ランドマーク探しⅢ

2012年から出張先での風景や社寺仏閣、由緒を訪ねて記録してきました。2016年からは自分の足で散策し、記録しています。

新宿御苑の寒桜・水仙・梅の花

2017年01月27日 23時28分14秒 | 季節の花

年が明けてから初めて鍼灸治療に行ってきました。鍼灸治療院は新宿の曙橋にあるので、治療院に行くと新宿御苑につい足が向いてしまいます。

★ランドマーク新宿御苑:新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。
 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。
 内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。  新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。

写真:当時の玉藻池(昭和9年当時の玉藻池)

 また、現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部です。
 このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。(新宿御苑のHPより)

今回は新宿門から入りました。この花の咲いている木の名前がわからなかったのですが。そうですヤツデです。あちこちで見かけて名前が出てこなくていじいじしていたのですが、名札が付いていました。

すぐ近くに水仙が咲いていました。

これも後から出てきますが、ペーパーホワイトという種類だそうです。

脇には赤い梅の花が咲いていました。

治療院からバスと歩きだったので少し疲れたのと昼食を摂っていなかったので、レストランでハヤシライスを食べました。

レストランを出たところに梅園があるのですがほとんど咲いていませんでした。河津桜が少し咲き始めていました。

ここから日本庭園に向かうと白い梅が咲いていました。

日本庭園に出ると赤い花が見えました。寒桜です。

奥にもありました。

もう一本こちらカメラを向けてる人いました。

ここは日本庭園の中です。ドコモタワーが見えます。

中の池の方向に向かいます。氷が張っていました。

中の池と下の池の間に水仙がたくさん咲いています。10年前からこの水仙は見ていますがペーパーホワイトです。

中が黄色いのは日本水仙のようです。ホワイトペーパーに混ざっています。

ここから梅園に向かいました。

もっとも千駄ヶ谷駅寄りにある梅園です。ここのもまだほとんど咲いていませんでいた。

千駄ヶ谷門のところにある桜園に1本だけ十月桜があります。小さい花を付けています。

千駄ヶ谷門を入ったところからの風景です。奥の体かいビルは富久町のものでしょうか。千駄ヶ谷駅に向かいました。ずいぶん歩いたと思いましたが、ここまで7000歩ほどで、公園リハビリウォーキングには足りないくらいです。

コメント
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