るぅあんのブログ”晴れが好き!”

店情報『aboutRouen』に続く、日々の雑感をつづっています。スウイーツの情報などの交流の場にしたいと思っています。

広島平和記念碑(被爆建造物)のこと ー 倉敷・広島を訪ねる(その2)

2019年03月31日 | 旅行

この600m上空で、『リトル・ボーイ』は爆発した。

必ず行くと決めていた。
友人(内部被爆しているかもしれない)との約束と、勝手に決めて。
長崎には、2年前に行った。
次は広島、と決めていた。


原子力を戦争の道具に使った人類の「過ち」と「愚かさ」を胸に叩き込むために。
いまだにその愚かさに気付かない人たちへの説得を、あきらめないために。

原爆ドームを上からのぞく位置にある『おりづるタワー』
そのRF(ひろしまの丘)に立ち、つくづく考えた。

一体どう考えたら、
20万人もの(いかに敵国といえども)民間人を、
一瞬のうちに殺戮してやろうなんて考えられるのか。

新型核兵器の威力を試すために、
自暴自棄に陥った敵国の気の狂った者どもに、
今度こそ立ち上がる気を起こさせないために。
自国民には、これ以上双方の兵士や国民の命を失わないですむように、という言い訳をして。

74年前も今も、米政府のその考えは変わっていない。

そして、被爆国の日本は「世界で最も安全安心基準の原発」を売り歩く国になった。
落とした側は、世界平和のために「抑止力としての核兵器」を主張する。

原子力が人間の手に負えない『魔物』と知った今でも、
いつかはコントロールできると、楽観している。
チェルノブイリもスリーマイル島もフクシマも、
取り返しのつかないことが起こったことを認めようとしない。
「なんとかなる、そのうち誰かが・・・」と信じている。

不思議だ。
あまりにも手に負えないことが起こると、
人は、頭を抱えてうずくまる。
見ないようにする。
そして、何でもないことにしてしまう。

ショック状態が落ち着くと見るや、
すかさず「安くて安定的な電気の供給のために」と再稼働を持ち出したり、
住民だった人たちに、
40年は帰れないといわれた土地に、大丈夫だから「帰れ」という。

複雑でどうにも考えられないことだからと言って、
そのことがなくなったわけでもないのに、だ。

そういう自分にも、「使用済み核燃料」を「なんでもないゴミ」にする理論も技術もない。

人間て、ほんとうにバカなんじゃないだろうか。(橋本治氏のことばのように)
本当にできるか、とりあえず作ってみよう、とか。
作れたから、試してみようとか。
試してみたら大変なシロモノだったと分かっても、
「見えない危険」より「経済優先」とか。

いったい、どこに向かって私たちは行こうといているのか。
安心な明日が迎えられるようにするためだったろうに・・・

最近のニュースで、
この原爆ドームの風化の修復と耐震化の工事の問題が出ていた。

全国の業者に入札を持ちかけたが、失敗に終わったのだそうだ。
ドームの手鉄骨構造とレンガ壁を補強するという工事には、
専門の資格を持った技術者が必要なそうで、
そこで2回目は、資格を不問にしても、1社も応じてこなかったという。

この背景には、昨年の西日本豪雨の復旧工事で、
人手が不足しているということもあるそうだ。

原爆ドームは、『広島物産陳列館』(原爆投下時は『広島県産業奨励館』)として104年前に建設された。
当時は元安川の川辺に立つ、白い壁と赤い屋根の大胆なヨーロッパ風の建築として、人の目を引いたそうだ。
30年後、原爆の熱と爆風によってあたりが灰燼に帰したなか、
奇跡的に本屋の中心部は倒壊を免れたという。

人類の愚かさを忘れないための、『負の世界遺産』
修復には、しばし時間が必要のようだ。

おりづるタワーの5階で、鶴を折った。
久しぶりの鶴の折り紙は、果たして自信がなかったが、
いじっているうちに、いつのまにか出来ていた。


折った鶴は、『おりづるの壁』(参加型プロジェクト)に落とした。
2年間ですでに、25万もの鶴が蓄積されたという。
目標は40万と、聞いた。








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倉敷・広島を訪ねる(その1)

2019年03月18日 | 日記


昨年の西日本豪雨災害の復興に、「訪れるのも支援」に応えて出かけた。
真備町の被害は、未だに傷跡が癒えてはいないが、
被害のなかった倉敷の観光地があおりを食う形になっていると、
ニュースで聞いたから。

