君の友達

日頃思っていること、感じていることを書いていきます。

部活辞めたい事件

2017年05月08日 | 日記

桜餅

ちょっと長めのお休みをいただいて、気分も新たになりました。

5月に入ると太郎君もまた違うステージになっているだろうと、どこかで書いた覚えがありますが、

実家から帰ってみると・・・、案の定・・・。

人生ってほんとに楽しい("^ω^)。 


太郎君が部活を辞める事にしたそうです。

言い出したのは連休初日だったのですが、私はすぐに帰省をしなければならなかったので、あとはパパさんに任せていました。

一昨日帰ってみると、もうやめる方向で連休中も動いていたみたいです。


帰ってからは太郎君と顔を合わせる機会がなかったのと、

太郎君の報告はパパさんであれ、私であれ我が家の中では一度しかないので、その場にいない場合はパパさんと私で情報を共有しなければなりません。

そういうわけで、私は昨日パパさんから報告を受けたわけですけどね。・・・


どこから書くか・・・。とりあえずイントロ部分として、連休前の太郎君との会話から。

太郎君「俺、部活辞めることにした。」

私「(・_・;)……どうして?」

太郎君「もうあの組織とは付き合えない。ついていけない。」

私「そうかもしれないけど、もうあと数か月で引退じゃん。我慢できないの?」

太郎君「その数か月で、大会も、組織の総会も、合宿もあって、それを幹部としてこなさないといけないから、

こんな気持ちでやってても周りに迷惑かけるだけだから、やめるのは今しかない。」

私「今やめたら、部活を就活に利用して、内定出たからさっさとやめたと思われるかもしれないよ。」

太郎君「それはそういうところもあって、あながち間違いではないから、別にそう思われてもかまわない。」

理屈では太郎君には勝てないですので、何とか、何があったのか具体的な事情と、太郎君の部活内での立ち位置を推し量ることができるだけの情報を聞き出そうと、あの手この手で話を引っ張りましたが・・・。


