時のうねりのはざまにて

歴史小説もどきを書いてみます。作品と解説の二部構成で行こうと思います。

蒲殿春秋(三百八十三)

2009-05-05 00:13:34 | 蒲殿春秋
寿永二年(1183年)十一月。
都は不穏な動きにつつまれていた。

鎌倉殿源頼朝の代官義経が近江に滞在して、年貢の納入を目的に入京を要求している。
一方西国にいる平家は勢力を回復して都の近くへと徐々に勢力を拡大してきている。
そして都の内部では、院と義仲の間に溝が生じ、院は義仲以外の武士達と接近している。

そのような折、源行家が院から平家追討を命じられて都を後にした。

行家が都を退去した後、後白河法皇は近臣を何度も義仲の元に遣わして
頼朝の代官と年貢の入京を認めるように説得に努める。
その甲斐あってか義仲は少数の兵しか引き連れていないのであれば頼朝代官九郎の入京を認めても良いという意味合いの回答をしたとも言う。

だが、その頃義仲を取り巻く状況の悪化する。そのことが義仲を追い詰め、結果義仲の武力がとんでもない方向へ暴走することになる。

まず、平家に追討に出かけるはずの行家は暫く鳥羽に留まってなかなかそこから先に進まない。
やっと鳥羽を出発した行家は河内に入る。
河内に入るとその地で勢力を張る石川義兼と合流した。
都を出発する際僅かな勢しか引き連れていなかった行家の勢力は石川義兼の勢と合流した結果
一気数千騎にまで膨れ上がった。
その膨れ上がった数千騎を擁する行家は河内から中々動こうとはしない。

河内は都からさほど離れてはいない。その気になればすぐに兵を引き連れ都に戻ることができる。

そして十一月十六日後白河法皇は南殿に移られた。
その警護に多くの武士達が召集される。
土岐光長、葦敷重隆、多田行綱などの名だたる武者が名を連ねる。
平家を都から追い出す際義仲に協力した武士達の多くが後白河法皇の命に従い院御所に詰めるという事態となった。

都に程近い西の河内に源行家が大軍を率いて滞在し、東の近江に頼朝代官九郎義経がいる。そして都にある武士の多くが院御所に集結。
義仲は軍事的に圧迫を受けていることを感じる。

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