
旅の空から。。。
今日はひろさん家に泊めてもらうんだ。
合宿(笑)
良いなあ!身体だけは気をつけてね。
ありがとう!
今日、数学の授業全然分からなくて焦ったんだけど授業中に解決できて良かった👍そろそろ真剣に勉強しないと(・_・;
そういえばだけど今日って戦後70年なんだね、沖縄。新聞見て知った。
明日泊まる場所、決まったの?
あっ、テレビで見たんだけど国連人権高等弁務官?って何か凄そう。名前、カッコイイ。
そうだよね、沖縄行った安倍首相が帰れコール浴びたらしいね。
何で?
安倍さんは今、国民にどう思われてるんだろうね。良く分からない…。
高校生の女の子に、LINEでどう説明していいかわからなくて、そのまま別の話題に切り替えてしまった。
短い文字数ながら、彼女の戸惑いが透けて見えた。
誰かが誰かに帰れと怒鳴られている姿を想像して、心寒い思いになるのは当たり前だ。
それも彼女の住む国の内閣総理大臣が沖縄の人に帰れ帰れと言われたのだ。
女子高生にとってはショックなことなのだ。
それを知って、私もショックだった。
真夜中に目が覚めて調べてみると、安倍首相が怒鳴られたのは2015年6月23日の沖縄慰霊の日の式典で、安倍さんが挨拶をしていた時のことだった。
ほとんど日本のマスコミはこの事件を伝えておらず、日経だけがニュートラルな立場で詳報していた。
政府・沖縄、対立色再び 慰霊の日 首相・知事会談は5分
2015年6月24日 日本経済新聞
沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を23日に終え、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐる政府と沖縄県の対立が再び激しくなりそうだ。沖縄を訪れた安倍晋三首相と翁長雄志知事の会談はわずか約5分間に終わった。追悼式の「平和宣言」で、翁長氏は辺野古移設反対など基地問題に半分以上を費やし、政府と沖縄県の溝の深さを浮き彫りにした。
23日の追悼式。「今後も沖縄の負担軽減に全力を尽くしたい」と訴える首相に会場から「帰れ」などと罵声が飛んだ。首相は追悼式後、記者団に「普天間の固定化はあってはならない」と辺野古移設の必要性を強調。しかし厳しい空気に配慮してか、これまで繰り返してきた「辺野古移設は唯一の解決策」との表現は使わなかった。
翁長氏は戦後70年の節目の平和宣言で「政府は移設作業の中止を決断し、政策を見直すことを強く求める」と力説した。平和宣言では歴代知事も普天間基地の県外移設や負担軽減を訴えてきたが、宣言の半分も費やすのは異例だ。会場では首相あいさつとは対照的に翁長氏に拍手が湧いた。
この日、首相と翁長氏の間には微妙な空気が流れ続けた。追悼式会場を訪れた首相は出迎えた翁長氏と握手を交わさず険しい表情のまま。帰途に就く直前、那覇空港で短時間会談したが、同席した山口俊一沖縄・北方相が沖縄観光について聞き、翁長氏が説明するなどにとどまった。
ネットで動画を見ると観ると確かに
「帰れ!」
「何しに来たんだ!」
という男性の怒声が聴こえた。
ネット上では、安倍首相達が翁長知事らにやってきたことの非礼、沖縄にやろうとしていることの非道をよくご存知で、怒鳴った方々へ寄り添う気持ちを吐露している人も確かに多かった。
なにより、今日は沖縄戦終結から70年という区切りの日なのに、安倍政権は戦後最大の会期延長をしてでも戦争法制を作ろうとしているのだから、私には、例によって空疎な美辞麗句を並べたであろう彼に、思わず、腹の底から怒りをぶちまけずにはいられなかった人々の気持ちが、痛いほど想像できた。
