黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

廃線:鶴見線石油支線 #02

2005-12-19 03:04:50 | 鉄道遺産


京浜工業地帯のど真ん中を貫通するように走るJR鶴見線。
その支線に<石油支線>という変わった名称の支線があり、
しかも何十年も廃線状態だと言う話を聞き、
見学に行ったときのレポートです。

そもそもこの全長10km程度、
本線の駅が10駅しかない、
工業埋立地を貫通するJR線は、
各埋立地にある事業所へ行くための、
工場通勤専用線的な役割が強い路線だと思います。



事実、今回見学に行った石油支線の隣の支線<海芝浦支線>の終点、
<海芝浦>は、一般乗客でも行くことはできるものの、
改札から出ることはできません。
改札から出られるのは駅の先にある東芝の関係者だけで、
一般乗客は駅構内に造られた小さな公園で時間をつぶすか、
プラットホームから見える海を眺めて引き返すしかありません。
※この海芝浦支線は廃線ではないので、
このblogでとりあげることはありませんが、
<海芝浦>の光景は、この特集をアップするきっかけを頂いた、
Roc写真箱のGG-1さんの海芝浦の黄昏をご覧下さい。

JR鶴見駅から鶴見線に乗って3つ目の駅<鶴見小野>あたりを越えると、
それまで近郊都市のマンション街を走っていた光景から、
にわかに住宅が減り、かわりに工場系の風景にかわっていきます。
そして鶴見から約10分、
石油支線への分岐駅<安善駅>に到着したので、
電車を降りることにしました。



昼の時間だったせいもあるのか、
乗降客は私一人だけでした。
電車がいなくなると、構内にヤードが広がり、
<石油支線>という言葉を裏付けるように、
石油のタンク車が何台も停車しています。

さて改札をでようとすると、
あたりに駅員さんの気配が全くありません。
かつて出札のための窓口だっただろうと思われる窓はありますが、
もう相当長い間使用されていない様子です。
もともとsuicaで乗車してきたのを、
鶴見駅の構内改札で切符に交換させられたのはこのためです。
年期の入った集札箱に切符を入れ、
<石油支線>に向かって歩き始めました。



因みに鶴見線は、鶴見駅以外全駅無人駅ですが、
全線無人化が施行されたのは遙か昔の、
昭和46年(1971)のことだそうです。

>次の記事  >この特集を最初から読む

■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#01 鶴見駅・本山駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


廃線:鶴見線石油支線 #01

2005-12-18 01:29:46 | 鉄道遺産


東京と神奈川をまたいだ湾岸沿いにひろがる京浜工業地帯には、
日常の生活とはかけ離れた様々な工業施設が密集しています。
その中の一つが時々このblogでもとりあげている千鳥町の埋立地ですが、
それとは別に今回取り上げるのは横浜市に入ってすぐの、
安善町の埋立地です。

この安善町に<石油線>という変わった名称の路線があることを知りました。
しかも既に廃線になって何十年も経っている路線でもあると聞き、
さっそく見学に出かけてみることにしました。
(といってもだいぶ前の話なので、
これから取り上げる遺構が全て残存しているかはわかりません)



今よりはまだ暖かかったとある小春日和の日。
品川から京浜東北線に揺られること約30分。
鶴見線への乗換駅<鶴見駅>に到着します。
普通JRどうしの乗り換えは新幹線などの特別な列車でない限り、
階段のあがりさがりで別のホームへ移動するのが一般的ですが、
この鶴見線への乗り換えは、一旦改札を通過します。
そしてその先に広がる始発プラットホームの光景は、
一見ヨーロッパの始発駅の様な雰囲気もある、
趣のある光景でした。

さすがに東京近郊線なので、発着は頻繁にしているようです。
入線してきた電車にさっそく乗り込んで、
まずは<石油線>の分岐駅<安善駅>へと向かうことにしました。



鶴見駅を発車してまもなくすると、
中央に使われなくなったプラットホームだけがある場所を通過していきます。
廃駅<本山駅>です。
鶴見線が旅客輸送を始めた昭和5年(1930)に、
この本山駅も造られたそうですが、
第二次大戦中の昭和17年(1942)に廃止になり、
60年以上経った今もホームだけが朽ちながら残存しています。
開業当時の写真をみると、
簡単な作りですが木造の三角屋根があったみたいです。

Roc写真箱』のGG-1さんとのお約束で、
この特集をアップすることにしました。

>次の記事

■シリーズ:鶴見線石油支線■
・#02 鶴見線・安善駅
・#03 安善駅踏切・浅野総一郎
・#04 米軍油槽基地
・#05 安善橋・鶴見線の駅名
・#06 車止め・昭和10年の沿線案内
・#07 踏切・戦後の鶴見線
・#08 ヤード跡・安善町の石油会社
・#09 石油埋立地の意味
・#10 浜安善駅・京浜の発展と衰退
・#11 鶴見線と京浜の未来
・#12 最終回
 


新金谷の廃車輌 #06

2005-12-07 05:17:28 | 鉄道遺産


静岡県の大井川沿いに走る大井川鉄道の車輌車庫、
新金谷駅に眠る廃車輌の特集の最後はSLです。
昭和14年(1939)年に作られたこの機関車は、
九州各地で活躍したあと、この大井川鐵道へやってきました。
昭和50年(1975)の廃車以降、部品の交換用として、
この側線で眠り続けています。
撮影したのはちょうど秋たけなわの時で、
機関車の周りを囲むように背高粟立草(秋のキリン草)が群生していました。

