年々にわが悲しみは深くして
いよよ華やぐいのちなりけり かの子
歌人・作家でもあった岡本かの子の生涯は、芸術と自分のいのちとの戦いであった。
純粋で童女のようなかの子は絶望的ともいえる葛藤を常に抱えていた。
それは純粋さを貫き通したゆえの宿命ともいえるかも知れない。
文学座公演 「エゲリア」とは、ローマ神話の泉の精の名前で、
かの子が生前 「湧き出る泉のように男たちへ永遠に智を与えるエゲリアになる」 と言った言葉から
このタイトルになったという。
舞台はかの子亡きあとの夫・一平と、息子・太郎の会話があり回想シーンではじまる。
岡本一平は当時誰もが知る漫画家であり放蕩にふける毎日が続いていた。
ふたりの結婚はすでに破綻寸前であった。
その苦悩からかの子は精神に障害をきたし入院する。
自分の愚かさを悔いた一平はそれからかの子のために生きていく。
一平はかの子を深く愛したが、一般の夫婦とは異なる関係であった。
芸術を理解し、彼女の愛人をも同居させる不思議な家族構成が存在することになった。
しかしその不思議さは危険とすれすれの上で成り立っているともいえる。
かの子の激しさは時に修羅場を生み悲劇を呼ぶ。
その激しさの裏には脆くこわれるガラスのような心に泣いている岡本かの子自身の姿があった。
エゲリアのように処女性と母性とを併せ持つかの子のガラスから響く
涙の音色を聞いた慈愛に満ちた男たち。
一途に生きたかの子の受難はまた清らかないのちそのものであった。
作 瀬戸口 郁
演出 西川 信廣
幼い時から見慣れている白粉花(オシロイバナ)
夕刻から咲くため、別名を「夕化粧」ともいう。先人たちが名づけた詩的な名称だ。
英名は「Four o'clock/午後4時花」といわれる。
元は赤と黄の単色が交配したものなのか
同じ模様の花がふたつとして見当たらない。
こんな小さな花にも運命というものがあるらしい。
フランスのアルプ=マリティーム県にあるマントンはイタリアとの国境の街。
そのマントン市庁舎内にある「婚礼の間」にジャン・コクトーは1957年~58年にかけて装飾を手がけた。
「La Selle des Mariages Hotel de Ville de MENTON」
1958年 モナコ デュ・ロシュ社発行
明るい色彩でくるくる線を引いた表紙
中に収められている写真はすべてモノクロ
右の写真は新郎新婦が入場する入り口に描かれたマリアンヌ
新郎新婦の背景になる絵は
「婚約者達」
この地方の帽子を被った青年と、向かい合う婚約者。
南フランスの太陽がふたりに注ぐ。
この絵は大きく床から天井まで描かれている。
新郎新婦の席に向かって右(東側)の壁画は「婚礼」
白馬に乗って出発するカップルに花を捧げたり贈り物を頭に載せる女性。踊る青年、そして不服そうな母親の顔、
右端には疎んじられた女性を青年が抱いている。
これらの要素をコクトーはアフリカの土着的イメージで構成した。
その向かいの左(西側)の壁画は「ユーリディスの死」
オルフェウスの伝説から竪琴を失うオルフェと右端の死せるユーリディス。中央はケンタウロスの戦い。
天井画のモチーフは「詩と科学」
手前のペガサスに乗った青年の絵は「詩」
その奥の翼の青年は「科学の貧困」
そして一番奥が「愛」
式場内の絵は、そのコーナーによってコクトーが様々な要素を取り入れて製作したことがわかる。
葉のフロアスタンド、真紅の椅子、豹柄の絨毯まですべてジャン・コクトーのデザインで構成されている。
場内は撮影禁止だが、新郎新婦の椅子には座っても良いと受付の女性が扉の鍵を開けてくれた。
コクトーがマントン市へ心血をそそいで捧げた鮮やかな色彩の婚礼の間は、南フランスの太陽のもと
で新しい門出に出発するカップルを包み込むようだ。
製作中のジャン・コクトー