しかし、恐れていたように、ネット上では、安倍首相に怒声を浴びせた沖縄の人に対する非難が爆発していた。
一国のリーダーに対して何事か。
仮にも慰霊に来た人間に怒鳴るとは心がない。
沖縄の人間は頭がおかしい。
この事件を速報で伝えるリベラルなブログのブログ主のコメントを見るとこうあった。
「私も安倍首相は嫌いですが、式典の最中にこんな暴言を投げかけるのはどうかと思います。
式が終わって帰る時ならいざしらず、式典をやっている中でこのようなことをするのは絶対ダメです」
この人でさえ、こういうコメントになるのでは、保守的な人ばかりでなく、多くの人が同じ思いになるのだろうと思われ、哀しくなった。
私はそうは思わない。
沖縄の人は怒りの声をあげる、異議を申し立てる権利が十分ある。
いや、沖縄の人でなくても、安倍政権でなくても、民衆が権力者に怒りがあるならそれをぶつける自由はいつでもあるのだ。
そして、それが沖縄であれば、相手が安倍首相ならばなおさらのことだというに過ぎない。
私はこの思いを少女にどう告げるべきか思案しながら、先年亡くなった長崎の被爆者、山口仙二さんのことを思い出していた。
仙二さんは、被爆で全身がケロイドだらけになり、その上半身が長崎原爆資料館に立体映像で展示されている。
日本の被爆者を代表して国連軍縮特別総会で、ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、と核兵器廃絶を訴えたことで有名だ。
しかし、普段の仙二さんは誰からも愛される穏やかな、暖かい人柄の方だった。
長崎を訪れて仙二さんと出会い、私のように心から仙二さんが大好きになる若者が多かった。
その仙二さんが、今回の沖縄の方々と同じようなことをしてしまったことがある。
あれは、原爆記念日ではなかったと思うが、佐世保に入港した原子力空母の中佐だか大佐だかの艦長たちが、被爆者の慰霊に長崎を訪れ、お墓に手向けの花束を置いた時に、その花束を掴んで地面に叩きつけ、踏みにじってしまったのだ!
仙二さんは
「やってはいかんとわかっておったんですが、どうにも我慢できなかったです。」
とおっしゃっていた。
しかし、もう、それはそれは長崎の被爆者の方々や支援の市民たちから、あんな非礼なことをしてはならぬときつく叱られたそうだ。
被爆者の方々の中でも長崎の被爆者の方々は特に本当に優しく、穏やかで、反面保守的な方が多いので、せっかくのアメリカ軍からの謝罪ではないにせよ、米軍の代表が曲がりなりにも被爆者の死を悼む儀礼を台無しにしたも同然の仙二さんの行動が、どれくらいの非難を巻き起こしたか想像に難くない。
が、私は仙二さんを責める気には全くならなかった。
お揃いの帽子で微笑む山口仙二さんと私。
2000年8月9日、長崎原爆記念日に。
アメリカが、それも軍隊が、日本に、長崎に、仙二さんの人生にどれだけのことをしたかを少し想像すれば、仙二さんを非難することなど誰にもできないではないか。
そして、なんと、米軍側も驚きはしたが、仙二さんの「非礼」に怒りを示したり非難することは全くなかったのだという。
米軍でさえ、被爆者の怒る気持ちは理解できたのだ。
ところが、たぶん、安倍さんには、怒声を浴びせてきた沖縄の人への暗い怒りと恨みしかないであろう。
と、想像せざるを得ないキャラクターの宰相を持ってしまった今の日本の不幸を思わずにはいられない。
米軍将校でさえ持ち得た人としての共感。
大人の節度。
それらの心の品格が安倍首相にだけはどうしても期待できないのだ。
人としての認め合い、与え合う関係に絶対になれないのだろうか。。。
何で?
