羚英的随想日記

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■花巻へ 其の伍 花巻まつり・パレード準備 つづき■

2016-10-04 11:15:04 | 風の吹くまま



体育館下のピロティーが準備会場です。


柿内沢鹿踊さんの向うに、午前の鳥谷崎神社奉納を終えて到着した金津流石関獅子躍のみなさんが。
その向う、壁にササラを立て掛けているのが行山流都鳥鹿踊のみなさんです。





11:56頃の画像、まだまばらな準備会場。
お疲れのご様子で仮眠をとる方も写り込んでいました






行山流都鳥鹿踊さんの唄が踊り組さんのユニフォームTシャツに書かれています。

『寿福には 地神皇神 御立会い 拝み申せや 我等連れづれ 我等連れづれ』



まだまだ時間があったので、あちらこちらとフラフラしながら、また都鳥さんのところでお話していたときに中立さんが見せて下さいました。
前の記事の内容と前後しますが、この時に中立のnontan氏に声を掛けて頂いたと記憶してます。
何だか嬉しくて頭がぼーっとしていて、時間の感覚の記憶があいまいです(笑)

住田町にある鹿踊り団体のこともご存知で、私の記事を読んでいて下さっていたこともあり、ご挨拶したいとの嬉しいお言葉に、柿内沢さんの中立の角鹿氏を僭越ながらご紹介させて頂きました。

さまざまな踊り組が一堂に会して踊るというせっかくの機会なのに、ただ集まって準備して踊り終わって帰るだけ…なんて勿体無いことです!
何かのきっかけがあれば、交流などと大げさのことではなくても、こうして鹿踊りを担う人同士が友好的に挨拶や言葉を交わすことが出来るんですものね。
私はこういう場面に出会えることがとても嬉しいんです


他の踊り組さんたちも続々と集まり始めました。
素顔が写ってしまうので画像は撮れませんでしたが、こんなに沢山の鹿踊りの団体さんが集まる場所に自分がいることが何だか信じられなくて、何をどうしたら良いのかもう半分訳わからなくなりました(笑)

前日に会った踊り手の友人たち(と言わせて下さい)も到着し、シシオドリ話しをしたり踊り方をレクチャー頂いたり、知り合いの踊り手さんたちとお話したりと、まつりの前の高揚した気持ちと再会出来た嬉しさと、もういろんなものが相まった至福の時間がそこにありました。
それにしても行山流舞川鹿子躍さん、一関からと遠いのに到着が遅くてハラハラしましたが(ブルーシートも忘れてきちゃった!)、ちゃっちゃと準備を進めてちゃんと出来上がるところが凄いなと





柿内沢さんも支度を始めました。
(顔出しOKは前回頂いたということで…)






画像左上の壁側の団体さんは、確か金津流野手崎獅子躍さんだったと。
右上は花巻農業高校の鹿踊部のみなさん。男子がいっぱいいました。






一番手前の頭は中立の頭。
いつの頃から伝わるものなのか定かではないという、大変希少な四つ叉の立派な鹿の角。



SNSでお知り合いになったスペイン在住の東和町にゆかりのある素敵な女性と、この日初めてお会いすることも叶いました
想像したとおりの聡明な方で、初めての対面とは思えないほど打ち解けてお話することが出来ました(*^_^*)


ちょろちょろしている間に、あちらこちらで装束の着付けが始まり、ふと見渡したところ都鳥さんも付け始めていたので、またまたお邪魔しました!





中立のnontan氏。
お顔は都鳥鹿踊の字のスタンプで失礼します。


nontan氏が 『袴の文様は何を表しているか分りますか?』
…五色の市松模様…うーん、分りません。
『稲穂を表現しているのだそうです』

なるほど~
この意匠、確かに秋の陽に光る稲穂が脳裏に浮かんでくるようです。
まるで印象派の絵画の手法を見るよう!

後でググってみましたが、行山流都鳥(とどり)鹿踊が伝わる地域は、広い扇状地にイグネ(屋敷林)が点在し田畑が広がる、秋には黄金に輝く稲穂がさぞや美しいだろうなと想像出来る地域でした。
鹿踊りの装束にそれが伝わる地域の原風景が表現されている…、素敵ですね

nontanさん、教えて下さってありがとうございます。





都鳥さんのササラ(腰差し)に対する私の疑問点が、解決しました!


