『東海道中膝栗毛』〈とうかいどうちゅうひざくりげ〉は1802年~1814年にかけて初刷りされた滑稽本である。
「膝栗毛」とは、自分の膝を馬の代わりに使う徒歩旅行の意で人気作品となり刊行は『東海道中膝栗毛』と『続膝栗毛』あわせて20篇に及んだ。
後世に読みつがれ、主人公の弥次郎兵衛と喜多八コンビのキャラは歌舞伎や映画等で現在でも活躍が続いている。
文才とともに絵心のあった作者による挿絵が多く挿入され、江戸時代の東海道旅行の実状を記録する、貴重な資料でもある。
版木による出版が何版にもおよび、今でいうベストセラー作家となった十辺舎一九は文筆業だけで生計を立てたわが国最初の人物ともいわれている。
通称「弥次喜多道中記」のあらすじは、江戸の神田八丁堀の住人である栃面屋弥次郎兵衛と居候の喜多八が二人とも不運な人生に見切りをつけ、身上を売りはたいてお金に換え風呂敷包みにまとめて体に括り付けて徒歩旅行に出る話である。
それぞれ妻と死別したり、仕事上の失敗から勤務先を解雇されるなど、人生で思うようにいかないことがあって、厄落としにお伊勢参りに向かうというストーリーだ。
旅立った二人は、東海道を江戸から伊勢神宮へ、さらに京都、大阪へとめぐる。
続編では四国に行き、讃岐の金毘羅大権現・松尾寺を参詣し、中国地方にも行って宮島を見物し、そこから引き返して木曽路を通って善光寺を参詣し、草津温泉にも立ち寄り出発点の江戸にもどることになる。
二人は道中で、狂歌をよみ洒落や冗談をかわし合う。
いたずらを働いては失敗を繰り返し、行く先々で騒ぎを引き起こす。
江戸庶民に大うけするわけである。
当時の戯作者で有名どころの山東京伝〈浮世絵師でもある〉や曲亭馬琴などと比べ、知識・教養が劣ると指摘する向きもあるが、文章のほかに狂歌や挿絵まで自前で書ける才能は単純に比較できるものではあるまい。
とにかく初刷りから人気が高く、第5篇が出る頃には版木がすり減って新たな版木を彫っているから少し待ってくれと広告を出しているほどである。
人気の弥次喜多コンビを生み出した戯作者・十辺舎一九は実生活では日本橋の材木商の娘の入り婿だったが放蕩が過ぎて離縁されたらしい。
栃面屋弥次郎兵衛と経歴が似ているが死別としたところが面白い。
弥次郎兵衛の居候だったという設定の喜多八は職業が幇間だったとも。
滑稽なやり取りはお手の物である。
ハルキさんの新作を待ちわびるハルキニストとごっちゃにしては申し訳ないが、イックニストという読者もいたんだろうなと思うと羨ましい限りである。
〈おわり〉