ラッコ庵日乗

「不思議な話」や「ヘンな話」が大好きなラッコ庵の日記。

マンガの文法

2019年07月30日 | 映画・ドラマ・マンガ・アニメ
日本語学校の先生をしている人が
「京アニの事件の日は生徒たちがショックを受けていて授業にならなかった」
と言っていました。
ほとんどの日本人が「京アニ」の名を事件で初めて知ったというのに、日本が好きで日本に来て日本語を学んでいる若者たちにとってはアニメ・マンガが入り口で「京アニ」は常識なんだねえ。

上記の先生は、学生たちと話が通じないのに困って、最近意を決してマンガ喫茶にいって「NARUTO」を読んだんだって。マンガを読みなれていないことに加え、登場人物の名前をメモしながら読んだので2時間で3巻がやっとだったそうです。(例文の主語を「サスケ」とかにすると学生に受けるらしいw)

大英博物館のマンガ展のカタログには、「この世界の片隅に」のこうの史代先生が外国人向きにマンガの読み方(コマを読む順番とかマンガ特有の表現の意味)などを解説するページがありましたが、日本人でも、こうの先生のお母さんのようにマンガを読めない人というのが一定数いるようで。
マンガ特有の決まりといえば、昔はなかったのにいつの間にかできていたルールというのがありますね。たとえば回想シーンになると、コマとコマのあいだの枠線が黒くなる、というのが代表的。これいつからだろう。ずっとマンガを読んでいて、ある時急にそういう共通ルールができていることに気がつきました。
吹き出しの形で「声に出していった言葉」「心の中の言葉」「そのコマの中にいない人の言葉」「電話やアナウンスなど肉声以外の言葉」などを区別する、というのもマンガ読みなら当たり前の暗黙のルールですが、いつの間にそうなったのやら。
独自の進化を遂げていますね、マンガ。

でも「ほら、回想シーンだと枠線が黒くなってるじゃん?」と言ったら、うちの息子も娘もまったく意識していなかった。「言われてみればそうかも…」だってさ(-_-) 
確かに昔はそんなのなくても文脈?から「ここから回想シーン」とかわかるので困ることはありませんでした。どうしても必要な物でもないのかもしれないけど、マンガの世界を豊かにする工夫の一つとして感心してみています。