安倍さんは今、国民にどう思われてるんだろうね。良く分からない…。
少女にどう答えたらいいのだろう。
たぶん、安倍さんが一番わかっていないのだろう。
自分がなぜ怒鳴られなければならないのか。
怒鳴る人だって、とっても悲しいだなんて全く想像の埒外、夢想だにしない世界にいるはずだ。
安保闘争の国民の大群衆に包囲されて退陣したおじいちゃんと自分を重ね合わせて、絶対に許さないと決意しているかもしれないとさえ思う。
誰だって自分の国のリーダーに怒声を浴びせたくなんかない。
特にあの沖縄戦での死者を悼む席ならばなおさらのこと。
何十万人という人がアメリカよりも日本に殺されたのだ。
それでもなお戦争への準備を進め、他方、沖縄への差別を止めず、踏みにじり続ける政権。
罵声を浴びせることへのリアクションと結果だって想像できないことはなかった。でも、思わず声をあげてしまうほどの欺瞞への怒りと哀しみ。
沖縄の人も長崎の人に勝るとも劣らないくらい穏やかなのだから、なおさらなのだ。
そのことだけは、あの子に伝えたい。
![]() |
沖縄戦 強制された「集団自決」 (歴史文化ライブラリー) |
林 博史 著 | |
吉川弘文館 |
二〇〇七年の教科書検定で大きな波紋を呼んだ「集団自決」問題。生存者の証言・新資料などによる沖縄戦の検証から、その実態と全体像に迫る。「集団自決」の原因を“天皇制国家の支配構造”から解き明かした問題作。
うちの国の総理大臣は信頼できる尊敬すべき人だよと子どもたちに伝えられる日を目指して。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
安倍首相 、「慰霊の日」式典でやじ浴びる 沖縄戦70周年
2015/06/23 16:41(糸満/沖縄 )
【6月23日 AFP】太平洋戦争末期に住民を巻き込み多大な犠牲者を出した沖縄戦の終結から70年に合わせ、沖縄・糸満市の平和祈念公園で23日に行われた沖縄全戦没者追悼式で、あいさつのため登壇した安倍晋三首相が参列者からやじを浴びせられる一幕があった。
米軍の沖縄駐留に不満を持つ地元住民らが、檀上にあがった安倍首相に「帰れ」などのやじを飛ばした。日本で首相が直接市民からやじられることはまれだ。
安倍首相はあいさつの中で「沖縄の人々には、米軍基地の集中など長きにわたり、安全保障上の大きな負担を担っていただいている」と述べたうえで、「沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と語った。
一方、翁長雄志沖縄県知事は、米軍施設の73.8%が日本の国土面積の0.6%を占めるに過ぎない沖縄に集中し、県民に負担を強いていると訴え、参列者の温かい拍手に迎えられた。(c)AFP/Alastair HIMMER
何しにきたんだ」「嘘言うな!」安倍首相の「沖縄慰霊の日」スピーチに「帰れ」コールが巻き起こる
米軍基地の辺野古移設強行を目論む安部首相が本日行われた「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」に出席しましたが、スピーチ時に大きな「帰れ」コールが巻き起こりました。
米軍普天間飛行場の辺野古への移設を強行に推進する安部首相が、多大な住民らを犠牲にした悲惨な沖縄戦が終結した「慰霊の日」である本日6月23日に開催された「戦後70年沖縄全戦没者追悼式」に出席。
沖縄「慰霊の日」 翁長知事が平和宣言 :日本経済新聞
沖縄慰霊の日 翁長知事、平和宣言で「辺野古反対」表明:朝日新聞デジタル
辺野古移設反対を訴え、オール沖縄の支持を受けて当選した翁長雄志知事が平和宣言で辺野古移設反対を強く訴え、国民の自由・平等・人権・民主主義の等しい保障を求めるという異例の事態となりました。
沖縄の米軍の基地問題は我が国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。特に普天間飛行場の辺野古移設については昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を作ることは困難であります。そもそも私たち県民の思いとは全く別に強制接収された「世界一危険」といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、その危険性除去のため「辺野古に移設する。嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは到底、県民には受け入れられるものではありません。国民の自由・平等・人権・民主主義が等しく保障されずして、平和の礎を築くことはできないのであります。
