そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

トカゲのしっぽ切り

2010-06-27 21:41:15 | Society
琴光喜と大嶽・時津風親方の懲戒処分提言 大相撲調査委(朝日新聞) - goo ニュース

要は、名古屋場所の開催はする方向で、ってことですな。

対象者の処罰は当然でしょうが、それで根本的な悪さが解消するわけではない。
何人かは解雇されたりしたとしても、所詮はトカゲのしっぽ切り。

やっぱり運営体制をガラッと変えない限りダメだと思うな…
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本田△とポスト岡田ジャパン

2010-06-25 20:48:38 | Sports
日本、決勝T進出…3─1でデンマークに快勝(読売新聞) - goo ニュース

いやはやまさに、

本田さんかっけー!!
と叫びたくなるようなパフォーマンスでした。

あのフリーキック、スロー映像で見るとホントに無回転。
あんなのどうやったら蹴ることができるんだろう?
意味分からん。

昨日は10時過ぎに寝て、3時半に起きて。
その甲斐もあった快勝劇でした。

でも、前半の立ち上がりはかなり危険な雰囲気だった。
トマソンが何度も何度もウソみたいにフリーでゴール前でボール受けて。
あそこで早々に失点してたら、まったく違った試合になったことでしょう。
いろんなところで書かれてますが、そこですかさず守備を修正できた自律性こそが、今大会の日本代表の好調さの証左でありましょう。

つくづくも、サッカーの勝敗はけっして「強さ」だけでは決まるものではない、ということを感じさせられます。
チームとしての団結力、メンタル・フィジカル両面でのコンディション調整、そして、彼我の特徴を綿密に分析した上での戦術プランニングと試合が始まってからの状況に応じた修正。
それらを適切に行うことができれば、「強くない」チームでも好結果を得ることができる。
自分が日本代表に求めていたのはまさにそのような姿なので、それを実現してくれている今大会の代表チームには大満足なのであります。

しかし、岡田監督のもとでそれをここまで見事に実現できるとは、申し訳ないが考えていませんでした。
岡田監督は日本人の中では優秀な監督だと思っていたし、大会前の安易な岡田降ろし大合唱にも同調もしてませんでしたが、それでも岡田監督の国際経験で世界の強豪相手にいい勝負をするのは難しいのではないかと思ってました。
それがね…ホント御見それいたしました。

これからいよいよ決勝トーナメントだというのに相当気が早い話で恐縮ですが、ワールドカップ後の次の代表監督、どうするんですかね。
岡田さんは辞めるつもりだと報道されているけど、ここまで来ちゃうと手のひらを返したように続投要請も出てきそうですね。
なんたって、ワールドカップで代表チームを指揮した日本人監督も、勝利を挙げた日本人監督も、決勝トーナメントに進出した日本人監督も、史上、岡田さん以外ひとりもいないわけですからね。
次は日本人監督ってのは難しいでしょうな。
こうやってワールドカップでいいプレーを見せると、日本代表を指揮したいという大物外国人監督ももしかしたら出てくるかもしれないな。

監督だけじゃなくて選手も。
本田や長友や岡崎、(今大会まだ出番が無いけど)内田や森本や、同行サポートメンバーなど、20代前半から半ばの若い選手たちは、今大会の貴重な経験を生かして間違いなく次の代表チームの中心になっていくだろうけど、もう少し年齢が上の選手たちは少しずつ入れ替わっていくのだろう。
今回の大会の成功により、海外へと移籍していく選手も増えるのだろうし、その経験がまた日本サッカーの力になっていく。
なんかワクワクしてくるじゃないですか。
やっぱり勝たなきゃいけませんな~
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「たんぽぽのお酒」 レイ・ブラッドベリ

2010-06-22 22:47:07 | Books
読み始めは、散文詩調の表現の字面を追うだけで一向に頭に入ってこず、なんと読みづらい小説だろうと読み進める意欲を挫かれそうになったんですが、そのうちにそれが心地よく響くようになってくるから不思議なもの。

峡谷に向ったまま帰ってこないダグラスを母と弟が探しに行くエピソードや、自分にも若く美しい頃があったことを少女たちに信じてもらえない老婆のエピソード、また、通り魔に遭う危険を顧みず深夜歩きをする若い女性たちのエピソードなど、サスペンスある魅力的な挿話もあり。

