臥伯酖夢 ―50代男のブラジル生活記―

再びブラジルで生活を始めた50代男の日常を綴る。続・ブラジル酔夢譚

ファベーラ再住

2017-02-07 19:55:58 | Weblog
エスタシオのミシェルのアパートから、ホムロとホッサーナが住む、リオ市郊外のイラジャに移ってはみたが、自室を隔てる薄い間仕切り一枚の外はバグンサだった。

彼等とは、10年前にコパカバーナのアパートメントで同居したことがあり、このイラジャには2年前のビザ更新時に数日間滞在している。その時には全く気にならなかった生活音が、今では気に障る。テレビの音、時々始まる夫婦喧嘩、電話の話し声、果ては笑い声まで神経を刺激する。

勉強に集中したいという思いが強すぎ、音を徹底的に排除することに囚われてしまっているのであろうか。歳を重ねるとともに周囲に対していっそう不寛容になってしまったのであろうか。福島の除染現場ではプレハブ小屋で寝泊まりしていたので、薄いベニヤ板を通じて話し声や廊下を歩く音、階上の足音に悩まされ続けた結果、神経をすり減らしてしまったのであろうか。

いずれにせよ居心地が定まらない。ホムロとホッサーナは普段通りに生活しているに過ぎず、彼らに注文を付けるわけにはいかない。手頃な一軒家が見つかったと伝え、1ヶ月で彼等の家を辞した。

ペーニャという40代の黒人女性とは、ホムロ達同様10年来の知り合いである。私はかつてファベーラに住んでいたが、そのときの家主であるスエリーとは今でも懇意にしており、ペーニャはスエリーの従姉妹にあたる。ペーニャも同じファベーラに別の建物を所有しており、賃借人を探していることはエスタシオに住んでいた時分から知っていた。その、マタ・マシャードというファベーラが安全であることは承知しているし、山間の中腹に位置するので夏の暑さが和らぐのが魅力だ。部屋はワンルームで、室内にはベッドや食器類が揃い、キッチン、トイレ付きの完全個室でプライバシーは保たれ、家賃もエスタシオの半額であった。

だが、私はあえてイラジャに移った。一見申し分のなさそうなペーニャの家を借りなかった理由は、彼女が私に結婚をほのめかしているからだ。

彼女はリオに住んでおらず、隣州のエスピリト・サントで学校の事務局に勤めている。ひとあたりはブラジル女性の中では若干おっとりした感じで、悪いわけではない。だが、四十路を過ぎたブラジル女性で魅力的な人物に出会えたとすれば、それは僥倖であると見受けられるが、私はどうもそのような星の下に生まれては来なかったようだ。

ある日、エスタシオのアパートに彼女が訪れ、そのとき、エスピリト・サントで一緒に住んで欲しいという申し出を受けた。彼女はこう付け加えた。彼女の職場は任意の健康保険に加入しており、彼女とその家族は病気やけがの際、無料で私立の病院を利用することができるのだと。つまり、ブラジルは誰でも無料で公立病院を利用することができるが、設備は劣悪で、途方もなく長い時間待たされることも始終である。誰しも設備の整った私立病院を利用したいが、適用される任意保険の保険料は高額で、平均的なブラジル人の所得では維持することが難しい。その点、彼女は職場の福利厚生に恵まれている。その恩恵を私にも施してくれるというのだ。いわば、彼女が用意した持参金であった。

平均所得以下の稼ぎしかないブラジル人であれば、ペーニャの『持参金』に心を動かされるかもしれない。だが、私はストレートな物言いの彼女に対して内心苦笑こそすれ、それ以上の感情は起きなかった。東洋医学のコースを道半ばで放り出すわけにはいかないし、それはあたかも、戦前生まれの日本男児が女子にプロポーズする際、「仕事を辞めて家を守ってほしい」というセリフを現代の日本男児が言われているようで、私としては心を動かすわけにはいかない。なにより、安住とはいかぬまでも、最低限の衣食は確保できる日本を離れてブラジルに移住したのである。結婚という一種の「束縛」と引き換えにするのであれば、せめて心惹きつけられる女性と添い遂げたいものである。まあ、高望みが過ぎるようでは結婚は一生無理であろうが。