政府においては固定観念に縛られず、普天間基地を辺野古に移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。
(沖縄慰霊の日、異例の平和宣言 翁長雄志知事「辺野古移設の中止を」【全文】より引用)
この後安部首相が登壇し、スピーチを行ったのですが、名前を呼ばれた時点から参加者からは相次いで「帰れ!帰れ!」「嘘言うな!」「何しにきたんだ」と激しいヤジが浴びせ掛けられます。
戦争立法 安倍晋三「沖縄慰霊の日」スピーチ6/23 – YouTube
海外から訪れた報道陣はこの異例の事態を素早くツイート。
安部首相はスピーチで「これからも沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」などと述べましたが、沖縄知事選と衆院選での沖縄の民意を尽く踏み躙り、反対を押し切って辺野古移設を進める安倍政権が沖縄から大きな反感を買い、知事から「自由・平等・人権・民主主義の等しい保障」を求められるのは当然のこと。
本当に安倍政権が沖縄の基地負担軽減に全力を尽くすのであれば、まずは辺野古移設の作業を停止するというごく基本的な誠意を見せなければ話は始まらず、嘘つきのレッテルを剥がすことも叶わないでしょう。
クローズアップ2015:慰霊の日、亀裂鮮明 普天間移設、政府と沖縄 知事に喝采、首相には怒号
追悼式に臨む安倍晋三首相と翁長雄志知事(右)=沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で23日、野田武撮影その他の写真を見る
戦後70年の節目で迎えた23日の「沖縄全戦没者追悼式」は、安倍晋三首相と翁長雄志(おながたけし)知事が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題を巡り、公式発言の中でそれぞれの立場を主張した。翁長氏は平和宣言では初めて、普天間飛行場を「基地集中が続く構造の象徴」と位置付け、辺野古への移設中止を要求。一方の首相は基地負担軽減の「実績」を強調した。正式会談は行われず、翁長氏就任後初の首相沖縄訪問は、すれ違いに終わった。【当山幸都、高本耕太、比嘉洋、川上珠実】
「依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています」
沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園。翁長氏が平和宣言を読み上げ始めると、参列者から「そうだ」「その通り」と声が上がった。「政府は固定観念に縛られず、移設作業の中止を決断するよう強く求める」との訴えには、会場中から一斉に大きな拍手と指笛が鳴った。追悼式に出席した県議は「知事の平和宣言で言葉の一つ一つにあれだけ拍手が起きたことはかつてない」と指摘した。
続いてあいさつした首相は「米軍基地の集中など永きにわたり安全保障上の大きな負担を担っていただいている」としたものの普天間移設問題には触れず、「3月末に西普天間住宅地区の返還が実現しました」と強調し、理解を求めた。拍手は移設を容認する自民党県議らから、ちらほらあった程度。何度も「帰れ!」「戦争屋!」といった怒号が浴びせられ、首相は足早に車に乗り込んで会場を後にした。
首相は、空港に見送りに来た翁長氏と面会。5月に翁長氏から贈呈されたかりゆしを着用する配慮を見せたが、面会はわずか約5分で「観光や経済のやりとり」(翁長氏)にとどまった。昨年と一昨年の慰霊の日に、辺野古埋め立てを承認した仲井真弘多(なかいまひろかず)知事(当時)とホテルで会食したのとは好対照だ。「公務」を理由に沖縄滞在を約4時間で切り上げ、帰京後は午後5時過ぎに官邸に戻ったものの、午後6時半過ぎに官邸に隣接する公邸に入り、この日の予定を終えた。
