人は苦しむために生まれてきたとしても・・・

あなたとならば、きっと見つかる一輪の薔薇

原初でも知の最前線でも

2009年04月13日 | 人物
昨夜のNHKスペシャル「ヤノマミー・奥アマゾン・原初の森に生きる」後半30分を見ました。衝撃でした。久しぶりにしたたか飲んでいましたが、酔いもさめました。

下半身を覆っているだけで、以前 裸族と言われていた人たちではないかと思う。ハンモックがベッド、女は妊娠して出産が近づくと、多くの女とともに森に入り立って出産する。

大地の上に産み落とされて 灰色の臍の緒をつけたままの赤ちゃん。後産で胎盤が出るまでに母親は育てるかどうか決める。それまでは赤ちゃんに触れる人はいない。

現代的に云えば婚外子のこの赤ちゃんのへその緒は切られ抱きあげられる。そこにいるすべての女は赤ちゃんを連れた母親とともに笑顔で森をでる。

乳幼児死亡率が高いことや、生産性の低い社会だということもあるのだろう。半数しかお母さんに抱き上げてもらえない。

16歳と11歳のカップルの赤ちゃんは“精霊に返された”(ここでは育てないことをこう表現する)胎盤とともに葉っぱで包まれ白アリに与えられる。その緑の小さな包みだけが映像化されている。周りの女たちの落胆と失望の顔。祖父母や他人が育てることはないらしい。

新生児が以外な生命力を与えられて生まれてくることは、日本でも時々起る事件で知られている。きっと日本でも昔あったように胎盤が顔に乗せられて、生まれたばかりの命は断たれるのだろう。

しばし呆然、でもこれを見たかったのではない。BSに替えた時は少し始まっていたETV特集「鶴見俊輔・戦後日本・人民の記憶」戦後の日本で一世を風靡した人々に送った“悼詞”未来へのメッセージと番組欄にはある。

私は、母親と息子・姉弟など家族の問題としてこの人を見ることが多かった。家のお菓子(ゴーフル)を盗み食いする5歳の息子を咎めて、体を震わせて涙ぐんで一緒に死のうと迫る美しい母親。

単に世間知らずというのではなく息子の性欲の捌け口まで配慮するのだもの子供だってたいへんだわ。姉和子の存在がなければ、この人の資質だけでなく存在さえ危うかったのではなかったかと思う。

人間としての幸福ということは直接には語られないけれど、直前にみたものが頭から離れないので、否応なく考えはそこへ行く。五度も繰り返される自殺は“知”が生きる助けにならないことを語っていると思った。

質の問題を言いだしたら切がないけれど、“生命の中断のない世界”を目指したい。命をかけて主張しなければならないのは、矛盾しているようだけれどこのことだけのような気がする。
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4 コメント

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Unknown (鉛の鏃)
2009-04-14 19:51:42
見たかったなぁ。

鶴見俊輔はどうでもいいけれども。

再放送がわかったら、掲示願います。私はほとんどテレビを見ませんもので・・・。
Unknown (鉛の鏃)
2009-04-15 02:04:13
ヤノマミ深夜後半15分くらい見ることが出来ました。
森に生まれ、森を食べ、森に食べられる・・・
ズドーンと後頭部を殴られたような感じです。
再再放送を待つ身 (言葉たらず)
2009-04-15 13:04:07
再放送があったなんて!残念だわ!
でも、15分なのね。その前の15分がいいのよ!というのは嘘です。
鉛の鏃様 同感コメントありがとう! です。
ヤノマミ再放送、全部見たよ (金の斧)
2009-09-14 09:21:49
9月でしょうか?このところ曜日とか、日付け等無頓着であって、朝なのか昼なのかも実はあまり感動もなく認識もなく生きていますので、ほんの1週間前の事柄もいつのことやら・・・・と曖昧な記憶で書くのですが、夜中のNHKの再放送見ました。

最初から見ました。


感動は同じ。

大姉・・・いや失礼、貴方のことを思いました。生きているや否や?????

へへへ、出来の悪い弟です。

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