しかしこうやって廃車輌をアップしながら見ていると、
乗り物の廃棄物は、建物や施設の廃墟に比べて、
ダイレクトに訴えかけてくるので、
気持ちの逃げ場が少なく、ちょっと困りました。
特に鉄道を走った乗り物はそれがひとしおなので、
本当は不用意にパシャパシャと撮影できるものではないな
と感じます。

ちなみにここ数日に渡ってアップしてきた廃車輌は、
残念ながらいずれも解体されてしまいましたが、
この機関車だけはまだ残されているそうです。

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #01
旧富士身延鉄道 #02
旧伊豆箱根鉄道 #01
旧伊豆箱根鉄道 #02
旧山形交通高畠線
 

新金谷の廃車輌 #05

2005-12-06 04:38:43 | 鉄道遺産


mn89masaさんのblog白黒写真日記をきっかけに、
ここ最近アップしている大井川鐵道に残る廃車輌。
かつて新金谷の側線には沢山の廃車輌が眠っていましたが、
なかでも最も記憶に残っているのが、
画像の元山形交通高畠線の車輌です。
大井川鐵道に来たものの、結局一度も走ることのなかったこの車輌は、
この側線の廃車輌群の中でも、
最も長い間ここに眠り続けていました。
すでに車体の横壁と天井はなく、
かろうじて前後の壁面と床が残っているだけでしたが、
それも殆ど草に覆われていたので、
初めは車輌なのかどうかも解らないくらいでした。
一般的な客車よりはるかに長さが短い、
とてもかわいい車輌だったと思います。

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #01
旧富士身延鉄道 #02
旧伊豆箱根鉄道 #01
旧伊豆箱根鉄道 #02
蒸気機関車C12
 

新金谷の廃車輌 #04

2005-12-05 11:44:58 | 鉄道遺産


昨日の記事でアップした、
大井川鐵道の新金谷に残る、元伊豆箱根鉄道の車内です。
向かい合わせの椅子や網棚など、
まだ人が乗っていたときの様子が残っています。
車体が殆ど植物に覆い尽くされようとしている様子は、
昨日の記事でアップしましたが、
ガラスが割れてなくなった窓枠から、
中の様子を伺うように、枝葉が延びてきていました。

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #01
旧富士身延鉄道 #02
旧伊豆箱根鉄道 #01
旧山形交通高畠線
蒸気機関車C12
 

新金谷の廃車輌 #03

2005-12-04 02:47:15 | 鉄道遺産


画像は静岡県の大井川鐵道に残る廃車輌です。
もともと伊豆箱根鉄道を走っていたのが、
大井川鐵道に引きととられたものですが、
脱線事故で車輌の前面が破損してからは、
この車輌墓地で静かに眠っていたようです。
新金谷の構外側線は、奥へ行くほど草も深くなり、
最奥地に安置されたこの車体の付近は、
画像のように植物天国です。
前も後ろも限りなく植物に覆い尽くされています。
画像の撮影は秋なので、
ススキやセイタカアワダチソウが、
沢山繁殖していました。

白黒写真日記のmn89masaさんのお話だと、
昨日までアップしていた車輌同様、
この車輌も解体されたそうです。

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #01
旧富士身延鉄道 #02
旧伊豆箱根鉄道 #02
旧山形交通高畠線
蒸気機関車C12
 

新金谷の廃車輌 #02

2005-12-03 04:00:11 | 鉄道遺産


画像は昨日アップした大井川鐵道に残る、
昭和初期に造られた客車の車内です。
現役を退いて約30年経つ車内の、
天井が剥落し、長いすが取り外されて物置と化している姿には、
かつてこの車輌が活躍した時代を連想する面影は、
もはやありません。
唯一木製の窓枠が、遠い記憶を呼び覚ましてくれるだけです。
思えば電車の窓は、いつのまにか開かなくなってしまいました。
木枠の両下についたノブを押さえ込んでおもいっきり上へ引き上げ、
片腕を外に出して車窓の風を感じた遠い夏の日の感覚が、
この窓枠を見て甦ってきました。

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #01
旧伊豆箱根鉄道 #01
旧伊豆箱根鉄道 #02
旧山形交通高畠線
蒸気機関車C12
 

新金谷の廃車輌 #01

2005-12-02 01:14:53 | 鉄道遺産
mn89masaさんのblog<白黒写真日記>で、
新金谷駅の構外側線に保存されていた車輌が解体されたと教わったので、
これらの車輌をアップしようと思います。



静岡県の大井川に沿うように走る大井川鐵道。
その車輌基地である新金谷駅から延びる1本の単線をたどって行くと、
使われなくなった車輌がいくつも放置された、
いわゆる車輌墓地のようなところへたどり着きます。
周囲には殆ど民家もなく、砂選工場のトラックだけが出入りする細い道沿いに、
部品のスペア用に保存された2度と動く事のない車輌が、
幾つも静かに眠っています。
画像はまず最初に目に入ってくる、かつて富士身延鉄道を走っていた客車です。
赤く錆び付いた車輌に四方八方から草が絡み付き、
いずれは植物の中に埋没して行くのかと思いましたが、
どうやらそうなる前に解体されてしまったようです。

それにしても乗物の廃棄物は、
建物の廃墟よりはるかに物悲しさを感じるのはなぜでしょうか?
乗物には顔がありボディーがありと、
やはり人の体を連想させるようなつくりになっているからでしょうか?

■シリーズ:新金谷の廃車輌■
旧富士身延鉄道 #02
旧伊豆箱根鉄道 #01
旧伊豆箱根鉄道 #02
旧山形交通高畠線
蒸気機関車C12