2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/b0dc79dbf0f02b0decc161ae2870bdc6.jpg?random=1330966b8ecb24980607f3d37587b118)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ルネサンスを今に伝える花の都と呼ばれるフィレンツェには、
勿論沢山の見所があるのですが、
初日の夕方に見た印象が忘れられず、
結局フィレンツェにいた3日間全部、
この大聖堂へ通いました。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ed/62ae5269dbc846e7d15dceb948248c53.jpg?random=9fe850803c3ec77ebf41a91de3fa8e7b)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
(花の聖母の大聖堂)ですが、
一般的にはドゥオモと呼ばれています。
ドゥオモとはそのコムーネ内で中心的な聖堂
(正確には大司教座聖堂)をさし、
例えばラヴェンナのドゥオモは、
ネオニアーノ洗礼堂に隣接していました。
人が写り込んでいるので多少おわかりかと思いますが、
とにかくでかく、そして大理石製なので、
重量感もありますが、
白い大理石が、軽やかな印象を与えています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c6/9b0211cf3ddc7a25bde28fc57f65d6ca.jpg?random=cd7c609b89898674a9f2bb22252d567c)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
1300頃から約150年かけて基本構造が完成し、
巨大なクーポラはルネサンス初期、
ファザードは19cのものなので、
足掛け600年!かけて完成した、
イタリアン・ゴシックの大聖堂です。
建物は全体がイタリアン・カラーの白、赤、緑
の大理石で埋め尽くされています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/08/a40f34e842e88da7f4c70f40c6b337c8.jpg?random=90f821759f4ec39afb2170e363d4b713)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
聖堂に隣接して建つ鐘楼は、
ルネサンスの先達にして天才画家&建築家、ジョットの設計。
聖堂が完成するよりも前に完成していたそうです。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b9/78d2c4e927d6a3b31db87e0cdd6876e3.jpg?random=3d4796cfa2cea171948c2fb7dc719892)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
一番上の画像の中央下に写る中央入口のアップ。
ファザードを全体で見たときの複雑な印象は、
この扉だけを見てもあまりかわりません。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/59/a7b6ebd6dc313f9fe53c996b1ca78aef.jpg?random=2b40af724d2dcd5a70d4757cb6810fbe)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
更に扉の右下の1コーナー、
3聖人が居る部分だけを見ると、
やはしこれだけでも見応えがある造りです。
ちなみにこの門は聖堂の中では比較的新しいものですが、
それでも完成が1903年なので、
100年以上前のものなのですね。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/dd4ba1ed10a1453fa664316c3495466c.jpg?random=4e5ab5d8359eb3d5747784d433ba2b48)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
その上の天使のレリーフ部分もまた、
これだけでも見応えのある造りをしています。
画像が仰角になっているのがおわかりかと思いますが、
全体画像を見ると扉の中央より下なので、
扉がどんだけ大きいいかがおわかりかと思います。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/33/9a373c519aa873482fdc0a8a8818feff.jpg?random=3cf0158d32bb38df9eff486c122d5684)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
次は門の上の部分のアップです。
この部分もまた、ことのほか細かく装飾されています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/29/d0217d961e87f31181509e38a3aaeed4.jpg?random=8685c3e4c8cfe74bedeedea678a4ed1c)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
次は門の横の柱に凹みの部分。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/b7/96b9818ef8b73c523c9775b602eddabf.jpg?random=e4d6f7cb14ba698f38acb038ed817ab3)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
こんな小さな所まで、3色大理石で凝った造りです。
ただし、色が色なもんで、日本人には、
雛祭りの三色菱形餅にもえなくもありません。
執拗なまでに複雑に奥行きを付けるのは、
おそらく自然の複雑さを表現したかったんではないでしょうか。
廃墟はツルッとした現役の時のルックスに比べて、
ヒビや錆びや崩れや植物の浸食で、
魑魅魍魎ととした複雑さを作り出しますが、
この大聖堂のファザードは、
