臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

将来

2009-03-25 01:42:25 | Weblog
しばらくぶりに米国人の友人からメールが届いた。彼とはひと昔前にアテネで知り合い、そのときはお互いバックパッカーで、ともに無類の酒好きということでウマが合った。現在彼はアルゼンチンのブエノスアイレスに住んでいる。

ひととおり彼の近況が記された後、私のことを案じた文が綴られていた。「お前が将来のことをあまり考え過ぎないことを望む。そんなことを考えるのは米国や日本に居る奴等のすることだ。俺たちは奴等以上に今日のために生きようとしているわけだろう。それはたやすいことではないけれど、俺たちは俺たちであることを止めることはできないんだ。」と。

彼はカメラマン兼ライターである。破滅型の性格で、借金を溜め、酒、ドラッグ、女に溺れる生活を送っていたが、仕事に対しては真摯な情熱を持っていた。それでも世界中掃いて棄てるほどいるフリーのライターやカメラマンのなかで生き残っていくことが困難なことは彼自身よく知っていた。また、彼は高い目標と大きな夢を持っていたが、現実に彼が日々過ごしている生活からは、それらの達成が困難であることにも気付いていた。だから将来に対する不安とプレッシャーから逃れるために、いっそうデカダンな生活にのめりこんでいったことは想像に難くない。

そんな彼が、驚いたことに酒やドラッグを控え、運動をはじめ、減量に成功しているという。どうやら彼自身、ライターで身を立てることに手ごたえを感じはじめているようだ。結局自分がもっとも求めるものは、ただライターとして毎日を生き延びることであり、先のことをあれこれ考え思い悩んでも仕方がないということに思い至ったようだ。

彼の私へのアドバイスは、彼が今の心境に達するまでの苦悩の日々を、私の身に置き換えて述べているように思えた。

サバイバル・ゲーム真っ只中の彼と比べると、私の昨今の状況は安逸の中にある。出版社勤めという立場で、ほぼ一定の給料が得られるサラリーマンであり、贅沢はできないまでも、三度の飯に事欠くことは無くなった。

それでも自分の将来のことを考えると焦りを覚える。現在の薄給のままでは貯金もできず、日本への航空券など高嶺の花だ。病気やけがをした場合、信頼できる医療機関にかかることもできない。第一、私はこの国に合法的に住んでいるわけではない。正規のビザがないので、万一取締りが行なわれたらおしまいだ。また、突発的な事件に巻き込まれても、本来行使できるはずの諸権利があるのか危ぶまれる。

この国のビザを取得するのは容易ではない。だが、ひとつ簡単な方法がある。ブラジル人と結婚することだ。

正直言って、私は結婚などしたくない。ひとり身の自由が好きだ。それに健康面に不安があるので、家庭を築き、それを支え続ける自信はない。そして、最近とみに考えてしまうのだが、果たして私はブラジル人のように生き、ブラジル社会に溶け込むことができるのだろうか。

この国には収入に応じた階層が厳然として存在するので、どの階層に属するのかによって生活スタイルは異なってくる。できるものなら上の階級に属したいとは思うが、今のところ収入も低く接点も無く、保守的で血統を重んじる白人種が齢四十を過ぎたアジア人を受け入れるとは考えにくい。では現実的に可能とみられる、下層階級とまでいかなくても、いわゆる平均的な庶民レベルの女性と結婚したとしたらどうであろうか。

一般にブラジル人は日本人に比べておおらかで他人に対して親切ではあるが、庶民レベルとなると仕事に対してはいい加減であり、現状に安住しがちで、知的、創造的、改革的な活動には縁遠く、公衆道徳に対する意識は低いと私の目に映る。

私は屋台の串焼き肉を食べながら庶民と接するのは好きだが、私自身が庶民そのものになろうとは思わない。

私ひとりであれば、彼等の生活習慣に染まらぬよう努力することで、自分の生き方を貫くことはできる。だが、もしも家庭を持ち、子どもができた場合、私の子どもが彼等のようになってしまうことを想像するとぞっとする。

以前、スタンドバーで親に連れられた10歳ぐらいの子どもがビンに入ったおたまじゃくしを見せてくれた。子どもはひんぱんにおたまじゃくしをつまみ出しては眺めていたので、やがておたまじゃくしは死んでしまった。

私は子どもに、おたまじゃくしにとって人間の体温は火のように熱いのだから、生かそうと思ったらあまり触らない方がいいと言った。

すると子どもはけろっとした顔で、おたまじゃくしはまだ死んでいないと言い、ビンの水の中で動かないおたまじゃくしを指で突っついて生きているようにみせかけて、そして去っていった。

嘘をつく子どもなど古今東西ざらにいることかも知れない。それでもまるで呼吸をするようにさらりと嘘をつく子どもに接して、私は何と民度の低い国に住んでいるのかと嘆息した。

公園で小さな子ども達が石や土塊を投げ合って遊んでいる。けがをしたらどうするのだろう。周りの大人や少年達は知らぬ顔だ。私の方にも飛んでくるので、「こら、やめろ!」と注意すると、子ども達は口々に私をののしる。小さな野蛮人だ。

私にもし子どもができても、そのような環境の中で育てたくはない。だが、ブラジル人の奥さんを持つと、まず間違いなく子どもは彼女の生活水準に合わせて育つだろう。私がいくら高邁な教育方針を掲げても、奥さんとその親からは異国人のたわごととみなされ、理解されぬか黙殺されるかのいずれかだろう。

整った顔の、スタイル抜群な混血女性とすれ違うたびに、羨望と侮蔑の入り混じった感情が瞬時に私の脳内を駆けめぐるのは、手が届かないと同時に手を出したくないという屈折した思いからといえる。

この頃日常生活の中で、わけもなくいらいらした感情が沸き起こり胸を塞ぐことが多いのは、ブラジルという国で住み続ける自分の将来に漠然とした不安と不満が溜まっているからであろうか。

トモコさんというブラジル在住の女性がいる。フリーライターとして、私が勤める出版社の雑誌の記事をよくお願いしている。

彼女は現在29歳であるが、歳が倍近く離れた夫と小さな子どもがふたりいる。幼稚園教諭の資格があるというが、大阪の大学を卒業後は定職に就かず、アルバイト生活を経て単身ブラジルに渡り、永住資格のある日本人と結婚した。

彼女に今の生活に不安はないか尋ねてみた。もし夫がいなければ日本に戻っているかも知れないと彼女は答えた。夫と一緒に日本に戻っても彼の就職先を見つけるのは難しいし、今はなんとか食べていけるのでブラジルにいると言う。

また、こうも言った。パート感覚の執筆業を除くと、現在の身分は主婦であり、それはすなわち夫の従者であり、家庭を放棄しない限り今の環境に従うしかない。将来については子育てが一段落してから考えることにしており、また、今の時点では考えない方がこの国で生き抜く上で望ましいと。

子育てという現実に日々対峙しているトモコさんにとって、この国で将来設計を考えることなど現時点では害にこそなれ何の益にもならない。ブラジルで生きる上で大切な順応性をしっかりと獲得し、ラテンの楽天主義としたたかさがすでに備わっているようにみえた。

日本にいるときから先のことなど考えない生活をしていた私である。ブラジルに来て今さら将来云々、子育て云々などと考えても仕方がないのである。米国人の友人やトモコさんに倣い、いや、本来の自分に戻って、最も得意とする行き当たりばったりの人生を歩み続けるのが、この国で生きるのには一番ということにしておく。