黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

イタリア旅行記 #14 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 1

2011-04-22 00:58:04 | イタリア旅行記
2010の暮れに行ったイタリアの旅行記です。
今回はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂@フィレンツェです。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

ルネサンスを今に伝える花の都と呼ばれるフィレンツェには、
勿論沢山の見所があるのですが、
初日の夕方に見た印象が忘れられず、
結局フィレンツェにいた3日間全部、
この大聖堂へ通いました。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
(花の聖母の大聖堂)ですが、
一般的にはドゥオモと呼ばれています。
ドゥオモとはそのコムーネ内で中心的な聖堂
(正確には大司教座聖堂)をさし、
例えばラヴェンナのドゥオモは、
ネオニアーノ洗礼堂に隣接していました。

人が写り込んでいるので多少おわかりかと思いますが、
とにかくでかく、そして大理石製なので、
重量感もありますが、
白い大理石が、軽やかな印象を与えています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

1300頃から約150年かけて基本構造が完成し、
巨大なクーポラはルネサンス初期、
ファザードは19cのものなので、
足掛け600年!かけて完成した、
イタリアン・ゴシックの大聖堂です。
建物は全体がイタリアン・カラーの白、赤、緑
の大理石で埋め尽くされています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

聖堂に隣接して建つ鐘楼は、
ルネサンスの先達にして天才画家&建築家、ジョットの設計。
聖堂が完成するよりも前に完成していたそうです。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

一番上の画像の中央下に写る中央入口のアップ。
ファザードを全体で見たときの複雑な印象は、
この扉だけを見てもあまりかわりません。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

更に扉の右下の1コーナー、
3聖人が居る部分だけを見ると、
やはしこれだけでも見応えがある造りです。
ちなみにこの門は聖堂の中では比較的新しいものですが、
それでも完成が1903年なので、
100年以上前のものなのですね。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

その上の天使のレリーフ部分もまた、
これだけでも見応えのある造りをしています。
画像が仰角になっているのがおわかりかと思いますが、
全体画像を見ると扉の中央より下なので、
扉がどんだけ大きいいかがおわかりかと思います。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

次は門の上の部分のアップです。
この部分もまた、ことのほか細かく装飾されています。





サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

次は門の横の柱に凹みの部分。



サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(画像はクリックで拡大します)

こんな小さな所まで、3色大理石で凝った造りです。
ただし、色が色なもんで、日本人には、
雛祭りの三色菱形餅にもえなくもありません。

執拗なまでに複雑に奥行きを付けるのは、
おそらく自然の複雑さを表現したかったんではないでしょうか。
廃墟はツルッとした現役の時のルックスに比べて、
ヒビや錆びや崩れや植物の浸食で、
魑魅魍魎ととした複雑さを作り出しますが、
この大聖堂のファザードは、
まさにそれに匹敵する複雑怪奇な奥行きがありました。


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