戦場スケッチ - 戦後 70 年の追悼 -

掲載のスケッチは田端敏雄さんの作品です。
リンク切れがありますが、ご容赦ください。

昭和 20 年 8 月 15 日

2010年04月20日 | 戦争体験談

筆者の 8 月 15 日は、何も解らない年でしたから、昭和 20 年のある日、「何もかも明るくなった」とだけ記憶しています。

何せ、当時の家長であった祖母が特高にしょっ引かれた家でしたから敗戦を認めることにおそらくクールな対応ではなかったのか、と思っています。 おそらく、それまでも家の中では「戦争に負ける」話はよく出ていたのではないかと想像しています。

食料品を広く扱っており、この日まで商品が豊富に揃っていたところをみると、大手の顧客が海軍だったのではないかと思います。 母、祖母としてもしっかりとした人柄でしたが、商人としてもしたたかに立ち振舞っていたのでしょう。

「明るく」なったと感じたわけは、心理的、物理的の両面があったと思います。 大家族のみんなが突然大きな声で話し出しました。 小さいながらも会話にタブーが無くなったことを感じたのではないでしょうか。 それまでは家の中だけの会話と、表での会話が厳然と区別されていたのでしょう。

又、ラジオから流れる軍艦マーチと空襲警報のサイレンからも解放された日です。 小さい時に受けたトラウマでしょうか、軍艦マーチとサイレンを聞くと未だに暗い気持ちになってしまいます。

物理的には、皆さんご想像通りです。 電灯の周りに付けられていた黒いシェードがさっさと取り払われました。 ガラス窓に貼りめぐらされていた X 印の紙は一家総出で洗い流されたと、うっすらと記憶しています。 直前まで毎晩防空壕に通っていた暗い家中の雰囲気とは全く違う、一家全員の明るく積極的な行動でした。

母の気持ちなど全く解りませんでしたが、戦地の父の生死は解らず、父の写真は仏壇にそのまま置いてありました。 実際には、一家に未だ平和が戻っていなかったのです。 父は必ず戻ってくると繰り返し聞かされていたのでしょう、私自身は何の不安も感じませんでした。


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