臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

サンパウロ・小さな旅

2009-02-05 04:19:39 | Weblog
土曜日の午後。身辺の用事を済ませた後は、心は自然と酒に惹き寄せられていく。格別なことがなければ、何を呑むかは既に決まっている。紙パックの格安アルゼンチンワインをペットボトルに詰める。何を食べるかも決まってくる。路上の屋台で売られる、酒のつまみになるものである。いつも案じるのはどこへ行くかである。

サンパウロ中心部より南西に位置するサント・アマーロという地区は賑やかな商業地区だ。街路は商店が並び、さらに道路の中央を露天商が陣取り、人の通行で常にごった返している。バス停付近や交差点周辺に点在する空地という空地には服飾、海賊版メディア、小物、飲食物を売る露天商がひしめき、全てのスペースが無駄なく埋め尽くされている。

サント・アマーロには以前何度か来たことがあり興味をそそられていたのだが、雨模様であったり、仕事中であったりとゆっくり見て回る機会がなかった。近郊のピニェイロスという地区で写真を撮る用事があり、その足でサント・アマーロを訪れることにした。

サンパウロの市バスは急発進、急停車、急ハンドルを繰り返しながら1時間ほど走った後、やがて各方面から色とりどりのバスが集結し始め、商店が連なる街道沿いの歩道は人の往来が多くなり、露天商の屋台が目に付き始めると、サント・アマーロの中心街は近い。

バスを降りると、視界一面に人々が蠕動している。いたるところで露天商が台の上で二束三文の商品を広げ、ところどころに煙が立ち昇り、それは串焼肉の屋台であったり、焼きトウモロコシの屋台であったりする。行き交う買い物客の大半は混血か黒人で、すなわちお金にあまり縁がない連中がここで買物や飲み食いをするわけだ。

間口の狭いスタンドで売られるソフトクリームは0.8レアル(32円)とサンパウロ市内のどこよりも安い。3足で5レアル(200円)の靴下は、そのうちの1足でも3回履いた後に伝線しなければ幸運という、クジのような代物だ。質よりも価格で勝負のサント・アマーロの商店街は、格安の商品を物色する買い物客の、それでも結局安物買いの銭失いになることは自明でありながらも、掘り出し物にめぐり合うかも知れぬという幻想と、大枚をはたかずに購買行為がかなうという欲望を満たすことができる猥雑な活気に溢れている。

私は界隈をぐるりと歩いた挙句、バス停留所に近接した一軒の串焼肉の屋台で立ち止まり、コンロで焼かれている牛ハツを指差し、リュックから取り出したペットボトルのふたを開け、中に満たされている赤ワインをぐびりと呑んだ。生ぬるい芳香が喉から鼻に抜ける。さあ、一日が始まった。

騒々しい音を立ててバスがひっきりなしに発着し、始終人の出入りで騒然としているが、ワインと肉があれば全くかまわない。屋台のオヤジは色黒で細身の、いかにもファベーラ在住といった貧相な初老の男だ。牛ハツなど珍しいと話しかけると、彼はぼそぼそ喋り出したが、その時の彼の話し方から、やや気弱で不器用でお人よしな性格が窺われた。

停まっているバスの窓から若い混血娘が札を握った手を振って、なにやら呼んでいる。串焼き屋のオヤジは、やにわに飲料を掴んでバスに向かって駆け始めたが、バスはするすると発進し、窓から顔を出す娘の顔が無常にも遠ざかっていった。親父の努力は徒労に終わり、私を含めた周囲に親父の足がビッコであることを知らしめただけであった。

ひとりの女性がバス停前で佇んでいるのに気付き、目が釘付けになった。女性はブルーネットの髪をした白人系で、歳は30歳を超えたあたりであろうか。若い時分はたいそう美しかったであろう容貌は、歳とともにゆっくりと老成に向かいつつもまだあどけなさを残している。目を見張るのはその体形で、白いぴっちりしたシャツの輪郭は、大きく張り出した胸と、彫刻のようにくびれた腰と、すっきりへこんだ腹をなぞっていた。濃紺のジーンズを穿いたお尻は程よい形に隆起し、脚は磨かれたようにすらりと伸びていた。

『ペルフェイト(パーフェクト)』とため息混じりにつぶやく他にないボディを前に、私は盗難や強盗に遭う危険を顧みずカメラを取り出した。だが、彼女の姿は他の待ち人の陰に隠れがちで、やがてバスに乗って彼女は行ってしまった。

串肉を焼くオヤジの前に精悍な顔をした30台半ばとみられる男が現われた。彼が担ぐビニール袋の中には駄菓子がはいっており、おそらくバスや電車内に乗り込んで菓子を売っている車上の物売りなのだろう。

彼は黙ってオヤジに1レアル渡し、ミニカップにピンガを注がせ、カップ半量をやや過ぎたあたりでオヤジの注ぐ手を制止し、ぐいっと一気にあおり、日本の酒呑みが塩を嘗めるように、ファリーニャ(肉にまぶす白いマンジョッカの粉)をひとつかみ掌に取り、ぐっと口に含み、風のように去っていった。ついに一言も発することはなかった。

彼はオヤジの店の常連なのだろう。ふたりの間には言葉は要らず、呼吸があった。最貧層に属するであろう物売りの男が、多くを注ごうとするオヤジを制するその態度は、酒に卑しい私だけによけい粋に映った。彼の人生の底流にはダンディズムが流れていた。

暮れなずむ周囲の方々で電燈の輝きが目立ちはじめた頃、私はバス停を離れ、地下鉄駅に降りた。地下鉄は最近開通したばかりで、ホームにいたる通路は銀色のメタルとガラスで覆われた近代的なデザインである。なんだか本来居るべき所に戻ったような安堵感を覚える。

無機質的な構造物になつかしさを感じた自分が意外であったが、思えば私はずっと日本の近代建築に囲まれて育ってきたわけで、ブラジルの雑然混沌とした都市景観は我が故郷のそれからは遥かに遠く、緑多い郊外の山間風景も故郷との隙間を埋めるにはいたらず、画一的な設計の地下鉄駅の中で、ようやく私は故郷の風景を重ね合わせることができたのだった。

電車もモダンな新型電車であった。自動案内放送のポルトガル語が近未来の言語のように聞こえた。これまで住んでいたブラジルは実は過去の世界で、今、タイムマシンで私が本来住んでいた先進国に帰って来たかのようだ。だが、その幻想を破ったのは途中駅から乗り込んできた黒人系の家族であった。

母親と3人の子ども達、そして長女である12,3才の子どもは彼女の子とみられる赤子を抱いている。一見して極貧層と分かる彼等は、路上で寝るためであろう毛布を抱え、粗末な服とサンダル履きで、果物をかじる男の子の姿がいっそう貧しさを象徴していた。

ニューヨークの金融街にいきなりジンバブエの難民が迷い込んできたような違和感に、他の乗客も不安といぶかしさの視線を向ける。だが、家族は物乞いを始めるわけでもなく、子ども達は車内をうろつくものの、別に迷惑をかけるわけでもなく、人々の目はやがて憐れみといつくしみの目に変わっていった。

私の前席でしっぽりと寄り添っていたカップルも、家族が乗り込んできた時はしばらく気を取られていたが、子どもが近づくとバッグからお菓子を取り出し子どもに与えた。人々から笑顔が洩れた。車内の空気は富者と貧者が同居するブラジルのそれとなって融和していった。