臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

ブラジルで生きるということ

2020-08-19 10:41:16 | Weblog
先日、日本の友人とSNSでやり取りした後、気持ちが沈んでしまった。お互いの将来について語り合ったのだが、双方とも先が見通せず、背後に迫る老後をいかに迎えるかについて、なんら展望が開けないからだ。リオで鍼灸師をしている私だが、現状といえば、ブラジルで猛威を振るう新型コロナのために休業を余儀なくされ、収入が途絶えた状態が続いている。かような状況下で、先行きの暗い老後のことや、障害を抱える事態になったことを考えてしまったので、落ち込む他にすべがなくなってしまった。

3月中旬まで新型コロナウイルスによる災禍は、ブラジルにとっては対岸の火事に過ぎなかった。中国での都市封鎖、クルーズ船内の集団感染、そして日本への伝播と、アジアでウイルスが広がっている様子は逐次うかがい知れたが、両親への感染の懸念を除くと地球の裏側の出来事であり、まさか我が身に降りかかってくるとは思いもよらなかった。

鍼灸の仕事はちょうど軌道に乗るか否かのライン上にあり、預金を崩す必要もなくなっていた。昨年の5月にリオの鍼灸コースを卒業し、幸運にも新規開業した鍼灸院のオーナーと知り合い、週に二日働き始めた。また、コパカバーナに住む顧客への出張施術を通じて、いわゆる「上顧客」獲得の広がりができつつあった。地元では、週に一度ファベーラの住民相手に自宅でアテンドを行ない、低料金ではあるが、その分多くの患者を集めることで経験を積もうと目論んだ。

一見順調そのものであった卒業後の道のりであったが、やがて心身の疲労に苛まれ始めた。1日に多くとも5名程度のアテンドで、休日も確保しているにもかかわらず、施術後は全身が虚脱感に襲われ、翌日も疲労が残り、睡眠の質も落ちていった。原因には心当たりがあった。新米鍼灸師としてのプレッシャー、そしてブラジルでの生活そのものから来る心労の蓄積を感じていた。

たかだか3年間のコース履修で一人前の鍼灸師になれる筈はない。だが、お金を取る以上、最低限「治療」と呼べる効果を示さなければならない。鍼灸院でのアテンドは特にプレッシャーを感じた。顧客は比較的上流層で、彼等は皆それなりの健康に対する知識も持ち合わせている。料金は場代を含むため、その対価にふさわしい治療への期待も高い。対する新米鍼灸師は、つたないポルトガル語で対応しながら、初めての症例に接する時の瞳は困惑の色が浮かび、ぎこちなく鍼を打ち、翌週の予約を受け付けた後、果たしてこの患者は来週現れるのだろうか、少しは良くなっているのだろうか、などと小心を波立たせながら、次の患者に対するのであった。

不思議なことに、このような対応でも6、7割の患者はマシになったと言う。偽薬でも症状が改善するプラセボ効果が認められるように、民間療法の心理的効果は存在するのだ。だが、3、4割の患者は充分な満足には至らない。施術者としては全ての患者を治したい。スキルを上げるためには更なるコースを履修するか、手にある参考書をもとに猛勉強をするしかない。だが、それらをするためのエネルギーが枯渇し始めていた。その最たる原因は、リオで庶民的生活を送ることによる精神的な消耗があった。

シンガポールで働く女友達はリオが好きで、たまに遊びに来る。ある時彼女が、この街の店員の態度はとても良いとの感想を洩らし、私を驚かせた。彼女の持つ接客サービスの印象は、私と全く異なっていた。だが、考えてみれば驚くべきことではない。彼女はガイドブックに載るようなレストランで食事し、Uberで移動し、列に並ぶことの少ない高価格帯の商品を扱う店で買物をする旅行者なのだ。彼女は決して私が通勤に使うバスを使わないし、買物客でごった返すスーパーマーケットには足を向けないし、安物を扱う雑貨屋の従業員の横柄な態度に気分を損ねることはない。すなわち、彼女が享受するサービスは、ブラジルの高所得者層が属する世界のものなのだ。私が属する低・中所得者層、いわゆる庶民の住む世界とは異なる。庶民は生活のありとあらゆる面で低レベルのサービスに甘んじる。この国では、日常の買物から交通手段、銀行や通信事業者、病院や学校におけるサービスまで所得階層によって分断されている。金銭的身分によって露骨に区別するこの社会の現実を、あたかも神が定めたしきたりであるかのようにブラジル人は受け入れている。これがブラジルの文化だとでもいうように。