人生で唯一度しかない、十二歳の夏という刹那への郷愁。
そして、身の回りで死や別離の香りを嗅ぎ、少年は人生を識る。
人の生命の有限、そして無限を感じさせられる、心地よい読後感。

たんぽぽのお酒 (ベスト版文学のおくりもの)
レイ・ブラッドベリ、北山 克彦
晶文社
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消費税議論切り離しによる目くらまし作戦

2010-06-19 11:27:33 | Politcs
「消費税増税」広がる波紋 首相、狙いは「組み替え」?(産経新聞) - goo ニュース

サッカー三昧に浸っているうちに政局は事実上参院選突入、ここにきて消費税論議に突如スポットライトが当たっております。
自分も消費税率が今後上がるのは不可避と考えるので、仕方ない動きだとは思うけど、なんだか財務省の思う壺の方向に進んでいるなというのが何とも気に入らないところ。

必要なのは財政再建であって、消費税の話だけが切り離されて独り歩きしていくのは筋違いなのではないかと。
単純な話、財政赤字を削減するには、1)歳出を減らす、2)歳入を増やすの両方の方策があるわけです。
歳出面では、少子高齢化が進んで社会保障費が増えていくのは避けられないにしても、年金制度や医療制度を効率化・公平化して歳出を効率化する努力は必要だし、その他の行政支出にしても事業仕分けは限界があるにしても公務員改革によるリストラはまだまだ全然進んでいない(新規採用を絞って若い世代だけにしわ寄せすれば済むという話ではない)。
歳入面でも、消費税率を上げるだけでは単なる負担増にしかならないわけで、法人税を下げるという話は出ているけど、その他の税目は、社会保障負担はどうなるのかを合わせて考えないと判断もできない。

一方で、消費税率アップの話が出ると、逆進的だ弱者いじめだ格差拡大だと騒ぎたてる左翼勢力が元気になるわけですが、それも表面的な話で、消費税で集めたお金が福祉政策として再分配に遣われるのであれば別に弱者いじめでもなんでもないわけです。

歳入・歳出全体の配分をどう組み替えるのかが肝要なのであり、現時点で福祉財源がいくら足りないから何%の消費税増税が必要…なんて議論は本末転倒。
左翼勢力の近視眼的ポピュリズムも愚かしいけど、財務省の目くらまし作戦にも安易に乗ってはいけないと思うのであります。
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変わったのは相撲界ではなく社会

2010-06-18 23:29:37 | Society
雅山関も賭け事申告=理事長の弟子、責任論も―相撲協会(時事通信) - goo ニュース

こういうことが明るみになると急に大騒ぎになるけど、大相撲だって所詮は興行の世界であり、裏社会との繋がりなんて容易に想像できる話ではないか。
一部の力士や親方、部屋だけの問題じゃなくって構造的な話ですよ、これ。
NHKもしきりと大きく報道しているけど、だったらさっさと名古屋場所以降当面本場所中継の中止を決定したらどうか。

昔はこんなことなかった、相撲界の体質が劣化している、という論調もあるけど、変わったのは相撲界ではなくって社会の方ではないですかね。
もともとタニマチとか不透明な経済構造があったけど、社会全体にそういう前近代性を許容するというか黙認する文化があったうちは問題にされなかったものが、社会が変わる中で顕在化してきた、というだけのことではないでしょうか。

結局、国技だ伝統文化だという建て前と、スポーツであり興行であるという実態の間の乖離が埋められず、どうにもならなくなっている、というのが事の本質。
国技・伝統文化に特化して文化庁保護のもと細々と存続する(もちろん、NHKの完全中継は廃止)のか、娯楽スポーツだと割り切って完全営利化・エンターテイメント化に舵を切るのか。
どちらかに進むしか生きる道はないのではないか。
いずれにしても、理事長以下運営者が全員元”お相撲さん”というのはどう考えても無理があるので、そこを改めない限りどうにもならんでしょうな。
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「悪質」か?