倉敷観光といえば「美観地区」だろう。
ほかに水島石油コンビナート工場群の夜景児島ジーンズか。
しかしそういう目的なら、岡山市の方がはるかに楽しそうだ。
(ガイドブックを見る限り)

それなら、なぜ一直線に「美観地区」か。
「マスキングテープの聖地」に惹かれたのだ。
かの、「mtシリーズ」は、
知る人ぞ知る「ハエ取りリボン」や「養生テープ」の「K井株式会社」の製品だ。
そしてその本社工場が倉敷にある。

だからといって、工場見学を申し込んだわけではない。
今やmtシリーズは全国どこの文房具店や雑貨屋で手にはいるし、
今さらという感じもする。
一頃の「マステブーム」も落ち着いたのではなかろうか。
そういうわけで、自分はブームに遅れて参加している。

倉敷は町全体で、マスキングテープを盛り上げている。
だから『聖地』であるわけで、
「K井」ばかりでなく、倉敷なんとか委員会とかいう団体が
オリジナルなテープを創って、その数500種類とも600種類ともいう。

出かける前から既に何種類か持っているのに、
このうえ何をとツレは言うのだけれども、
マステだらけの店が並んでいるというのも壮観だろうと、
かなり期待して行ったのだった。
なにせ当方、年季の入ったブンボウガーだ。

春まだ浅い、草木萌えいずるまでにはあと少しという時期もあって、
倉敷川の『くらしき川舟流し」(12月~2月は、土・日のみ運行)も見かけることなく、
人力車はお値段が高く、
美観地区というのは何もかもがこじんまりとして、
高齢者の徒歩でも、あっという間に一周してしまえる地区なのであった。


マステの品揃えが一番という『T』店は、あろうことか着いたその日は定休日。
翌日は本通り商店街を通って駅へ戻る予定だったので、
結局当初の目的「マステの旅」は中途半端になってしまった。

が、収穫はこっち。
ホテルのそばの『大原美術館』は、お奨めスポットだ。
日本最初の私設西洋近代美術館で、
モネの『睡蓮』やエル・グレコの『受胎告知』、ゴーギャンの『かぐわしき大地』など、
世界に名だたる名画を見ようと、年間40万人が訪れるという。


本館、分館、工芸・東洋館と、
そこから少し離れた倉敷アイビースクエア内の『児島虎治郎記念館』を合わせると、
鑑賞するにはかなりの時間がかかる。

今回は、『児島・・・』は諦めた。
それでももう十分と思えるほどの作品数だった。
(疲れてすぐ隣の甘味屋で、お汁粉を注文したほど・・・)
その多様さは、規模こそかなわないが、ルーブル美術館や大英博物館に似ている。

設立者・大原孫三郎の依頼を受けて、
買い付けに奔走したという児島虎治郎。
画家としても多くの作品を残し、48歳で過労で亡くなったという。
とにかく必見だ。

ここでも美術館オリジナル・マスキングテープがあった。
もちろん、モネや児島の作品がモチーフになっていた。

遠く東北から倉敷まで、朝早い新幹線でもほぼ1日がかり。
倉敷を味わうにはもう1泊が必要と思った。

「KKホテル」のロビーを50年以上見守っている。木版画としては世界最大だそう。


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嗚呼また、日本は知性を失った。

2019年02月24日 | 日記


橋本治さんが逝ってしまった。
先月の29日だったと,
Y新聞にあった。

去年、その新聞に氏の小説
『黄金夜界』が連載されていたので、
大きく扱われたのだろう。
テレビやネットではあまり流れなかった。
氏が生前言っていたように、嫌われていたのかもしれない。

氏は自身の著作の中で、「自分はバカだ」という表現を何度となく書く。
人が分かりやすいような文体で書かないし、
人がいやがることを、いやがられてもなお話し続けたりしてしまう自分は、嫌われて当然だと、
書いている。(『九十八歳になった私』)

今日、その『九十八歳になった私』を読み終わった。
平行して読んでいた『知性の転覆』は、題名の割には難しくなく、
先に読み終わっていた。

二冊の本で氏の言いたいことは、何となくだが、こういうことだと思った。
人間は、皆バカなのに、
だがしかし、自分はバカだはない、バカなことなことはしない、と思っている。
そこのところに問題がある
、と。

