どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設19年目を疾走中。

(超短編シリーズ)72 『鴉の話』

2012-06-21 04:59:08 | 短編小説

     (鴉の話)


 八百屋の店先で、店主と客のばあさんが大声で話している。
「いやあ、まったく油断のならない野郎だ」
 七十過ぎの親爺が、たったいま起こった出来事を手ぶりを交えて説明している。
「ほんと、素早いんだから・・・・」
 ばあさんも負けじと声を張り上げる。
「追っかけたけど追いつくわけもない。ほれ、向こうの屋根の上でバカにしたようにこっち見てるだろ?」
 店主が商売を忘れて遥か先の瓦屋根を指さす。
「なんだか袋みたいなものをくわえてるねえ」
 と、ばあさん。
「ポテトチップスだよ。これから安全な所へ運んで破るつもりだよ」
 どうやら青果物の横に並べて置いたスナック菓子の一つを攫われたらしい。
 興奮の度合いから見ると、この店での被害は初めてらしかった。
「ひやー、そんなものを・・・・。わたしなんざ、お肉を攫われたからね」
 今度は被害自慢のようだ。
「図々しい奴だ」
 親爺が相槌を打つ。
「ほんとだよお。いけずうずうしいわねえ」
 ばあさんも少し歩み寄る。
「あいつら食いしんぼうだからなあ」
 と、店主。
「あは、卑しいのよ」
「ほんと、食うことしか頭にねえんだ」
「ほんとほんと」
 そこで二人の笑い声があがる。
 正一は自転車を降り、店主とばあさんのやり取りを立ち聞きしながら、遠い屋根の上の鴉の動向を眺めていた。


 店先での懐かしい掛け合いを聞いているうちに、正一はいまは亡き母親がもらした嘆息を思い出していた。
「ほんとにジゲニンのいうことといったら・・・・」
 公家ではあるまいし、地下人などと呼べる身分ではないのに珍しく感情をあらわにした。
 よほど腹にすえかねたことがあるのか、子供の正一に向かって愚痴をこぼしたのだ。
 戦争が終わって三年ほど過ぎた頃のことだから、彼がまだ十歳になったかならないかのときである。
「どうしたの?」
「ほら、よく家に来る担ぎ屋のお婆さんがね、もう着物はいらないから指輪で払えっていうのよ」
 母は指に嵌めた金の指輪をみつめながら、もう一度憤慨の表情を浮かべた。
 担ぎ屋のお婆さんというのは、千葉から米や野菜を運んでくるヨネさんのことである。
 そのヨネさんが、品物の代金代わりに母の結婚指輪に目をつけたらしい。
 母としてみれば、戦時中にも供出せずに守りとおした宝物である。
 それをよこせと、無神経に要求する図々しさに腹が立ったのだろう。
 (見つからないようにしとけばいいのに・・・・)
 正一は内心そう思う。
 戦争が終わって却って抑えきれなくなった欲望は、子供心にも怖いと感じるほどの世の中だ。
 闇市で喧嘩があったとか、メチルアルコールの酒で目がつぶれたとか、漏れ聞くうわさは正一の心身に直接ひびいてくる。
 それにくらべれば、ヨネさんの言い分など大して理不尽ではないのではないか。
 黒い上っ張りとネッカチーフ姿で、背負い子に荷物を積み上げ、黙々と運んできてくれるヨネさんには感謝していたはずだ。
 しかし、母は思わず目を剥いたらしい。
「・・・・これは出征前に主人からもらった大切なものよ」
 ヨネさんは一瞬困った顔をしたが、黒いネッカチーフで口元を隠すように呟いたという。
「あたしらは、からす組って呼ばれていてね・・・・」
 その言葉に、どういう意味があったのか。
 正一には、いまだに謎だ。
 母にはヨネさんの言葉が、半ば脅すように聴こえたのかもしれない。
 彼女らは京成上野駅まで七、八人のグループでやって来て、そこから先は別々に行動していたようだ。
 その仲間内で、着物の価値が下がっているのだという。
 金の指輪だったら価値に見合う分、野菜や海産物を何回でも届けると言ったらしい。
 後年になって考えてみれば、ヨネさんの提案は母が嘆くほどヒドイ話ではなかったと正一は思う。
 ただその時は、記念の品を意地でも手放すもんかと、反発の気持ちがつよかったのだろう。
 母がムキになった時の思い出が、八百屋の店先でほろ苦い感情をともなって浮かんでいた。


