菖蒲図書館には、来たら閉まってた!時のことは覚えています。
が、中に入館したことがあったかは、
あったような気もするし、ないような気もする、
という図書館です。
図書館の写真で、建物の全景を撮ろうとすると、
何やら建物が新宗教かなんかの神殿風に見えます。
館内では田舎のほうが図書館らしい静けさを感じます。
利用者は少なく閑散。
うるさいのは、寝てるジジイただひとり。
地域資料の隣りの雑誌コーナーの隣りのソファで寝てます。
ソファの背もたれの角部分に頭を固定し、姿勢をを安定させてリクライニングシートにでもいるかのように、
寝る体勢をつくって寝ています。
ここで寝るのになれている常連っぽい。
図書館で寝てる人は見かけますが、こんだけ寝ます!って体勢で寝てるのも珍しい。
クコオオオオってかんじの息を吸い込むようなイビキをかいている上に、
口呼吸でのどが乾燥するのか、むせたり、せき込んだりしててうるさい。
寝てるのに、うるさい。
地域資料はけっこう、充実していて菖蒲だけでなく、久喜市、県内と面白そうなのがありました。
広さのわりに蔵書が少ないような。
それだけスペースがゆったりあります。
雑誌は貧弱で、野球は一棚の一段分くらいと少ない。
と言っても十分に図書館を見回っていません。
具合の悪さに耐えきれず、腹痛でトイレへ。
そのまま撤退してしまったので。
記憶はきっかけで再現されるものですが、この図書館に来た記憶は、
やっぱり来たような気もするし、来たことがないような気もします。
両図とも国土地理院をもとに作成
明治期の湿地図で、菖蒲城の郭がピンポイントで浮かんでいます。
湿地(黄色部分)の真ん中で、おそらく北東部へ土橋があったと推定。
北東には宿という、城下町とわかる地名があります。
城跡は現在はあやめ園で、以前に訪れたときは花の時期ではなかったので、
人気もなく荒涼とした荒蕪地?みたいな殺風景さでした。
で図書館の訪問時は訪れませんでした、モチベーションもないので。
徳川家康が関東に入部すると、菖蒲城は廃され、
この地を拝領した内藤正成は栢間陣屋を建てます。
台地(オレンジ部分)のただ中という立地、
常道では台地の両縁にある川に面した地を選びます。
しかし、内藤正成は軍事的ではなく居館・政庁として陣屋を構えたことが分かります。
正成は武名高く、軍歴も豊富なので十分に分かった上のことと思います。
ここら辺は関東平野のまっ平ら地帯で、城砦を築くのには難しい。洪水のある低地(堆積土から過去の大水害が判明している)の菖蒲城は要害で戦国時代には適していますが、居館には向いていません。
戦になっても内藤正成が陣屋に立て籠もることはなく、江戸の将軍、または徳川四天王のような重臣の旗下に付されるので、軍事的である必要はありません。陣屋の土塁や堀は武家館の建築形式的なもので、江戸時代の役人侍の刀と同じで実用ではない。江戸期の陣屋は時代が進むと、堀も土塁も地形的特徴もなくなるようで、今日知られる陣屋は江戸初期のものばかりです。江戸の太平の世では、江戸城下の大名屋敷風に変化したと考えられます。
内藤正成の陣屋があることは知っていましたが、なぜかまったく気にしていなかったのですが、地域資料を読むと興味が湧いてくるものです。
栢間小学校とその南方が跡地ということで、こんなとこにあったのかと思いました。近くを通る機会があったら訪れようと思います。