るぅあんのブログ”晴れが好き!”

店情報『aboutRouen』に続く、日々の雑感をつづっています。スウイーツの情報などの交流の場にしたいと思っています。

「軍こそ戦争に抑制的で、シビリアンがむしろ攻撃的」ということ。

2015年05月06日 | 日記


三浦瑠麗著『シビリアンの戦争』を読んだ。
この本、副題は『デモクラシーが攻撃的になるとき』、とある。

集団的自衛権にやっきになっている安倍政権を見ていて、
なぜ、「専守防衛」と言っておきながら、
よく聞いていると、遠くよその国まで行って、戦争をしたがっている。

戦争となったら、たくさんの人が殺したり、殺されたりするのに、
なぜ、そんな、70年前に「もう2度と繰り返しませんから」と固く誓った
愚かな行為をやりたがるのか。

印象としては、
自衛隊員の命などよく考えていないように見える。
現政権の座にある人は、
なぜ、こんなに戦争が好きなのだろう?。

この本を読んで、腑に落ちた。
『シビリアンの戦争』のシビリアンは、あの「シビリアン・コントロール」のシビリアンだ。
軍人に対する文民。
プロフェショナルの軍人ではない、政権側や国民(マスコミを含む)のこと。

いわゆる、「好戦的」と思われる軍人に対しての、
それを抑制する側とされてきたシビリアンだ。

だが、そのシビリアンこそ、
主導して、攻撃的な戦争へと突き進むケースが
しばしば見られたのだとして、
4つの事例を基に説明する。
いわく、
イラク戦争、
クリミア戦争、
第一次・第ニ次レバノン紛争、
フォークランド紛争


それらの戦争。
実は、軍は「無意味」といって開戦に反対し
長引かせることなく、短期間で引き揚げよう画策したり、
終戦となれば、いち早く本国に帰国しようとしていた、という。

ゴーサインはシビリアンが出し、
実際に戦わされるのは、戦争を仕事にするプロの軍人たち。

であれば、
意味のある戦争をしたいし、
効率よく戦争を進めたい。
自軍の犠牲もできるだけ少なくしたい。

プロであれば、誰でもそのような「戦争」を目指すだろう。

しかし、著者があげた4つの事例はどれも、
戦争目的があいまいで、
勝機も計算されておらず、
軍は、時の指導者やマスコミ、国民に(シビリアン)に
煽られるようにして「行って来い」と送り出された、という。

時の指導者は、衰える政権への支持を取り返そうとして、
あるいは、どうにもならない国内情勢から、国民の目を逸らそうとして、
戦争を選ぶことがあった
、というのだ。

また国民は、
政府の正義や歴史的正統性が大義に立てられたプロパガンダによって、
義憤に駆られ、戦争に賛成する
ようになった。

また、マスコミは多くの場合、
刺激的で、多くの人が興味を持つ題材を記事にすれば、
自社の新聞や雑誌が「よく売れる」ので、
結果的に戦争を推進する側にまわる
ことになる。

こうして、デモクラシーが攻撃的な戦争に突き進む結果になった。

この本、実は論文なので、とても難解だった。
(なんと本の半分近くが、註釈に充てられている!)
容易に読み進めず、何度も行きつ戻りつしながら、
また、著者のブログや
文芸春秋(5月号)での鼎談(「安倍首相よ、正々堂々と憲法九条を改正せよ」)
そして、著者の最近出した新書「日本に絶望している人のための政治入門」などにも
目を通して、ようやく主張が飲み込めてきたところだ。

特に、日米同盟の「同盟国」であることの現実的な意味
あるいは、自衛隊の存在をどのように法解釈で正当化してきたか
憲法改正の動きは、スジが悪いが、しかしこの機会を
ちゃんと議論を出し合って、日本の民主政治を成長・成熟させる好機ととらえるべきとか
簡単ではなかったが、誤魔化しなく、理解できたように思う。

かの人のポチぶりを「情けない」と嘆くのは、やめた。
この国のおかれた運命を見極め、
未来はどうあるべきか、特に安全保障について
誰か政治家や評論家などが、答えを出すのを待っているのではなく
自分の考えを固め、煽られない自分を造ることが先決なのだなと思ったところだ。。
コメント
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