雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキのレース場

2006-11-04 09:17:45 | M/Cレース
カワサキは、今二つのレース場を持っている。

大分県竹田市直入町のSPA直入と大分県日田市上津江町のオートポリスである。

SPA直入の建設には深く関係した。
1.43キロの短いコースだが、今は4.3キロのオフロードも併設されている。

SPA直入のコンセプトは、二輪を愛する一般のライダーたちが気軽に走れるサーキットを目指して建設された。

当時、問題となっていた峠族に、メーカーは車を提供するだけでなく、走れる場所の提供もすべきだとの発想であった。

レースマシンでない一般の市販車でサーキットランが出来たのは、SPA直入が日本で始めてのはずである。

一般の素人にサーキットを走らすのは無謀という意見が社内でも強かったが、一方通行で対向車もない、信号もない整備されたコースを走るのが、どうして危険なのか。二輪車はそんなに危険な乗り物かと、妙な理屈で強引に押し切って実現した。

これを契機として、その後各地のサーキットで、市販車でのサーキット走行が許されるようになるのである。

サーキットオープンの日には、4000人を超す一般ライダーが、ツーリングで直入を訪れ、はじめてのサーキットランを自分の車で楽しんだ。
4000台の市販車が列をなして走る様は壮観であった。

当時の町長はオープンセレモニーで,直入町にこのような多くの人が集まったのは有史以来はじめてである、と挨拶した。

先頭を走り文字通り先導の役を務めてくれたのは、清原明彦君と当時はヤマハの契約であったが、わざわざ来てくれた金谷秀夫君だった。

SPA直入の正式名称はS.S.R.F SPA直入である。
Sports&Safty.Riding.Fieldの略である。当初は全国にユーザーの走れるこのような場所を沢山造ろうという発想だった。

SPA直入のSPAは直入町の温泉のSPAと思っている人が殆どで、その意味もあるのだが、むしろ、ベルギーにある世界的に有名なサーキット スパ、フランコルシャン(SPA Francorehamps)のSPAとも掛けているのである。

SPA直入のコース設計など建設に尽力し、SPA直入の名づけ親である岩崎茂樹君も故人になられた。私のあとのカワサキのレースマネージャで博学であった。

このような、気軽に走れるコースをもっと造りたかったが、カワサキでは実現しなかったが。

この度、私も懇意にして頂いている、ミスターバイクの斉藤さんが永年の夢であったサーキットを、鈴鹿(鈴鹿ツインサーキット)に造られた。
サーキットの建設が如何に難しいものであるか、身に沁みて解っているので斉藤さんのご苦労とご努力に心から敬意を表したい。

SPA直入と同時期に建設されたオートポリスも、縁があって、今はカワサキのサーキットになっている。
昔の仲間の一人がマーネージメントにあたっている。

先日、レースの前に往年の名ライダーたちが走ったそうである
片山義美、金谷秀夫、清原明彦など私にとって懐かしい名前があった。

多分、レースマシンではなく、市販車だったはずである。

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2 コメント

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カワサキのレース場 オートポリス (渡部 達也)
2006-11-04 14:40:22
阿蘇外輪山の北方、標高約900mの大自然に抱かれたオートポリスは九州のど真ん中に位置し、地元大分は勿論、福岡・熊本方面からもドライブ気分で、観光地九州の景色を楽しみながら来場できます。
総面積は120万㎡とも言われており、4674mのメインコースと1760mのショートコースがあり、二輪車・四輪車のモータースポーツを楽しむ方達で毎日賑わっています。
今年は、5月全日本ロードレース選手権、7月D1グランプリ、8月フォーミュラニッポン、10月スーパーGTとビッグイベントを実施しました。

昨年から、二輪車メーカーの川崎重工が所有者となり、㈱オートポリスが運営を行っています。
世界有数の自動車保有国でもある日本でも、もっと自動車を楽しむ文化が広がればと願っています。

今、オートポリスは錦秋の季節です。
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Unknown (ひろき)
2006-11-06 21:01:08
私は関東で陶芸が有名な町在住です。たしか17年くらい前に私の町に川崎の2輪用サーキット建設の話があったはずです。議員は乗り気だったんですが陶芸家中心に反対運動が興り実現はしませんでした。
今になってみると不景気で陶芸家は元気無いし、私腹を肥したい歴代町長、町有力者が組んで自身の土地に町の箱物を建て、土地の売却で利益を得ています。はっきり言って住民を喰い物にしています。
歴史に「たら」「れば」はありませんがあのときサーキットが出来ていればどんな町になっていたのだろうと考えます。ライダー達が町に落すお金はたかが知れてますが無いよりはいいと思います。一部の人達にですが町の名前が売れるわけですから。
平成の大合併が進む中借入れが多い我町はどこも受け入れてくれません。前述の町有力者は飲酒ひき逃げ事件の車に同乗していた疑惑もあるし。明るい話は無いですね。
東京からはある程度近いわけだし、隣町のツインリンクを横目に見ながら思う日々です。
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