菅義偉官房長官は23日の記者会見で「辺野古を断念することは、普天間の固定化を容認することにほかならない」と改めて強調。翁長氏の平和宣言について「政治的な主張ではないか」と問われ、「県民や国民が判断することだろう」と不快感を示した。
翁長氏は5月、辺野古移設を阻止する知事権限について、辺野古沿岸部の埋め立て承認の取り消しなどを念頭に「10ある」と言及。知事与党会派が多数を占める県議会は、埋め立てに使う県外土砂の搬入を規制する条例案を提出し、7月にも可決する見込みだ。これに対し、政府高官は「取り消せば、裁判してでも工事は進める」と明言。官邸幹部は「米軍から返還された土地の利用が進めば辺野古移設への地元世論も変わってくる」と見る。
しかし、県民の反発は高まる一方だ。沖縄戦で兄と姉を亡くした糸満市の大城義雄さん(76)は「県内移設は反対だ。基地があればまた沖縄が戦争に巻き込まれてしまう」と険しい表情をみせた。召集された父親を沖縄戦で亡くした那覇市の糸数光子さん(71)は「移設を強行する首相は米国の方ばかり向いていて、沖縄のことを考えているように見えない」と訴えた。
◇「基地集中の象徴」平和宣言
今回の平和宣言は、戦後70年間、沖縄に基地が集中し続ける構造の象徴として普天間飛行場移設問題をとらえた点が特徴的だ。普天間飛行場について「そもそも、県民の思いとは全く別に強制接収された」として、住民が進んで土地を提供したのではなく、沖縄戦中、米軍が占領と同時に接収し、基地を建設したことを指摘した。
さらに、普天間移設と共に米軍再編の一環として進められている嘉手納基地以南の基地返還を政府が「基地負担軽減策」と強調していることに関し、「普天間飛行場の辺野古移設をはじめ、嘉手納基地より南の米軍基地整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合はわずか0・7%しか縮小されない」と否定。基地負担軽減策の再考を求めた。
平和宣言で普天間移設問題について言及するようになったのは、「最低でも県外」と訴えて民主党政権を誕生させた鳩山由紀夫首相が県外移設を断念し、辞任した2010年からだ。ただ当時の仲井真知事は条件付き容認の立場で「普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現」とあいまいな表現にとどめていた。
仲井真氏が「県外移設」を公約とした11年以降は「普天間飛行場の県外移設」を明記した。辺野古沿岸部埋め立てを承認した後の14年には「県外移設をはじめとするあらゆる方策」と再びあいまいにした。
2015年06月24日
政府・沖縄、対立色再び 慰霊の日 首相・知事会談は5分
2015年6月24日 日本経済新聞
沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」を23日に終え、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐる政府と沖縄県の対立が再び激しくなりそうだ。沖縄を訪れた安倍晋三首相と翁長雄志知事の会談はわずか約5分間に終わった。追悼式の「平和宣言」で、翁長氏は辺野古移設反対など基地問題に半分以上を費やし、政府と沖縄県の溝の深さを浮き彫りにした。
23日の追悼式。「今後も沖縄の負担軽減に全力を尽くしたい」と訴える首相に会場から「帰れ」などと罵声が飛んだ。首相は追悼式後、記者団に「普天間の固定化はあってはならない」と辺野古移設の必要性を強調。しかし厳しい空気に配慮してか、これまで繰り返してきた「辺野古移設は唯一の解決策」との表現は使わなかった。
翁長氏は戦後70年の節目の平和宣言で「政府は移設作業の中止を決断し、政策を見直すことを強く求める」と力説した。平和宣言では歴代知事も普天間基地の県外移設や負担軽減を訴えてきたが、宣言の半分も費やすのは異例だ。会場では首相あいさつとは対照的に翁長氏に拍手が湧いた。
この日、首相と翁長氏の間には微妙な空気が流れ続けた。追悼式会場を訪れた首相は出迎えた翁長氏と握手を交わさず険しい表情のまま。帰途に就く直前、那覇空港で短時間会談したが、同席した山口俊一沖縄・北方相が沖縄観光について聞き、翁長氏が説明するなどにとどまった。
よろしかったら大変お手数とは存じますが、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです!