だから、自分が間違ったことをしたとき、
それを認めることができず、あるいは認めるのはなんとしても嫌で、
言い訳を必死に考えたり、そんなことになってしまった事への辻褄合わせに汲々する。

氏は作家なのに、学校の作文が大の苦手だったという。
何を書いたらいいのか途方に暮れていたと。
しかし、大学生になって(東大の哲学科に進み)、
自分の頭で考えることが楽しくなり、
作文とは「自分の考えていることを書いていいのだ」と分かった途端に、
作文が得意になったという。

自分の考えていることを書いて良いのだとなったら、
ペンが滑り出した。

ということは、氏は自分の頭で考えることがあったということだ。(おそらく沢山)

逆に、一般人は疲れて「ぼぉーっ」としていて、
その日その日の生活に一杯一杯で、流されていて、
考えなど聞かれたときは、マニュアル通りに答えておけば無難と流し、それでよしとしている。

世に「~文の書き方」本は、星の数ほど出版されていて、
どれか一冊をまじめに読んで「文体」を覚えて、その「場」に当てはめて真似すれば、
誰でも文は書けるのだ。
(覚えられれば、真似できればの話だが・・・・)

しかし、「自分の考え」となるとどうだろう。
誰かの「受け売り」が多いのではなかろうか。
氏がいう「何となく」その時の「流れ」を読んで、
その時その時の「当たり障りのない意見」を持っているだけではないだろうか。

納得することによって癒されることがある」ということが分からないわけではないので、
癒されるように他人の言説を自分の方に引き寄せて、
自分に都合の良い納得をしてしまう傾向・・・(知性の転覆)
」だ。

しかしこの文は次に続いていく。
「少数の人間が頭がよければいい」という時代は、
「なんで俺たちを置いていくんだよ!
という人たちの声によって終わり、
「なんで俺たちを置いていくんだよ!」という人達は、その「俺達」のレベルに合致するような人間を選ぶ。
「それじゃ困るでしょう」というところで2017年の世界はあるんだから、
知性の方も尖鋭で複雑なことばかりを相手にせず、
少しは「人に説明する」ということの必要に目覚めたらどうでしょうか?
・・・
既に世界は、「みんなの頭がもっとよくなければ困る」というところに行っているんですから。


そして、『知性の転覆』は、こんな文章で結ばれている。
-「改革」とか「変革」とか「革命」と言って、外から変えていくのはもう古い。
というか、それの限界は見えている。
話はもっと単純で、「変えなきゃいけない」といわれるものが、自分で反省するのが一番だ。
それなのに、反省しない。
だから、「敵じゃないですよ、敵じゃないですよ」と言って近づいて、内側から「反省」をうながす。
それが本来なのにそれがない。
反省がないから、世界は壊れて手も足も出なくなる。
どうして「当事者」は反省しないのだろう?
すべての元凶はそのことにある。


この「当事者」が、誰をさしているかは明白だ。

東日本大震災の頃、氏は免疫性の疾患を抱えていて、
歩くのも不自由で、杖をつきつつ用事を果たし、
頭もふらふらしているのに、
「いてえよ、いてえよぉ」と叫びながら、毎月100万円の借金を返すために、
文を書き続けていた。

2017年の12月に発行された、『九十八歳・・・』の中でも、
ほとんど絶望的なほどの身体の不調に苦しんでいて、絶叫している。

結局、ガンで亡くなってしまうまで苦しみ続けたのだ。
どうして、こんな善い人が、こんなに苦しまなければならなかったのだろう。
「何とかしようよ、みんな。こんなんじゃ駄目なんだよ。」
氏なりのやり方で、
力を振り絞って、辛抱強く説得し続けていたのに。

嗚呼、日本の本当の知性がまた一人、逝ってしまった。

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謹賀新年(2019年)

2019年01月01日 | 日記


今年もよろしくお願いいたします。

今年は干支の組み合わせ60のうちの36番目、
『己亥』「つちのとい」あるいは「きがい」とよむ)の年。
『己亥』の
『己』は、陰陽五行思想陰の「土」で、「植物が生長して、整っている様子」をいい、
『亥』は、陰の「水」で、「植物の生命力が種の中に閉じ込められた状態」をさす。
加えて、
水は土に勝つから、「相剋(土剋水)」なのだそうだ。