2010-06-15 22:31:31 | Society

中3悪質投稿 被害20億円!「You Tube」初摘発(スポーツ報知-Yahoo!ニュース)

男子生徒はページごとにデジカメなどで写真を撮影し、ユーチューブに投稿。数秒ごとに画面が変わり、物語を読むことができるようにしていた。一方で「漫画ネタバレ情報局」と題した自身のブログやツイッターでアクセスを促し、出版社から削除や警告を受けても新たなIDやパスワードを何度も取得して再投稿。府警は悪質性が高いと判断し、逮捕に踏み切った。
投稿した動画は800万回以上閲覧されていた。「雑誌が1冊240円~260円とすると、単純計算で約20億円の被害額になる」と京都府警関係者。14歳が与えた経済的被害の大きさに驚いた様子だ。

「20億円」という数字は、雑誌の単価に動画の閲覧回数をかけて出したようですが、これはナンセンスでしょう。
閲覧した人がみんな動画が無ければ雑誌を買ったというはずもなく、機会損失はずっと少額なはず。

しかも中学生はこれで対価を得ていたわけでもなく、単に愉快犯と考えれば果たして「悪質」というほどのものなのか(入手経路によっては悪質と言えるかもしれませんが)。

まあスポーツ報知の記事なので目くじら立てるつもりもないですが、なんとも扇動的な書きぶり。

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「手紙」 東野圭吾

2010-06-11 21:49:54 | Books
現代版「破戒」でも標榜したのか。

そのせいでもないだろうけど、どうも古臭い。
田園調布のお嬢様で従兄弟が親の決めた許嫁とか、どこぞの昼ドラか、という設定だし、バンドデビューの件りもあまりのベタさに萎え萎え。
「イマジン」も今さら?という感じ。

ただ、終盤は甘い方向に流れずに、厳格な突き放しぶりが悪くなかった。

実は、東野圭吾の小説を読んだのは初めてだったんですが、思っていたよりも、良くも悪くも鈍重な印象でした。
ミステリとかだとまた違うんだろうけど。

手紙 (文春文庫)
東野 圭吾
文藝春秋
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所得倍増と、地デジ規格と、レベニュー債と

2010-06-10 00:07:46 | Economics
経済ニュースでいくつか気になるものがあったので、以下簡単に。


中国が「所得倍増」計画
中国共産党・政府が、次の5ヶ年計画で労働者の賃金を2倍に増やす計画を盛り込もうとしているとのこと。
背景には低賃金労働者による労働争議の多発がある模様。

現在の中国経済の状況は1960年代高度成長期後半の日本経済の状況に似ているという説の正しさを示しているように思えます。
関志雄氏の言うように、やはり中国は、農村の安価な余剰労働力というアドバンテージを失いつつあるのでしょうか。


日本の地デジ、中南米導入加速 規格採用の果実は韓国勢に
総務省の強力な売り込みもあって、コスタリカ、パラグアイなど中南米8カ国で日本方式の地デジ規格が採用されたが、日本方式を採用したブラジルでは日本製よりも韓国製の機器のほうが普及し始めているという皮肉な現象が顕在化しているという。
日本が規格採用に躍起になっている間に、韓国勢は規格に対応した製品を売り込むことだけに照準を合わせ、成功しているとのこと。

どこまで事実なんだか分かりませんけど、いかにも日本人らしい戦略観の無さですな…
これも「思考停止」の弊害が顕在化している一例でしょうか。


青森県が日本版レベニュー債の発行を検討、有料道路の通行料収入を元利払いに
レベニュー債というのは、公共施設から上がる収入を元利金の返済原資として発行される地方債で、米国では一般的だけど、日本ではなじみが無く発行されたら国内初だそうです。

自治体本体の財務負担が発生しない、投資家が当該事業の収益性を判断してレベニュー債を購入するので無駄な公共事業を削減できるといったメリットがあるようです。

一方で、日本でこれまでレベニュー債が普及しなかった理由についてはこんな解説がある。
大和総研/レベニュー債はなぜ実現しないのか
公営企業が、自治体から「自立」しておらず財政支援や暗黙の政府保証があるがゆえに、事業採算性からレベニュー債の信用力を読むことができない(したがって市場機能がうまく働かない)、という説明です。
今回の青森県の事例でこのあたりがどう解決されようとしているのかは分かりませんが、自治体の財政も厳しくなって、公営企業が「自立」せざるを得なくなってくると、逆説的にレベニュー債発行の環境が整ってくると言えるのかもしれません。

ゴールドマン・サックス証券が財務アドバイザーに入っているとのことですが、青森県とゴールドマンの組み合わせって、なんか違和感w
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属人化という「思考停止」

