黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #09 唐人屋敷跡2

2009-04-20 02:33:13 | 長崎さるく
1600年代後半に造られた唐人屋敷はその約100年後の大火で全焼。
以降自由に屋敷を建てる事を認められたものの、
1859年の開国によって多くの中国人は現在中華街がある新地へ移り住み、
廃墟化して行ったそうです。

さすがに150年も前に廃墟化した場所だけあって、
現在は当時の住宅は残っていません。
唯一残っているのは当時敷地内に建てられた御堂だけです。
しかしこの残っている御堂が、
どれもこれも<日本化>していない強者ぞろいです。

◆天后堂◆



実在の人物、媽祖(まそ)様を祀った天后堂。
元来の建物ではなく明治39年(1906)に再建されたものだそうですが、
それでも100年以上の歴史がある建物。
基本的には煉瓦造りだと思いますが、とてもそうは見えません。
手入れが行き届いているんですね。







手前の垂れ幕はお供え台に掲げられたもの。
金の刺繍文字「天上聖母」は媽祖様の別名。
海の神様としてあがめられ、航海のときには一緒に船に乗せ、
停泊すると、その停泊した土地に降ろして、
そこに祀ったそうです。





◆観音堂◆



現在のものは大正6年(1917)に、
当地の華僑によって改修されたものだそうですが、
手前に写る入口のアーチは創建当時のものと言われているそうです。
もっともつなぎは後年の補修だと思います。







堂内は全て真っ赤に塗装され、内壁も赤い煉瓦製です。
ご神体を祀るスペースが2つあり、
右側には小さいながら綺麗な白亜の観音様が祀られています。
それはそれで良いんですが、
左側の妙にリアルな彫像が気になります。







関帝、すなわち関羽ですね。
それにしても凄い顔立ちです。
ドレッドの髭を右手で持ち上げてるのも驚きです。
観音様といえば仏様、そして関帝といえば商売の神様。
日本で言えば、
観音様の隣に菅原道真が祀られている様な感じじゃないでしょうか。

中国での神仏混合がどういう状況かはわかりませんが、
日本での神仏混合はあまりみかけません。
特に堂内に隣り合わせで神様と仏様というのは珍しいのではないでしょうか。
真っ赤な空間とともにエキゾチックです。

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