このことから、占いなどでは「己亥」の年は、
「今現在の状況を維持し、守りの姿勢に徹した方がよい」ということになるらしい。
だが、『亥』の次の年は『子』、
『子』の意味は「新しい生命が植物の種子の中に生まれた状態」となるので、
『次の段階に向かっての準備期間、充電期間」と前向きに捉えた方がよさそうだ。

なお、
60年前の『己亥』の年には、現天皇が結婚された年とのこと。
その60年後に退位されるという、このめぐり合わせにもなった。

また、戦後最大の高潮被害と言われた『伊勢湾台風』も、この年。
「防災意識を改めて高めるという年」と考えるのはどうだろうか。

干支は植物の状態を表しているが、
『亥』はまた、動物の『猪』の字をあてて、『いのしし年』ともいう。
「イノシシ」は、とても
生命力の強い動物だそうで、
上記の「じっと我慢の準備期間」も、
亥(猪)年生まれの人は、
「粘り強く、しかし諦めずに次の機会をうかがう、体力の持ち主」ともなる。

最近のニュースで、イノシシ被害が取り上げられていた。
農作物を食い荒らされるだけでなく、これだけでも深刻な被害なのに、
近年、人里に出没するニホンイノシシの数が増加傾向で、
大の大人に向かって突進してきて突き倒す被害も頻出しているのだという。
鋭い牙を持っているから、大怪我になるのだと報道していた。

そのイノシシの肉。
味は鯨肉に似ているのだそうだ。
別名「山鯨(やまくじら)」ともいい、
滋養強壮・万病に効くとのことで、「牡丹鍋」が有名だ。
「ジビエ」ばやりだが、野生の猪の肉はきちんと処理したものでないと、
「E型肝炎」ウイルスを持っていることがあるので注意が必要だとか。
調理する場合は、十分な加熱処理をしなければならないのだと、きいた。

ともあれ「イノシシ年」は
「無病息災の年」として、健康増進に励むのもいいのかなと思う。

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些事ですが、○○試験結果についてご報告。

2018年12月21日 | 日記


まったくもって小さな、まったくもって私事ですが、報告します。
とにかくうれしくてうれしくて、仕方ありません。

宮城野書人会の『○○(実は師範)試験』、
合格しました。
「何年かかるかなあ」と覚悟していたのに、
なんと1年で、合格させてもらいました。

10科目、800点で合格のところ
803点で通過しました。
8科目は、合否すれすれだったということですね。

師事している先生には、
「夏季錬成会で『佳良』をもらっても、80点以上はもらえないのよ。」
と、慰めていただきました。

すれすれでも、合格は合格。
ほっとしました。
開放感で一杯です。
なにしろ、4月から11月まで、まさに脇目もふらず頑張ってきたのですから。

世に書人会の師範合格者は、数多くいらっしゃるはずなので、
なにをそんなにはしゃいでと思われても仕方がないことですが、
うれしいものは、うれしいから仕方ありません。
毎日ウキウキと、「お祝い、お祝い」と騒いで、周りに迷惑をかけています。

80点以上を取れたのは、『細字』と『理論』でした。
特に、『理論』は、
添削をお願いした審査の先生から、
「直すところがないので、このまま提出してください。
添削しなかったので、添削料の半分をお返しします。」

というコメントとともに返送されてきたときには、
びっくりしてしまったと同時に、
”なんて清廉潔白、なんて良心的な審査員の先生なんだ”と感動さえしてしまいました。

その先生は、山口県にお住まいなのです。
書人会の行事があるときは、
あまりお体の丈夫な方ではないらしいのですが、
後進を育てるためにと、わざわざ山口から出ていらっしゃるとのこと。
そのことを聞くにつけても、尊敬の念は弥(いや)増すばかり。

1月からは、師範として、毎月の競書に取り組むことになります。
今度は師範の方々と競争するのですから、
今まで以上の努力をしないといけないでしょう。

ですが、へこたれずに頑張ります!

この試験を通して、
本気になって習字に取り組んで、
いろいろなことを発見し、いろいろな『技術』を知りました。
課題を一心に臨書していると、時に古代の人の息づかいまで感じることもありました。
そして、自分の中の確かな「力」を実感することもできました。
もちろんまだまだ小さい「力」ではありますが。

習い事もいいものだなあ、と思っています。
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