高校時代の最後、ちゃらんぽらんだった太郎君が数か月間だけ在籍をした部活が、なぜか太郎君の気に入って、

大学に入るなりさっさと入部を決めて、それ以来、部活「命」でした。

昇段費用や合宿代を稼ぐために、渋谷のラーメン屋でほとんど毎日深夜バイトをし、

新入生に声をかけまくって例年にないほど入部者を増やし、

練習をつけてくださったOBの方からのアドバイスは事細かにきちんとノートにとり(中高時代の太郎君からは信じられませんが)、

せっせと昼飯をおごって子飼いの後輩を作ったりしてましたから、

これが全部就活のためとは思えませんし、

反対にこれが全部就活のためだったとしたら、信じられないくらいのサイコパスです。


そうそう、野心家の太郎君ですから、「部長」を狙っていた節はあります。

部長はOB の方の決め打ちで決まるのですが、

太郎君、自分が選ばれなかったときはかなりへこんでいました。

四年生の引退は夏なので、太郎君の学年が幹部になったのは三年生の秋からでした。

その時には、自分が選ばれなかった理由も自分なりにわかっていたようで、

選ばれなかったことよりも、選ばれなかった理由が、OBの方に対する不信感となって、尾を引ているきらいがあります。


その時(連休初日)私は太郎君からいろいろ話を聞き出すだけで精いっぱいで、

途中からパパさんも加わったのですけれど、最後にパパさんが一言

「やめると決めたのだったら、後に残らないよう早めに手を打った方が良い。この連休中にも部長に話すんだな。」

私の心の声「いきなりそこかよっ!」


超ドライ系のこの二人、私にはついていけません。

パパさんは本質的にはドライではなくウェットで、考え方はどちらかというと私の方がドライ&論理的なんですが、

こういう人間関係や、組織の話になると訓練の賜物でしょうか、状況把握と判断が異常に速い。


後ろ髪をひかれながら実家に行きましたけど、

連休後半からはなちゃんも実家に来たので、残った二人、太郎君とパパさんが家で何を話したのかは知りませんけれど、

私が帰ってきたらもうやめる方向で話がどんどん進んでいたというわけです。


太郎君の部活、OB も含めると百人近くになるので、具体的なことは控えますが、

上は70才を超える方から、去年まで先輩だったOBの方、

皆さん社会人として活躍されていらっしゃるので、個々にはそれなりに社会性を持っておられると思います。

なぜかそういう方が、一つの組織や集団の中ではそのしきたりや下らない慣習に迎合する、縛られてしまう事が多いです。

太郎君の部活を辞めたい理由、聞きながら心の中では「あるある」感、満載でした。


その最たる世界が今全国的に(?)問題になっているPTAの世界ですね。

私はPTAが無価値だとは思っていませんし、そこに価値も見出していますが、本音のところを言いますと、

「PTA」、面倒くさいです。

おそらく皆んさん共感していただけると思いますが、私の人生の中での、もしくは私の子育ての中でのPTAの優先順位、1番ではないです。

2番でもない。かなり低いです。

私のように目的志向の強い人間は、優先順位3番以下はもうほとんどどうでもよい事です。

そのどうでもよいことに、ここまで時間とエネルギーを費やさなくてはならないのは苦痛以外何物でもない。

愚痴みたいですけど、はっきり言わせてもらえば、週1回のパトロールでさえ苦痛です。


まぁここからは以前に書いた「PTAについて」になりますが、

苦痛以外の何物でもない「PTA」になぜか深くかかわることになってしまった私としましては、

「PTA」がなぜ存在しているのか、もう少し衆知しないといけないとは思います。

が、そのためにはPTAの役を引き受けなくてはならないという矛盾がありますけど。

反対に、なぜ「PTA」の活動にこれだけ時間とエネルギーがかかるのか、

この点については私が経験した小学校ではかなり皆さんで考え、改革をしていました。

「PTA」の問題、当の「PTA」自身がかなり自覚しているのですけれど、なかなか改善がむつかしいです。


太郎君の部活辞めたい騒動に絡めて、一つ言わせていただくと、

「私は(私たちは)この組織の中で、不合理なことも、面倒なことも我慢してやってきたのだから、あなたも我慢しなさい」

この方程式を心の中に持っている人が多いです。

普通なら「自分が我慢したことは次の代にはさせないように、少なくとも自分だけでも周りの人の我慢に気が付くようにしよう」

と思う事が、人としての成長や組織の改革につながると思いますけど。

私は引っ越し族だったので、余計にそれをPTAから感じたのかもしれません。

私が鎌倉で戦ったのはもう一つの、それよりも高次元(?)な思いでした。子供会の会長を(成り行き上)引き受けた時のことでしたが、

地域社会の思い「私たちはこの地域のためにこれだけ崇高な志をもって貢献し、成果もあげてきたのだから、このままの形であなた方も引き継いでちょうだい。」

決してこの言葉をそのまま言われたわけではありませんよ、子供会が地域に無関心だ的なことはそれとなく言われましたけど。

今の30代から40代の小学生のお母さん、大変なんですよ。

ほとんどが共働きでね、たまの土曜、日曜は家族で過ごしたいんです。

子供会の催し物でさえ、家族でお客さんとしてきますから、地域の夏祭りや、市民運動会なんかに「子供会の父兄からお手伝い何名」と振られても困るわけです。

地域活動をされていらっしゃる方の思いも大切にしたいですし、子供が望むからと子供会に入って、行事に参加させるだけで申し訳ありませんとおっしゃるお母さんに強制もできませんし。

「私は中間管理職かっ!!」

たかだか1年間の経験でしたが、私自身良い社会勉強をさせていただいたという事にしたいと思います。(_ _)


太郎君の部活やめたい事件についてのパパさんの意見。

「人が成長するためには、自分と同等かそれ以上の人が構成している組織で経験を積む必要がある。

自分の中で不合理なことだと思うようなことがまかり通っている組織の中では、いくら我慢をしても我慢でしかない。

改革をしようとしても年功序列でつぶされるような組織では、我慢が人としての成長につながらない。迎合することで、自身の人格も下げることになる。

お金をもらってるわけでもないのにそんな我慢はする必要がない。」

天性の中間管理職であるパパさんの意見でした。

 


3 コメント

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お帰りなさい (雄陽丸)
2017-05-09 22:22:10
一週間のご無沙汰でした(玉置宏)(^◇^)。
神戸は如何でしたか。

仰せの通りどんな組織にも其処なりの論理や正義があって、
入ってしまうと誰もがその渦に巻き込まれてしまって、
溺れない為にはよほどの体力を持っていて泳ぎ切るか、
さもなければ思考停止状態で身を任せるしか
無くなってしまうんですよね。
社会的生物人間の、免れ得ない定めですかね。
では又(^^)/。
それを言うと・・・ (ROKO)
2017-05-10 10:34:21
それを言うと、私はオリンピックのバタフライ選手並みの体力の持ち主です。どの宗教団体でも良いとこどりだけしてさっさと抜けてきます。
おそらく誰も信じてもらえないくらい頑固です。・・・というか、宗教にはまってしまうのは愚かだと思っています。愚かでない方もいらっしゃいますが、少数です。自分で物事を考えることと、信仰することは両立します。が、自分で考えることの方が私は大事。宗教心もありますが、すべてにおいて右に倣えはできません。キリスト教は大好きです。お祈りも好きです。イエスも好きですが、そこまでです。今の時代には受け入れられません。
御言葉ですが、 (雄陽丸)
2017-05-10 23:10:07
ROKOさんは頑固ではないと思います。
アイデンティティの塊と言った方が相応しいと思います。
記事から窺われる、ご家族を初めとした他の人への接し方や、
このようなコメントの遣り取りから、そう思われるのです。
真摯で誠実で、他人の言葉に耳を傾ける余裕を持ち、
受け容れるべき事物は率直に受け容れると言ったところは、
単に頑固な人には無いと思います。
頑迷な人は、自身のみに誠実な気がします。
他人の言動を重んじると言う事が無いのです。
そして自身への愛さえもが、盲目的で、自ら起こした波にさえ飲み込まれがちであるような気がします。
一方ROKOさんは、ご自身を大切にする点で一見頑固に見えはするかも知れませんが、
その仕方が違います。自身の本質を大切にするのです。
通奏低音(この喩えは、音楽家のROKOさんには「相応しくない」と叱られるかも)のようにいつも底流にあって、
それこそが自身を自身たらしめている事物、
アイデンティティの拠り所と言ってよい事物、
それをこそ冷静に見詰め追究した上でこの上なく重んじて、
それを守る為には徹底的に戦う、
それこそがROKOさんの真の在りようだと思うのです。
勝手に決め付けてしまって、失礼しました。
でも上述の通り、根拠が在っての事なのです、では又(^o^)丿。

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