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近ごろは図書館巡りをしています。その土地の文化財(だいたい城館)も訪れます。

天正10年6月大 2日戊子

1582-06-02 | チラシの裏
天正10年6月大(30日の月) 2日 戊子(旧暦・太陰太陽暦)

 明け方に織田信長の屋敷・本能寺に火が放たれた、との伝えが来る。
門の外に出て、その方角を見たところ、火はおさまっていた。
すぐに周囲に聞きまわると、

明智光秀が反乱を企て、丹波の国より軍勢を率いて攻め入り信長を殺した。

とのこと。
 信長の長男・信忠は妙覚寺に陣を構えていたが、光秀の反乱の知らせを受けると(戦闘に適した)二条御所に移動。
すぐに明智軍が攻め入り、数時間にわたり戦闘が行われる。
案の定、信忠は殺され御所は全焼した。
信長父子・側近数人・村井親子3人(貞勝・貞次・貞成)が戦死。
その他の戦死者は、数知れず。
戦闘が終わると明智軍は大津通りを進軍し、山岡景隆の館に火を放ったとのことである。
 前述の二条御所での両軍の戦闘の中、御所の主である誠仁親王・和仁王(後の後陽成天皇)ら3人と女中らは、それぞれ御所を出られ禁裏(天皇の御所)に移られた。
その際、簡単に移動用の乗り物も用意できない有様であったという。