願わくば、牛肉を

2008-05-23 02:08:52 | Weblog
無い。

昔小学校の先生から、
「森川君。”無くなった”じゃなくて、”無くした”。
 国語の教科書が、歩いて何処かに行くわけがないじゃない!」

と日本語の妙を、物心つかない頃に喰らったのをふと思い出した。
ミニ金庫の鍵、無くした。

CD整理やってて、ガサゴソと奥を探っていたら出てきた。
「おう、確かおっきい小銭をこの中に何枚か入れてたはず」
己のお金なのに何故かラッキーと思ってしまう時間のマジック。

よしよし、見つけついでに今日はふらんす亭で一番重いステイク
でも喰らってやろうか、と夢想し、直後我に返る。

カギ、ドコダッケ・・

ドコダッケもへったくれもない。大体ミニ金庫自体の存在も
忘却していたのに、あんなおもちゃみたいなチッチャイの、
探す気力も起こらない。
でも一応周辺を探す。駄目もとで探す。駄目もとは駄目だから駄目もと。
ものの五分でさじを投げ、フランス亭は自家製お茶漬けパスタへ
豹変した。

ピッキングでもやってみるか。