昭和生まれで、良くも悪くも横並び社会ニッポンで育った私は、この差別的待遇が耐え難い。要するに、自分がブラジル社会で庶民の身分に居たくないのだ。だが、現実は私を通勤にタクシーやUberを使うことを許さない。乗客を丸太と思って疑わないバスの運転手の乱暴な運転に、他の乗客同様、私は車内の手すりにしがみつき、足を踏ん張りながら耐え続ける。嘆きつつもすがりつく姿は、日本の軌道を外れて迷走する己の人生の写しのようだ(先日、私の知人はバスの急ハンドルで降車ドアともに車外に振り落とされ、重傷を負った)。

鍼灸師として成功を収めれば、庶民階層から這い上がることができよう。幸先は良く、上出来のスタートを切った筈である。だが、がむしゃらに勉強して働いて、道を切り開こうという気力が沸いてこない。心身の疲れを怠惰の言い訳にして、本を開く代わりにビールの栓を開け、ワインの栓を抜く。私の収入ではワインは高価な飲み物だが、買えないことはない。現状にうんざりする私の背後に現状に満足する私がいる。ワインが飲めるのだから、いい身分になったではないか。肉だってたっぷり食べられるのだから、文句を言ってもキリがなかろう。二人の私のせめぎあいは後者の声が大きく、時は惰性で進み、上昇気流を呑み込む下降気流に押し流されながら、沈鬱な日々を過ごしていた。

そのような心境であった3月中旬、新型コロナのパンデミックはブラジルを侵襲した。いきなり背後からさるぐつわをかまされたように、一切の活動が中断し、唐突に何もかもが機能を停止した。

全ての顧客へのアテンドが中止となった。やんわりと追われていた時間にぽっかりと大穴が開いた。1日24時間何をしてもしなくてもよい自由な時間ができた。

意外なことに、新型コロナ騒動は私の鬱々とした心に晴れ間をもたらした。一切の経済活動ができなくなり、「お手上げ」の状況になったことで、リセットされた気分になった。庶民階層から抜け出すどころか、下手をすれば生活が立ち行かなくなる。そしてそれは私のせいではない。私の意識下にあった、「成功せねば」という強迫観念が、このコロナ禍によって霧散したようだ。おそらく大きな言い訳を得たからである。すなわち、「頑張ったんだけど、こうなっちゃしょうがないよね」だ。

世界的な経済の停滞とブラジル政府の防疫政策の失敗により、ブラジル通貨は大幅に下落した。私にとっては朗報である。日本の銀行預金を切り崩す生活に戻ってしまったが、コロナ禍前と比べて円の価値は50%上昇した。外食ができない分、酒のつまみや果物のレパートリーを充実させた。五十路となって、ブラジルでの引きこもり生活が始まった。

**********

かくして、蟄居生活は現在まで続いているが、正直、8月まで続くとは思っていなかった。ブラジルでは感染者数、死亡者数ともに未だ高いレベルにあり、終息の兆しが見えない。にもかかわらず、商業施設は営業を再開し、鍼灸業も制限を解除されたようだ。たまに近所から治療の問い合わせがあるが、まだ再開できる状況ではない。私が罹患するのも困るし、健康を目的として来る患者に伝染させては申し訳がない。だが、引きこもりもいい加減に飽きてきた。資金も底が見えてきた。このような時に、冒頭に書いた友人とのやりとりによって、不安が黒雲のように心に覆いかぶさった。こんな気分で一日家に居るのはたまらない。久し振りに小旅行に出かけることにする。

マンガラチーバは海沿いにある静かな町だ。すでに数回訪れているが、今回も選んだ理由は、距離が自宅から80km強と、適度な旅行気分になれる位置にあることと、バスの乗り継ぎを必要とするものの、行程の大半をフレスカン(Frescão=特別料金で運行するリクライニング座席のバス)で移動できるので、車内の混雑による感染リスクを減らせるからである。金属製の携行用ボトルにワインを詰め、午前8時前に家を出た。

フレスカンの車内は案の定5、6人程の乗客しかしかいなかった。バハ・ダ・チジューカ地区の幹線道路を快走する。平行してBRTと呼ばれる専用道を走る連接バスが運行されているが、こちらは超満員である。同区間での両者の料金差は3倍以上、とはいえ、日本円に換算するとその差は200円と少々である。この時期、混雑した車両に乗りたい者はいない。だが、多くの通勤客は交通費にこの程度の料金を追加することができない。そして、フレスカンに乗るべき階層の人々は皆、車を持っている。従って、フレスカンはいつでもガラガラである。