 父の復員を待っていた母子に戦死の報がもたらされたのは、昭和二十三年のことだった。
 南方で激戦に巻き込まれていたのは知っていたが、戦死を確認されたのは初めてのことである。
 遺骨と称して遺髪と爪が届けられたが、アメリカの戦闘機に追われて逃げまどう中での死だったようだ。
 フィリピンのジャングルというだけで、正確な死地はわからないまま、あらかじめ用意されていた遺品が届けられた。
 それでも正一と母は父の死を受け入れ、頼りない耐乏生活を始めていた。
 帽子作りの内職と、何年にもわたる竹の子生活。
 国からの遺族年金に助けられ、正一は一応の学歴と職歴を書き加えることができた。
 母が八十七歳で死んだとき遺品を整理していると、曇ったように艶を失った金のリングがビロードの小箱に仕舞われていた。
 (ああ・・・・)
 あの時の指輪だ。とうとう守り通したのだ。
 食べること、生き延びることだけに集中していた戦後の一時期、その時の飢えの感覚が一生ぬぐえなかった。
 健康に悪いと思っても、一口の飯を残せない。
 (もったいない・・・・)
 世界の共通語となったその言葉に、痛みを覚えるのは正一だけだったろうか。
「あいつら、食いしん坊だからなあ・・・・」
「あは、卑しいのよ」
「ほんと、食うことしか頭にねえんだ」
 目の前でやり取りされた会話と笑いが、再びよみがえる。
 屋根の上の鴉はすでに飛び去っていた。
 (母は、鴉とは違っていたのだろうか)
 自分の飢え、子供の飢えとどのように闘い、打ち勝ったのだろう。
 ふと、ヨネさんが我が家に姿を見せなくなったのは、いつ頃だったかと気になった。
 ぼんやりとした霧の中に記憶が沈んでいる。
 無我夢中で生きた一日一日を思い起こすのは、到底できないことだった。
「おっ、あいつらまた来たぞ!」
 突然、店主の声が耳を打った。
 指さす方を見上げると、道路一本隔てた向かいの電柱に大きな鴉が一羽停まっていた。
「チクショー、図々しい奴だ。また狙ってやがる・・・・」
 さっきまで立ち話をしていたばあさんは、もう帰ったようだ。
「おじさん、このトマト産地はどこ?」
 なにも知らない客は、自分の買い物のことで頭がいっぱいだ。
「ほら、そこに書いてあるだろ? なんだ、ひっくり返ってやがる」
 立て札に手を伸ばして、段ボール箱に突き立てる。
「おっと・・・・」
 一瞬鴉から注意が逸れ、はっと気づいてまたカラスと正対する。
 正一も、店先の現実にもみくちゃになっている。
 過去も現在も区切りなく、時間は行きつ戻りつしていた。


     (おわり)




  


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2 コメント

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前衛的な小説? (丑の戯言)
2012-06-21 16:24:46
なんとも不思議な感覚に満ちたような小説。
時代は現在と戦争直後が交錯しているように思いますが、どっちにせよ題名にある鴉が陰の主人公なのでしょうか。
真っ黒な鴉は、それ自体、不気味ですが、そんな鴉に八百屋の主人、純真な少年、老婆が絡まるんですね。
そこに明白なドラマがあるような、ないような。
そして、何気ないように話は幕を閉じる。
大袈裟にいえば、前衛的な小説と言えるかもしれませんね。
だからか、不思議と惹きつけられました。
不思議な感覚を・・・・ (窪庭忠男)
2012-06-22 17:01:21
(丑の戯言)さんに汲み取っていただき、ありがとうございます。
過去も現在もひとつながりのものですから、昔のことを目の前にポンと置いても違和感はないはず。

鴉は現実であり同時に象徴でもあります。食いしん坊とか必死さとか属性を引き出すと、人間と何の違いもない。
<からす組>は小説・映画のタイトルでもあるようですが、担ぎ屋のおばさんたちの衣装から連想された呼称でもありました。

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