ずっと音楽の話をしていたので、頭を切り替えるのが大変です。
今日は世事の話。
このところ忙しくて、ニュースもあまり聞いていないのですが、もう森友学園の話は収束ぎみなんでしょうか。
いきなりで恐縮ですが、実を言いますと、うちにはテレビがありません。
パソコンに配線すればパソコン画面から見れるのかもしれませんが、それもやっていません。
テレビを見なくなってからはもう20年以上、テレビという機体が家から消えて十数年になります。
やはり今日は世事はやめて、まずはこの話からにします。
テレビを見なくなったのは、阪神大震災直後くらいからでしたが、
その後はオウムのサリン事件、神戸の猟奇殺人事件やアメリカの同時多発テロがあったりして、目的々に見てはいました。
そのうちに太郎君が物心がついたころ、自分でスイッチを付けるようになってしまって、テレビの配線を抜いてしまいました。
その後、引っ越しを契機にテレビ自体をなくしました。
震災にあったのは、たまたま、太郎君を里帰り出産して、数週間後でした。
その話はまたいずれしますが、こちらに帰るにも、電車がすべて止まっていて、帰るに帰れず、それからまた一か月ほど実家にいる羽目になってしまいました。
その頃は前にも書きましたが、父は現役で勤めてましたので、あちこちで色々な情報も集めてきてましたし、
私自身も幼いころからの友達の安否がわからず、訪ねていったお友達のうちがひどくボロボロに壊れていて、どうしたものかと玄関先で待っていたら、
ひょっこり彼女が避難所から帰ってきて、思わず二人で抱き合って泣いて喜びました。
こちら(首都圏)に帰ってきてまず何に感動したかというと、
どの家も壊れずにきちんと建っていること、電柱が地面に垂直に立っていること、信号がこちらが青の時は必ず他方が赤なこと・・・
今、当たり前に生活しているこの環境、本当は人の持つすごいエネルギーで維持されているっていう事が震災を経験すると身をもってわかります。
だって、その時の神戸の街、どこでも立ってあたりを見回すと、どのおうちも壊れて傾き、屋根瓦が落ち、電柱は右に左に傾き、電線が垂れ下がり、道はひびで段差ができて通行不能。
地面から垂直に立っているものが何もなかったです。
そこに立っているとなんかマジックハウスの中にいる感じで、自分が地面に垂直に立っているのかどうかがわからなくて、ころびそうになります。
ちょっと地球がくしゃみをしただけでこんなに壊滅状態になるのかと、驚きました。
話の脱線ついでにもう一つ、感動話です。少し、話の流れとは矛盾しますけど。
その時まだ、太郎君が生まれて数週間で、粉ミルクを使っていました。
地震直後から物流が止まってしまって粉ミルクが不足しているという情報が回ってきました。
聞くところによると皆さん並んで買っているという事で、
私も「えらいこっちゃ」と、朝早くからスーパー(今はなきダイエー)に並びました。
はっきり何時間かは忘れてしまいましたが、1時間以上は並んで、お店が開いて、並んでる方ほとんどが粉ミルク目当てでしたから、
順番に一人当たり2缶だったか3缶だったかどんどん取っていき、
はっきり覚えているのが、ちょうど私の番になってみるとあと残り2缶。
やっぱりね、2缶取れませんでした。後ろの方にもと思って1缶だけ取りましたけど、
生まれたばかりの太郎君、授乳が3時間おきで、1缶では何日も持ちません。
次の日、買い物のついでにスーパーの粉ミルク売り場を覗いてみると、なんと粉ミルクの缶が山のように積んでありました。
レジの方に聞いてみると、テレビで粉ミルクが足りないという情報が全国に流れて、全国のスーパーから神戸にとどんどん送られてきたという事でした。
そこで初めて日本の人たちが、テレビを通じて皆さん神戸のこと、心配してくださっているんだという事を知りました。
ありがたかったですね。うれしかったです。
すみません、話を戻します。
そういう事もあったので、こちらに戻ってきて、神戸のことがどう報道されているのか気になって、
テレビで報道番組を見てましたけど、なんか私の経験した神戸の状況と、話が少しずれているんです。
確かに被災者の人たちが辛い思いをしていて、その立場で報道するのは結構なことですけど、市の職員だって被災者です。
覚えておられる方いらっしゃると思いますが、フラワーロードの市庁舎がぺったんこになって、以後何か月も使えませんでした。
最初の段階では職員、民間、関係ありませんでした。お互いに助け合って、何とか少しでも日常を取り戻そうと誰もが必死になって助け合いました。
そのうちに体育館やテントよりはましな仮設住宅ができてきて、雨露をしのげる、それだけでもありがたいことだと思った方、大勢いると思います。
どういう順番で入るかという事でもめているというような報道がありましたけど、
思うような場所の仮設に入れなかった人がいたというだけで、仮設住宅を立てたことそのものを否定されなくてはならないんでしょうか。
仮設住宅では、家族を亡くした高齢者が孤独死をされたと、誰かが不幸な死に方をしたら、
その責任はだれが取るんだとばかりに誰かを悪者としてやり玉に挙げる、そういう考え、やり方、大っ嫌いです。
特にあのころ、久米宏さんのニュースステーションが高視聴率でしたけど、事が起こってから記者だかレポーターだかが入り込んできて、
「ひどいことになってます、無残なことになってます」
なんて言いながら、さも自分も神戸市民と同じ体験をしたような知ったかぶりで、コメンテーターとかいう人があーだこーだと批評するのには頭に来ました。
私の生まれた時からお隣同士で、引っ越してからも時々家族ぐるみでお泊りし合って仲良しだった幼馴染のお友達、おばちゃん、おじちゃん。
そのおじちゃん、神戸市の助役さんだったんですが、震災後、数か月後くらいでしたか、須磨の海岸で焼身自殺されました。
ホントの事情は誰もわかりません。市長と確執があったとか噂が流れてましたが、時期的に震災が関係しているのは明白です。
市長の笹本さんのお宅、周りの家が修理や立て直しされてきれいなっても、最後まで屋根にブルーシートがかけられていました。
こんな大惨事が起こって、誰もが一生懸命で、良かれと思ってやった行動、判断が間違ってたかもしれないし、人それぞれやり方も違うから内部では争いが起こるかもしれない。
それを好奇心まがいのマスコミに報告する必要ってあるんですかね。日本全国の関係のない人たちにも流す必要あるんですかね。
はっきり言いますけど、視聴率を稼ぐためにいい加減な聞きかじりの情報をもとに、脚色してびっくりするような人物像に仕立て上げて、
それを前提に攻撃するような正義って、それほんとに正義でしょうか。
間違った観点に、偏った意見に基づく世論を自らでっち上げて、世論を味方につけたさも正義の味方のような顔をしたマスコミ、
「ばっかじゃないのっ!!!」
・・・時々世の中に叫びたくなります。
ちょっと、興奮してしまいました。
そういえば若いころの父、よくテレビに向かって
「あほかっ!」
て叫んでましたけど、私も父に似てきたかなぁ。
テレビを無くした後日談、お笑い話も含めて色々あります。
続きは忘れないうちに書きます。
私のようなものは頭を垂れて沈黙するしかありません。
それにしても、二つの町の情景描写は凄いですね、目に見えるようです。