車窓を眺めていると、異様な光景が目に入った。BRTは専用道を走り、プラットホームのある駅に停車する。バスが到着するとホームに仕切られたガラス戸が開き、客の乗降が始まる。その駅のひとつが無残にも壊され、打ち捨てられていた。いや、その駅だけではなかった。次の駅も同じく壊され、客扱いがされていなかった。ならず者による破壊行為があったようだ。これまでも破壊行為はたびたび起こっていたが、その度に施設を修復し、客扱いを再開させていた。今回は様子が違う。壊れたまま完全に放置されている。それが一駅や二駅どころではない。ネットで調べて啞然とした。28、30、34・・・驚愕の数字が、配信日付の異なるニュース毎に示されている。すなわち、壊され、閉鎖された駅の数である。コロナの影響で街の人気が失われたせいで襲撃が多発したのだろうか。襲撃の目的のひとつは、ホームの内外を仕切るガラス戸を壊すことで無賃乗車を行なうことであろうが、中には火を付けられた駅もある。狂気そのものだ。壊された駅を利用していた一般の乗客にとっては悲劇である。何の落ち度の無い彼等は、この常軌を逸した行ないによって、客扱いのある駅まで数十分も余計に歩かされる不条理を味わうのだ。私は胸が塞がった。狂気と隣り合わせのリオの庶民とは、なんと惨めなのだろう。

イタグアイという町でバスを乗り換える。幸いに今度のバスも適度な空席があった。市街の中心部は人で賑わっている。皆マスクはしているが、購買欲が防衛本能に勝っているのだろう、店内に客が群がっている。とりわけ人気があるのは宝くじ売場で、歩道に人が長蛇の列をなしている。つい、くじに当たるよりもウイルスを引き当てる方がよっぽど確率が高いのではと思ってしまう。

マンガラチーバには正午前に到着した。これまでは市内に着いたらすぐ食事を始めていたが、久しく家にこもっていたので、たっぷり歩いてみたかった。街の外には周囲が6km程の岬が突き出し内海を形成しており、その岬を周回する小道伝いに歩き始めた。坂が多く起伏はあるが、車はごくたまに通る程度で、静かな一本道である。空は晴れ、日差しは柔らかく、格好の散策日和である。沿道には家並みが現れては消え、木々の隙間からは群青の海が覗く。歩いては立ち止まり写真を撮り、また歩いては立ち止まる。陽は高く、時を数える必要もなく、誰と相談する気遣いもなく、自由気ままに道を歩く。

途中、眺望の良さげなレストランを数件見かけたが、どれに入ろうか迷いながら先延ばししているうちに、前回入ったレストランを再訪する結果となった。以前来たのは確かであるが、店の印象をなにひとつ思い出せない。それでも、店内のレイアウトを眺めながら、店主がおもむろに注文を取りに来るにつれ、ゆっくりと脳が記憶の復元の作業を開始し、料理が登場し、目に飛び込んだ白身魚のフライの大きさに感動した時、以前の感動の記憶と同期し、ここに復元が完了した。老化現象は娯楽となりうるらしい。

私は窓側の展望席にひとり陣取り、ビールを呑み、魚フライを食べた。店内は3組ほどのテーブルが埋まっていたが、窓側の席は直射日光が差し込むせいか、私の席以外は空いていた。若干暑いが、景色というご馳走を遠慮する手はない。音楽を聴きながら、海を眺め、杯を傾け、料理を口に運ぶ。

やがて私のグラスはビールの黄金色からカイピリーニャを満たした浅葱色へと変わる。陽が若干傾き、水面のさざ波が銀の鱗のように反射している。ブラームス作曲の合唱がひときわ高く歌い上げる。ドイツレクイエムの一節だ。胸の奥深くへと熱い気が流れていった。私は今、生きているのだ。道を歩き、風景を愛で、音楽を聴き、飯を味わい、酒を呑んでいるひとりの生ある人間なのだ。

所詮考えても分からないのであれば、先のことを心配して悩んでいても仕方がない。この世の生と喜びを実感するこの瞬間に立ち会えたのだ。たとえ先に何が待ち受けようと、これ以上何を求めようか。

一瞬、自分の体内にはブラジル人の血潮が流れているような気がしたが、深くは考えず、静かなる興奮に包まれながら銀色の海を眺め続けた。

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2 コメント

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Unknown (taro)
2020-08-24 21:02:18
とても知的な方ですね。文章から伝わってきます。数年前から読ませて頂いております。私も50代で共感できるところがあります。ブラジルでの庶民レベルの生活は日本と大きく異なり、ストレスが多く、自尊心を保つのがしんどいようですね。どうぞお体には十分ご留意してお過ごしください。またブログを更新されますことを楽しみにしております。
Unknown (No君)
2020-09-03 17:52:10
Google Mapでマンガラチーバに行ってみました。
まがちゃんの想いが景色に溶け込んでいました。良い所ですね

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