Tenkuu Cafe - a view from above

ようこそ『天空の喫茶室』へ。

-空から見るからこそ見えてくるものがある-

Terra Australis Incognita “未知の南の土地”  を飛ぶ - (11)

2013-10-26 | 海外

アボリジニは、英国人入植から200年もの間、様々な権利を制限されてきた。 
1962年まで連邦政府の選挙で投票権を認められておらず、また、オーストラリア国民としての市民権も1967年の国民投票による承認まで与えられていなかった。
1976年、アボリジニ土地法案が成立。連邦政府はようやく先住民側の最初の土地所有権を認めた。



キャシー・フリーマンは、女子400m決勝のゴール直後、極度の緊張からか、放心したようにその場にへたりこみ、しばらく動くことができずにいた。


以下、村上春樹著 『 Sydney! 』 より、
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ゴールを駆け抜けたキャッシーは、そこでよろよろと倒れる。力尽きたように、ゴールのわきに倒れ込んだまま、静止している。そのまま動けないみたいだ。なにがあったのだろう。
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顔はかちかちに凍りついてこわばったままだ。そこには安易に近づきがたい何かがある。金メダルを取った人の顔ではない。まるで取り返しのつかない大きな失敗をしてしまった人のようにさえ見える。
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そのまま長い時間が経つ。人々はもちろん祝福の歓声をあげ続けているが、フリーマンの身にいま何が起こっているのか、誰にも把握できない。みんながどうしていいのかわからないまま、成り行きを見守っている。彼女は喜んでいるのだろうか。それともおこっているのだろうか、それともまったく何もかんじていないのだろうか?全ての人の目が、トラックの隅のミステリアスな一点に注がれている。長い時間が経過する。とても、長い時間だ。すべてのものごとが動きを止めている。地球が静止してしまったみたいにさえ思える。
(その時間はその場に居合わせた僕には、まるで永遠みたいに感じられた。しかし後になってテレビの録画を見ると、実際には意外に短い時間であったことがわかった。でも僕はもう一度断言する。それは一種の永遠だったのだ)。









Terra Australis Incognita “未知の南の土地”  を飛ぶ - (10)

2013-10-19 | 海外


ふたたび、シドニーオリンピック陸上・女子400mゴールドメダリスト、キャシー・フリーマンについて。




キャシー・フリーマンの母方の祖母は、いわゆる「盗まれた世代」の一人だった。

「盗まれた世代(Stolen Generation)」とは、白人男性とアボリジニ女性の間に産まれた混血児の子どものことで、オーストラリアでは1915年から1969年まで、政府とキリスト教会の主導の下、アボリジニの子供を親から強制的に引き離して寄宿舎などの諸施設で養育するという政策が行わた。白人への同化政策である。
隔離されたアボリジニーの子供たちは政府による「公民教育」のようなものを受けた。政府としては彼らのコミュニティーの絆を壊すのが目的だったようだ。
これは議会で承認を受けて立法化さ政策だったために54年間にもわたって実施され、この間に親元から引き離されたアボリジニの子供達の数は、10万人を超すといわれている。
この政策は、彼らからアボリジニとしてのアイデンティティを奪ったのは明らかである。

キャシーの家族は、祖母の負ったそのような心の傷を、家族全員で長年にわたって共有して生きてきた。
キャシーがうまれたのは1973年。先住民居住区で幼年期を過ごし、いまだ消えない人種差別を目の当たりにしてきたのであった。










Cafe belvedere - (10)

2013-10-11 | Cafe 

さて、シドニー・オペラハウス(Sydney Opera House)を真正面に眺めてのコーヒーブレイクであるが、ここは、1788年1月26日、あのアーサー・フィリップ(Arthur Phillip)船長率いる最初の移民船・『First Fleet』が、700人の囚人、兵士とその家族計1300人を乗せ、英国から到着し、ここからシドニーが始まったといわれる「シドニー発祥の地」、ロックス(The Rocks)である。当時は“岩だらけ”であったためこの名前がついたと言う。


