人は苦しむために生まれてきたとしても・・・

あなたとならば、きっと見つかる一輪の薔薇

自然は助けてくれるけれど

2009年02月21日 | 思い
国道の横の歩道を歩いての学校帰り、敷石に歩幅を合わせて“線”を踏まないよう(これは横線に注目)あるいは、左右の脚を交差させながら進む(こっちは縦線)など、テーマを決めて、真剣にゲームを楽しんだ。小学生のころ。

橋の横の水道管を渡るのも好きだった。私より年長の人が「息子がそれをして落ちた」と少し憤慨の様子で話しているのを聞いた。内心優越感だった。当然のように日常的に楽しく渡っていた。

このあたりの玉川上水は暗渠となり、過激派が敷石を砕いて機動隊に投げるという理由で国道の横の歩道もアスファルトになった。高速4号線のために西を向きさえすれば自然に見えていた富士山も見えない。

関東平野を出ると、山が見えない土地はなく、おぼろげな日本地図が頭に浮かぶ。海に囲まれた山国なんだと思った。

そこに、杉の木がたくさん植えられていて、輸入木材に押されて間伐もままならないまま、花粉をまき散らしている。

この間伐材を敷石の代わりにしようと実験が始まったという。想像するだけで心が弾む。海沿いでは防風林の意味合いで道路沿いの樹木が信じられないほど高い、自然の「利用」は気持ちの良いものだ。

各地の竹林被害も竹を半割にした竹垣にすれば解決なのにと思う。雨がやんだ帰り道その竹垣に傘を当てて音を出しながら帰った。

ガーデニングばやりでちょっと見はきれいだけれど害虫退治も進み過ぎて、雀を見なくなったという。農薬より鳥に食べてもらいたいなと思う。10年位前害虫の異常発生があった時、燕が現われてとても懐かしかった。

駅が地上に在った時美しい燕がそれこそ「特急」で飛翔していた。鳥の巣があれば糞とダニは付きものだ。全てのことに言えるけれど、生きることに付きまとう”それら”のことを切り離して“命”は存在できない。

強くて弱い自然と付き合うためには、自分も自然の1部だとの当り前の自覚を持って、共存するよりない。利用するのではなく助けてもらうのだ。
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