まさにそれに匹敵する複雑怪奇な奥行きがありました。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/99/b0dc79dbf0f02b0decc161ae2870bdc6.jpg?random=1330966b8ecb24980607f3d37587b118)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
ルネサンスを今に伝える花の都と呼ばれるフィレンツェには、
勿論沢山の見所があるのですが、
初日の夕方に見た印象が忘れられず、
結局フィレンツェにいた3日間全部、
この大聖堂へ通いました。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/ed/62ae5269dbc846e7d15dceb948248c53.jpg?random=9fe850803c3ec77ebf41a91de3fa8e7b)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
(花の聖母の大聖堂)ですが、
一般的にはドゥオモと呼ばれています。
ドゥオモとはそのコムーネ内で中心的な聖堂
(正確には大司教座聖堂)をさし、
例えばラヴェンナのドゥオモは、
ネオニアーノ洗礼堂に隣接していました。
人が写り込んでいるので多少おわかりかと思いますが、
とにかくでかく、そして大理石製なので、
重量感もありますが、
白い大理石が、軽やかな印象を与えています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/c6/9b0211cf3ddc7a25bde28fc57f65d6ca.jpg?random=cd7c609b89898674a9f2bb22252d567c)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
1300頃から約150年かけて基本構造が完成し、
巨大なクーポラはルネサンス初期、
ファザードは19cのものなので、
足掛け600年!かけて完成した、
イタリアン・ゴシックの大聖堂です。
建物は全体がイタリアン・カラーの白、赤、緑
の大理石で埋め尽くされています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/08/a40f34e842e88da7f4c70f40c6b337c8.jpg?random=90f821759f4ec39afb2170e363d4b713)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
聖堂に隣接して建つ鐘楼は、
ルネサンスの先達にして天才画家&建築家、ジョットの設計。
聖堂が完成するよりも前に完成していたそうです。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b9/78d2c4e927d6a3b31db87e0cdd6876e3.jpg?random=3d4796cfa2cea171948c2fb7dc719892)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
一番上の画像の中央下に写る中央入口のアップ。
ファザードを全体で見たときの複雑な印象は、
この扉だけを見てもあまりかわりません。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/59/a7b6ebd6dc313f9fe53c996b1ca78aef.jpg?random=2b40af724d2dcd5a70d4757cb6810fbe)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
更に扉の右下の1コーナー、
3聖人が居る部分だけを見ると、
やはしこれだけでも見応えがある造りです。
ちなみにこの門は聖堂の中では比較的新しいものですが、
それでも完成が1903年なので、
100年以上前のものなのですね。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b8/dd4ba1ed10a1453fa664316c3495466c.jpg?random=4e5ab5d8359eb3d5747784d433ba2b48)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
その上の天使のレリーフ部分もまた、
これだけでも見応えのある造りをしています。
画像が仰角になっているのがおわかりかと思いますが、
全体画像を見ると扉の中央より下なので、
扉がどんだけ大きいいかがおわかりかと思います。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/33/9a373c519aa873482fdc0a8a8818feff.jpg?random=3cf0158d32bb38df9eff486c122d5684)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
次は門の上の部分のアップです。
この部分もまた、ことのほか細かく装飾されています。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/29/d0217d961e87f31181509e38a3aaeed4.jpg?random=8685c3e4c8cfe74bedeedea678a4ed1c)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
次は門の横の柱に凹みの部分。
![サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/b7/96b9818ef8b73c523c9775b602eddabf.jpg?random=e4d6f7cb14ba698f38acb038ed817ab3)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)
こんな小さな所まで、3色大理石で凝った造りです。
ただし、色が色なもんで、日本人には、
雛祭りの三色菱形餅にもえなくもありません。
執拗なまでに複雑に奥行きを付けるのは、
おそらく自然の複雑さを表現したかったんではないでしょうか。
廃墟はツルッとした現役の時のルックスに比べて、
ヒビや錆びや崩れや植物の浸食で、
魑魅魍魎ととした複雑さを作り出しますが、
この大聖堂のファザードは、
まさにそれに匹敵する複雑怪奇な奥行きがありました。
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