シドニー・コーブ(Sydney Cove)に突き出すように建つ、白く、ヨットの帆が膨らんだような「シドニー・オペラハウス」は、シドニーのみならずオーストラリアのシンボル的存在となっているが、デンマークの建築家ヨーン・ウッツォンの設計で、複雑な構造を持つ建物は幾多の困難を乗り越え、竣工(1959年)から14年もの歳月を経て完成したそうだ。

2007年、オーストラリア国内で17番目、文化遺産としては王立展示館とカールトン庭園(メルボルン)に次いで2番目の世界遺産に登録された。

そのユニークな形状は、折り重なるヨットの帆をイメージしているとされるが、実際に設計者ヨーン・ウッツォンは、「このアイデアがひらめいたのはヨットではない」という。

完成後、数年経ったある日、ウッツォンが「…本当は子供がみかんを剥いているのを見て、このデザインを思い立った」と!!





Terra Australis Incognita “未知の南の土地”  を飛ぶ - (9)

2013-10-06 | 海外

 
「だいたい、きみたちは勘違いをしている。イギリスは確かに文明国だ。しかし、文明国というのは略奪国と同義語だ。海賊さ。根こそぎに奪い去り殺し尽くすのがやつらの流儀だ。そんな国に何を学ぼうというのだ」 (西村寿行著『無頼船・ブーメランの日』より)





以前、田中邦衛と薬師丸ひろ子が出演した「タスマニア物語」という映画を観たことがある。絶滅したといわれている伝説のタスマニア・タイガーに魅せられた男の物語であったが、タスマニアの自然の雄大さは圧巻だった。

しかし、この島にもアボリジニの悲劇があった。


1803年にシドニーから最初の植民が行われた。初期の植民者は流刑囚とその看守であり、南東部のポート・アーサーと西海岸のマッカリー・ハーバーが流刑植民地となった。

彼らは‘スポーツハンティング’の延長として、アボリジニを殺害、若い女性を捕らえて強引に妻とした。

1828年には開拓地に入り込むアボリジニ民族を、イギリス人兵士が自由に捕獲・殺害する権利を与える法律が施行された。
1830年代までブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、タスマニア・アボリジニたちはフリンダーズ島へ強制移住させられるなど激減し、アボリジニ人口は90%以上減少する。

さらに1876年には、タスマニア・アボリジナル最後の生存者である女性のトルガニーニが死亡して、多い時期で約3万7千人ほどいた純血のタスマニアン・アボリジニが絶滅した。





Tasmania is an island state, located 240 kilometres to the south of the Australian continent.
Tasmania is a particularly scenic island with a particularly brutal and tragic colonial history.

As was the case elsewhere in Australia, with European colonisation came the decline of the Aboriginal population. This was largely due to introduced diseases and conflicts with the new arrivals. It is estimated that in 1803, there were between 5,000 and 10,000 Aboriginal people in Tasmania. By 1833, just 30 years later, the indigenous population was down to 300.











Terra Australis Incognita “未知の南の土地”  を飛ぶ - (8)

2013-10-02 | 海外


1788年、シドニー湾にイギリス人が入植した時、オーストラリアには30万人のアボリジニが暮らし、250種類の言語が使われていた。
政治制度をもたず、定住生活をしていなかったアボリジニは次第に生活の土地を奪われ、アボリジニの暮らしは破壊されていった。
新しい病気が広まり多くのアボリジニの命が失われた。羊や牛など新しく連れてこられた動物が泉を汚し、アボリジニの生活に欠かせない植物の多くは食べつくされ、大勢のアボリジニが故郷を追われた。文化や伝統に従って暮すことも許されなくなってしまった。

1900年頃にはアボリジニの人口は7万人に激減している。





 At the time when Sydney Cove was settled by the British there were 300,000 Aborigines in Australia and about 250 different languages were spoken. Since they didn't have a system of government, no permanent settlement, and no land ownership, the British made them move. Many of the Aborigines got smallpox, measles, venereal disease, influenza, whooping cough, pneumonia, and tuberculosis and died. European invaders cut down forests and brought foreign animals to Australia. By 1860 there were 20 million sheep in Australia. The cattle and sheep destroyed the Aborigines' water holes. White settlers and Aborigines were at war for the land and water.

The Aboriginal population decreased from 300,000 in 1788 to 70,000 in 1900.