この位置に来るんですね~。なるほど。
都鳥鹿踊さんは、斜め後ろの角度でササラを着ける踊りなんですね!
私が今まで観たことのある踊り組では、宮城県栗原市の一迫(いちはざま)の清水目(すずのめ)鹿踊さんがそうでした。

それぞれ装束の構造や着付け方など、よくよく見ると違いや工夫沢山あります。
時間がいっぱいあったら、ひとつひとつ検証と比較をしてみたいところです。






こちらは胆沢郡金ヶ崎町の…
皆白行山流三ヶ尻鹿踊(みなしろぎょうざんりゅう みかじりししおどり)さん、かな?
幕を後ろで結ばない踊り組さんなんですね。
今まで金津流鶴羽衣さんのしか見たことがありませんでした。
(ササラの角度に注意!)






こちらは拙ブログではお馴染みの、一関市舞川の行山流舞川鹿子躍のみなさん。
(ササラの角度に注意!)






行山流山口派柿内沢鹿踊さん(中立)。こちらは行山流でも山口派の踊り組。


ササラは後ろ斜め気味ですが、角の邪魔にならないようにわざとしていると以前聞いたような…。
踊り出すと、腰を下ろして猫背気味の姿勢をとり、頭を下げ気味(顔を少し下に向けて)で踊るので、ササラは垂直近くに、時にはそれ以上になります。





気仙地域の山口派ですのでササラが長いのが特徴かと。
後ろには花農の鹿踊部(春日流)の踊り手さんたちが。
(ササラの角度の注意!)






一際目立つ、天井に付くほど長いササラです。


花農の生徒さんたちがその姿をまじまじと見て、長~いと話している声が聞こえてきました。
先刻、その長いササラをどこぞのベテランと思しき踊り手さんがわざわざ来て冷やかしていったようですが、まぁどこにもいるんですねこういう人が





はい、また行山流都鳥鹿踊さんの中立さんの装束です。


ササラには五色布。
五色は詳しい意味合いは異なるようですが、神道にも仏教にも共通するもので、この五色を着けるのは他の踊り組にも散見されます(舞川さんなども)。
幕は先ほどの三ヶ尻さんと同じく、後ろで結ばずにそのままの状態です。

ながしには 「冨士麓(ぶじふもと)行山躍」 と 「五穀成就」 の文字が。
団体名にはありませんが、都鳥さんは冨士麓系なんですね。
しかしながら、奥野流とか冨士麓行山流と呼ばれる由来は何なんでしょう。
踊りや太鼓のリズムが特徴的な宮城の清水目さんなどは、早川流と謳いながらもながしに行参の文字があるし。

うーん、奥深い。





こちらは中立の正面の姿。
側鹿の袴の紋様は源氏車。
(ササラの角度に注意!)


源氏車は私の実家の家紋だと言うと、じゃあ○○さんですね、この家紋は○○さんだから(笑)と若鹿さんが
しかし、うっかりしてました!
大口袴に描かれているものを見せて頂くのを忘れてしまいました~

動画で確認したら女鹿(この表記でいいのかな?)のながしには 「豊年躍」 の文字が、側鹿のながしや大口袴には武将が描かれていました。
豊臣秀吉と加藤清正(らしい)と踊り手さんがSNSで教えて下さいましたが、これなんですね!


ササラの角度はそれぞれ特徴がありますね。
金津流さんのササラは垂直に近い角度で、踊り方も、上半身は前かがみにならないで背筋を伸ばして踊るのだそうです。
角の角度、ササラの形状と角度などその踊り組独特の装束のしつらえ、装飾や利便を考慮した工夫、意匠とその意味…踊りや太鼓や歌の他にも、見るべき点は沢山あります。
こんな貴重な機会はめったに無いのに、時間と体が足りないっ



さてさて、あっちこっちとフラフラしてお世話になる柿内沢さんのことがおざなりになりましたが、これ以降はまた密着させて頂いてパレードの様子を記録させて頂くことになりました。


■花巻へ 其の六 花巻まつり・パレード移動■につづく

#鹿踊り #ししおどり
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2 コメント

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ブログ、見てますよ❗️有り難うでェ〜す\(^o^)/ (nontan)
2016-10-05 00:15:30
たくさん紹介してくれて有り難う御座います(^O^)
まったく情けない話すで正直言うと、改めて由来や装束について自分は生前時師匠から聞いていませんでした。今は先生や先輩方に聞いていますが年のせいか物忘れがち(笑)、踊りの方で精一杯かなぁ…(≧∀≦)
羚英さんには逆にいろいろな事を教えて頂き本当に感謝すており勉強になりますタ、有り難う御座いましたm(_ _)m