自国の「総理大臣に向かって」「非礼」だってやつ。
不敬罪の総理大臣への類推適用ですか?笑
どんだけ臣民根性染み着いたら気がすむねんw
ネトウヨと安倍の関係って北朝鮮人民とキム将軍サマの関係にソックリやわ
な、バカは本性なのさ、何してもばか。バカは死んでも治らない、お前はアカですらない、ただのバカ、としか言いようのないくらいお定まりのカンニング受け売りブログなのさ。
国会議員も、国民の生活を良くするために国民が税金で雇って立法行為を委託している人たちです。
その働き具合は、当然国民の監視下にあらねばならない。彼らが自分たちはリーダーだなどと思い始めたら大変危ないし、国民が彼らをリーダーと認識するようなことがあればもっと危ない。日本ではずっとそうだったんですけどね。
「帰れっ」コールだけで済んだのは、良かったではないか、心の奥にはもっとどす黒い怒りがあるんだよ。本土の人間なんかにはわかるまい。
悔しければ沖縄の犠牲なしに自立して見せろよ。出まい。
アメリカの押しつけに唯々諾々と従うだけで、何が美しい国土を守るだ?尊厳を売りとばして後に何が残る?
バカは死んでも治らない。結構だよ、バカで。自分のおつむで考えることさえできないお前に比べれば、自立している実感があるもの。
空疎なことばの羅列にすぎない官僚の作文を、義務として読む総理。かりゆしの下には、再び沖縄を刺すための刃物を隠し持っている。
今までさんざん踏みつけられてきた沖縄の人々が抗議の声を上げたからといって、ヤマトの人間が糾弾するのは正義だろうか。
しかも、抗議というより、嗚咽にちかいものだったよ...
なお、文中に例示されたリベラル系のブログは、「真実を探すー」ですね。
FCからライブドアに移ってから、主のコメントにキレがありません。コメ欄が荒れるので、怖じ気づいたのか、閲覧数が増えて保守化したのか、理由不明ですが、正直に言って、前ほど面白くないのです。
自称26歳の青年に、大きく期待し過ぎているのかもしれません。
(どうしてもrei様を基準にしてしまいますので。)
僭越ながら、「愛ある?コメント」で指摘しておきましたので、今後一層のセンス・アップを期待しているのですが。
こういう人達は、気に入らないバンドがステージに上がっていても「帰れ」コールをせずに最後まで聴いてやる、上品な方々に違いない。
日本国憲法にドイツ基本法同様の抵抗権が規定されてないのが返す返すも残念です。当時編纂に関わった方々は、行政府の長が暴走する可能性までは想定出来なかったのでしょうね。
何十年間、どんな数の抗議文を送っても、暑い中自分のみんなたくさんの時間を削り反対デモに参加しても、基地反対の知事を選び続けても、私たちの民意はちっとも全く届きません。
これ以上どうしたらいいんでしょうか。
「帰れ」と怒るうちなーんちゅを批判する方々は、沖縄に人権侵害を行いまくって非道な事ばかりしてくる日本・アメリカ政府に対して思う事はないんでしょうかね。
安部さん、まずはアメリカから私たちを守ってほしいです。
安全で安心した暮らしがしたい。
同じ人組同士憎しみあいたくなんかないんです。
特に自民党の責任が大きいのは確かでしょう。
しかも、安倍総理は罵声を浴びせられても仕方ないくらい怒りを買ってます。あの安保法案は、ある意味100%近くの国民が納得できていない代物ですが。沖縄の人たちなら尚更なんですよ。あれほど負担を強いられているにも関わらず、今度は違憲立法までして、自衛隊が戦争中の米軍の兵站を担うようにするなんてバカな話がありますか。
そんなバカなことをしなくても、米軍は日本を守る義務はありますよ。
昨夜のニュースステーションでも特集しておりましたが、沖縄と米軍と日本政府の関係の歴史を追うと、これくらいの怒りはもっともです。
しかも現在も辺野古では日本政府が米軍の要望を受け入れるる為に自国民への暴力を容認までしているのです。
米軍に命を救われた戦犯とその子孫達が政治の中枢に居たことが大きいのでしょう。
代わりに犠牲を強いられた沖縄に頭を下げるどころか罵倒する安倍ファン。
国の一番大切な法律への違反は容認するくせに、式典マナー違反は許さない安倍ファン。
この国の異常さをまた一つ海外にアピールしてしまいました。