臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

修行

2011-01-22 13:03:14 | Weblog
仕事初日は椿事に見舞われたが、翌日より正規の時間で働き始めた。朝10時から夜11時までの、途中休憩時間を挟んで正味11時間の勤務である。

勤務開始から3ヶ月の間、私の身分は仮社員という扱いになる。ブラジルの法律では正規社員に対して休暇の義務付けや特別手当、解雇に対する制限などの諸権利が定められている。そのため雇用主は法的に3ヶ月間社員待遇を猶予できる仮社員制度を利用して、従業員の資質を見極めた上で雇用を決定するのが一般的だ。給料もその間低く抑えることができる。

コックとして入ったのだが、私はこれまで飲食業で働いたことはなく、仕事内容を一から覚えなければならない。厨房に入り、料理人ソデさんの補佐をしながら仕事を覚えていくことになった。

いざ仕事が始まると、ソデさんの態度が豹変する。突然言葉がぶっきらぼうになり、額にしわを寄せながら指やあごで命令する。人のあら捜しが我が職務といわんばかりに目は冷たく光り、口はへの字に曲がり、絶えず従業員への監視を怠らない。

厨房ではシーダという女性が揚げ物を担当しているが、彼女の動きが僅かでもソデさんの意に適わぬと三角の目を吊り上げて頭ごなしに叱りつける。シーダはむっつりした顔をして黙々と働いている。

私に対しても同様の態度になり、職場内ではこれまでの友人関係はあとかたも無くなり、新たに師弟関係が誕生する。彼はひとつひとつ仕事を指示するが、私がうっかり指示を間違えたり失念したりすると、『何やってんだバカ』という顔つきになり、ぞんざいな態度で訂正する。

彼の指示内容は微に入り細に渡っている。肉や野菜の切り方、器具や容器の置き場所、掃除の仕方から盛り付け皿を並べる順序まで事細かに指示を出し、いささかの逸脱も許さない。調味料のふたの閉め方ひとつでも指示と異なると、例外なしに使用者を呼びつけ注意する。

これまでの彼との付き合いから、そこまで几帳面な性格とは想像していなかった。会話の論点がぼやけがちであるところから、おおまかな性格に違いないと思っていた。

だが、別のところで彼のおおまかさが発揮される。一片180gに肉を切るよう指示を受けていたので、それを心がけながら切っていると、ある日、それでは大きすぎるという。そんな筈はないと思い計量器で量ると大きく外れている訳ではない。

ソデさんが作る焼肉の量も、私への説明と実際がどうも一致せず、日によって量に違いが生じている。客にとっては当たり外れを覚悟する必要がありそうだ。

彼は20代前半でブラジルへ渡ってきた。日本での飲食店の経験はないが、ブラジルに10年以上住み、その間ほとんど飲食業に従事している。日本で料理人を10年やっていると、調理場面の端々にプロフェッショナルの精緻さが出てくるものだと思っていたが、ソデさんは失礼ながらどうもそのイメージからは隔たる。感覚的にやや不器用という印象を受ける。



週末の夜は客で賑わい、とりわけ8時から10時までがピークとなり席が埋まる。この時こそがソデさんの真骨頂である。

客の殺到を予感すると、彼は前準備に細心の注意を払う。あらかじめラーメンの封を開け、麺のいくつかは先にほぐし、フライパンは軽く火にかけておき、具材を冷蔵庫から取り出し手元に並べ、調味料類もテーブルに用意しておく。そして注文が矢継ぎ早に入り、伝票がホワイトボードにずらりと列をなす時、ソデさんはまるで時代劇中の群がる悪人をなで斬るようにバッサバッサと注文をさばく。麺の固さやスープの濃度、野菜炒めの量や炒め方はその都度ばらついても斬り捨て御免である。

一心不乱に調理するソデさんの心を乱す出来事はすぐにやってくる。客室内もてんやわんやなので、料理を別のテーブルに運んだり、伝票の記載が誤っていたりして注文に齟齬をきたしたりすると、彼は日本語で『バッキャロー』と怒鳴った後かん高い声で叱責する。ウェイトレスも何事か言い訳するが、その剣幕の前ではトランプの兵隊のように吹き飛ばされてしまう。ソデさんの徹底的な専制ぶりは、まるでラーメンハウスという小さな世界に君臨する帝王のようである。

もっともサンパウロで彼の評判を聞いていたので、私はある程度彼の態度を想定していた。もし事前の情報がなかったら相当面食らっていただろう。

彼のもとで働く決意をしたとき、かつて観たテレビのドキュメンタリー番組が記憶に蘇った。それは事業に失敗した中年男性が、再起をかけてラーメン屋で働き、ラーメンチェーン店の開業をめざすというものであった。店長や先輩はその男性が年上だろうと容赦せず厳しい言葉を浴びせつける。その番組の印象から、ラーメン屋や寿司屋の職場環境というのはそういう徒弟制度的なものであり、評判から察して、おそらく彼もその路線で来るのだろうとあらかじめ覚悟をしていた。

そのこともあり、勤務前には対等だった話し言葉を敬語に改めた。気持ちを切り替えていかないと続かないと考えたからだ。

そのドキュメンタリー番組を観たとき、「あの歳になってそんな苦労なんぞ真っ平だ」と思ったものだが、それから年月を経て、まさか自分がブラジルでその立場に置かれるとは運命のいたずらである。