おらほの踊はご存知の通り富士麓行山系の行山流であります。奥野流や富士麓行山流も富士麓行山系、それじゃ同系なら同じ踊りじゃないの?と思われますが若干似ていますが踊り方違います。
伝承経路が各団体異なり洗練され各団体とも由来・装束・踊り方等は変わったのではないでしょうか。本来はどの踊り組も流れの源を遡れば同一の始祖と思われますが…😅(※個人的な感想、あしからず)

腰差しは、この様に取り付けると前横斜め自由自在に倒す事が出来迫力増します。都鳥の基本姿勢はくの字型前かがみになるのでササラはほぼ直角に立ちます。鹿頭は左右に振るので角がササラにぶつからない様に注意しながら斜めに腰差しを取付けます。
また踊りの中で「角入れ」といって腰差しの中間に片方の鹿角を入れる所作をするのが一番の特徴、角入れの所作は長年の熟練の結果できるものであって、経験浅いものはなかなか角が入らないのが普通である。角入れの所作は踊る人の上手・下手の基準までされる程の重要な所作の一つです。

えェ〜と、それから幕にも千鳥を使っておりますぞ!
それから、中立の大口の絵は池に咲く蓮華の花(仏陀の教えを描いたもの) 牝鹿(女鹿)の大口の絵は金太郎。

以上補足なつもりですが、理解得られますたか❓ んだなぁ……あしからずm(_ _)m

まだまだ鹿話をすたいけど、また後で😁

※写真のスタンプ、チョ〜、ウケるゥ〜(^O^)
イケメンでわけえものなら顔出しでも良がったけんど、オッサンだもんなぁ〜(爆笑)
返信する
こちらこそ、ありがとうございますm(__)m (羚英)
2016-10-05 21:38:04
こんばんは(^^)

重ねてコメントを頂き、ありがとうございますm(__)m
由来や文書が残っているところとそうでないところと様々のようですが、文書などの記録が見当たらないのならば今から歴史を刻めばいいのではと思います。
後世に残る記録を…nontanさん、頑張って下さーい

私も正直言いますと、金津流から始まって行山・春日と観る機会に恵まれましたが、胆沢や水沢・金ヶ崎、舞川さん以外の県南、そして沿岸の太鼓踊系鹿踊りなどはほとんど未知なんです(汗)
(幕踊りなどは2度とも板沢さん)
踊り組で言えば12団体ほど+合同演舞を何度かしか実際この目で観たことがありません。
だから偉そうに語ってますけど、まだまだど素人の域を出ない状態なんですよ、スミマセン
どのように枝分かれをして完成されていったのか、今はもう確かなことを知るすべがないようですが、伝承の過程や踊りの変遷などとても興味をそそられます。
またまったく地理的に離れたところの踊りに共通点や類似点があると、ああやっぱり元は同じ流れなんだなぁと感慨深くなります
妄想族してます(笑)

くの字にかがんで踊るというのも行山の特徴なんでしょうかね…?
だから腰差しがあれほど斜めになっているんですね。

幕の千鳥がけ、ありますね!色も団体さんでそれぞれで。
小通さんなどは幕の生地同士をくっつけないで離して括っているので透かしになっているし、糸の色も山吹色と朱色で中立と側鹿の房の色とお揃いになっていて興味深いです。
金津流の石関さんや丹内さんなどの幕は五色の糸です。で、今朝尋ねてみたところ詳しいことは分らないそうなんですが、幕の袖にある鱗紋の色合いではないかと。
そういう装束の細かい部分も、よーく見るとさまざま工夫があるんですね~。
恐るべし、鹿踊り(笑)

角入れ、動画にありますか?
今ちょっと忙しくてなかなか落ち着いて動画を観ることが出来ないんですが、是非見てみたいです!
さっき鹿馬鹿さんにその呼称をお聞きしましたが、舞川さんにはやはりそれを出来る人が少ないという角はずしという所作がありますし、大東の鹿踊りもやるそうです。
角をササラに云々…という所作は、行山によく見られるみたいですね!

大口袴の紋様を教えてくださってありがとうございます。
普段は隠れてあまり見えませんが、踊りの中でチラッと見えるのもまたオツなものですなぁ(笑)

話は尽きませんね
あのスタンプはnontanさんお顔を隠す苦肉の策でしたが、お気に召して頂けましたか?
この際顔出しOKにしてみてはどうでしょ?
このスタンプは郵便年賀.jpで作れますので是非いろいろ試してみて下さい

沢山ご教示下さいましてありがとうございます
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