雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

衛藤誠さんのこと

2007-01-09 06:35:16 | カワサキ単車の昔話
昨日、衛藤誠さんのことに少し触れたが、本当に永い間のお付き合いである。

オートバイ誌や二輪車新聞の大阪支社の記者をやって居られるのだが、関西のメーカーはカワサキ1社のためカワサキ専門のような立場でのお付き合いが続いた。

上司の小野助治さんに衛藤さんを紹介して貰ったのは1962年のはじめ頃だから、もう50年にもなる。

勿論、取材を通じてのお付き合いなのだが、商売柄とはいえ、兎に角上手に文章を纏められるのである。
「ややこしく纏めにくい話は衛藤さんにして、その新聞記事を読んだほうが、部下に頼むよりずっといい。」などと矢野昭典さんなんかよく言っていた。

広報を離れてからもいろいろお世話になったし、ここぞという時には援けて頂いた。
大阪での特約店実施構想については、72年9月1日の二輪車新聞トップ記事で大々的に採り上げて頂いた。
本社からは文句を言われたが、退路を断って取り組まねば出来ない、難しく大きな仕事だと思ったので、そんな覚悟で衛藤さんに敢えて話をしたことを覚えている。

あの記事を見て大阪の販売店も 「特約店制に懸けるカワサキの本気」 を信じてくれたと思う。

それからも何度か、難しく大きな仕事は衛藤さんの記事に援けて貰った事が多い。


話は変わるが、
今も事業部の取材を続けておられるようだが、衛藤さんにも弱点があって横文字、カタカナは日本語と違ってどうも苦手のようである。

今も新春恒例で何十年も続いているカワサキの本年度基本方針が連載されているが、この頃はトップ層もどんどん若くなって話の中の横文字も昔に比べると多くなっているのだろう。

解らない単語の翻訳を時々H君に頼んでいるとか。
その時直接聞けばと思うが、なかなか聞くのも難しいのかも知れない。

衛藤さんにとっては位に関係なく昔の人、例えば小野、苧野、高橋、大庭、田崎、矢野、北村、岩崎さんなどのほうが付き合った期間も永く話し易かったのかとも思う。

人間、誰でも若い頃を知らない人については、随分と偉く近づき難く見えてしまうものである。
私なども、そんな経験が多く成りかけている。 年をとったということか。

昨日の衛藤さんとの電話の雑談で、そんなことを感じた。

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