と、イラジャに来るまではペーニャの家に住むつもりはさらさら無かったのであるが、静かな環境と、プライバシーが保てる場所を求めずにはいられなくなった。しばらく後、ペーニャのフェイスブックのプロフィール写真に見知らぬ男の顔が並んで写っている。さては新しい恋人ができたと察せられる。これで、もし彼女が自分の家だからという理由で滞在をねだったとしても、断る口実ができたわけだ。

7月の中旬、エスピリト・サントからペーニャが来る。朝9時に現地で待ち合わせする手筈であったが、ホムロ達との送別会で二日酔いの身体をどうにか起してやっては来たものの、彼女は時間通りには現れず、なぜか電話もつながらず、しばらくぼんやりと待った後、さてはスエリーの家に寄っているのかと思い、訪ねてみるが姿はなく、とぼとぼと待ち合わせ場所に戻っていく途中でスーツケースを抱えたペーニャに出くわした。

人ふたりがすれ違える幅の、ところどころ階段となっている細い通路を延々と登った先に、彼女の建物がある。2階建ての1階が私の住む家だ。2階への扉は独立しているので、私の部屋に他人が侵入することはない。上階にはヒータという女性が住んでいるが、彼女はとっても良い人で、決して騒がしいことはないから心配するなとペーニャは言う。室内は大小の品物が散らかっており、埃で全体が薄汚れてはいるが、床は大判のタイルが敷き詰められており、掃除をすれば光沢を取り戻せそうだ。

建物に瑕疵はないかと尋ね、流し台の水漏れと壊れた冷蔵庫‐8000円の修理費を自費負担すれば冷蔵庫は修理可能とのこと‐以外に問題はないと言いながら、彼女はシャワーの栓をひねった。湯気立つお湯が勢い良く噴き出した。
「温水器もちゃんと機能するでしょ。あなたはきっとここが好きになるわ」
「でも、水は節約してね。水資源は貴重だから」
「・・・水道代は?」
「水道代は払う必要ないわ。電気代は払わないといけないけど」
「・・・分かった」
スエリーの家も同じ事情であったし、そもそもファベーラはボンベを購入するガス以外は、水道や電気を無断で引っ張るのが常習であったので、深く考えることはなかった。

ペーニャは近所の知人を呼んで水漏れする流し台を修理し、私が外出している間、部屋の掃除と不要な物品の処分を行ったので、室内は見違えるように片付いていた。窓を開けると、青々とした木々の茂れる森が向かいの丘へと広がり、静寂が周囲を包んでいる。騒音から逃れるために居場所を転々としてきたが、ようやく探し求めてきた場所に辿り着いたような気がした。

一晩泊めてほしいというペーニャの頼みに内心身構えた。フェイスブックの写真もいつの間にか男が消えていたので突っ込みどころを失ったが、よく働いてくれたので無碍に断るのも悪いと思い、ソファで寝るというので滞在を許した。夕食を共にしながらビールを呑み、話題を探しては間を繋ぎ、彼女の話しに耳を傾けるが、現実と空想が入り混じったとりとめのない願望を話す彼女に少々辟易しつつ、明日になれば悠々自適の生活が始まるのだとひとりごちた。

翌日ペーニャはエスピリト・サントへ去っていった。私はいっそう清潔で快適な部屋を目指して壁を拭き、床を磨き、日本の家屋のように裸足で暮らせる部屋とした。その次の日、流しで食器を洗っていると、蛇口の水が徐々に細り、ついには出なくなった。私は表に出て、上階の住人を呼んだ。