2010-06-09 23:13:50 | Politcs

内田樹氏のブログ、最近はあまり訪れてなかったんだけど、6月5日のエントリ「もうひとことだけ」は、久々に感心させられるものがありました(サーバーが不安定らしく避難先もできてますが)。

朝刊を読んだら、菅直人新首相について「期待する」という社説が掲げてあった。
その理由として市民運動出身であり、ポリティカル・ファミリーの出身でなく、自民党員だったことがないことが挙げてあった。
そして、新首相に課せられた最優先の政治課題は「小沢一郎の影響力を払拭すること」だと書かれていた。
私はこの説明を読んで、考え込んでしまった。
こういうことを「統治者としてのアドバンテージ」としてよろしいのであろうか。
「市民運動をしたことがなくて、ポリティカル・ファミリーの出身で、自民党員だったことがある」前首相との対比で、そのアドバンテージを強調したかった論説委員の気持ちは理解できるが、私はこの記事を読んで深い徒労感を覚えた。
もう何度も書いていることだが、私たちの国が陥っている窮状は構造的なものであり、つよい惰性をもっている。
日本の不調を統治者個人の属人的な能力で説明することには限界があるし、その人がどのような政治的キャリアであるかということと彼がこれから行う政治的選択の適否のあいだにも十分な相関関係はない。
メディアや政治学者の仕事はなによりもまず、統治者に意志があれば実現可能であるのは「どこまで」で、どこから後は個人的な善意や願望だけでは簡単には実現しない構造的な問題であるか、その境界をあきらかにすることではないのか。
統治者を評価するときには、まず「意志があれば実現可能」である政治課題の成否について吟味し、「善意や願望だけではどうにもならない」構造的な問題についての評価は「別のスケール」で考量すべきだろう。
けれども今のメディア知識人たちにはあきらかにそのようなスケールの使い分けをする能力が欠如している。

まさに我が意を得たり、でした。
どうしてこの国では、その人の属性だとか個人的素養だとかによってすべての問題を説明しようとする傾向が強いのだろうと、常々疑問に思っていました。
政治家だけでなく、たとえばサッカー代表でも、問題が生じるとすぐに監督を代えろ、選手起用がおかしいという話になり、人を取り代えさえすればすべてが解決するような言説がまかり通ってしまう。

内田氏は次のように続けます。

彼らの今回のできごとについての総括は失政の責任は「鳩山由紀夫」という個人の無能に帰し、新政権のまずなすべきことを「小沢一郎」という個人の排除だとしている。
だが、前政権が露呈させたのは、「日本は主権国家ではない」という「根源的事実」と、官僚とメディアがその事実を組織的に隠蔽してきたという「派生的事実」である。
このどちらのイシューについてもメディアはまったく論じる気がないようである。
アメリカの一友人に書いたことをもう一度採録する。私はこう書いた。

「ご存知のように、普天間基地問題について、日本のメディアはアメリカの東アジア軍略についても、日本領土に基地があることの必然性についても、ほとんど言及していません。彼らは鳩山首相の『弱さ』だけにフォーカスしています。彼らは首相を別の人間に置き換えさえすれば、私たちはまたこの問題をハンドルできるようになる、そう言いたいのです。
普天間問題はなによりも国内問題である、と。
日本人がアメリカ人と向きあうときに感じる『弱さ』はこの『想像的な』主権によって代償されています。私たちはアメリカとのあいだにはどのような外交的不一致もない。すべての混乱は日本国内的な対立関係が引き起こしているのだ。そのようにして、私たちは私たちに敗戦の苦い味を私たちに思い出させるアメリカ人をそのつど私たちの脳から厄介払いしているのです。」

今朝の紙面の政治記事のほとんどは政局にかかわるものであった。
それはメディアの「日本がかかえるすべての問題は国内問題である」という信憑(というよりは欲望)をはしなくも露呈していたと私は思う。

そう、そしてまさに普天間問題は、「切り捨てられた沖縄」vs「基地を負担しない本土」という国内問題へとステージを移そうとしているように思えます。
それこそが米国の思うつぼなのに。

戦後日本が、米国の軍事的属国であり主権国家ではないという事実を認めることによる自己嫌悪を避けるがために、思考停止という手段によって自己欺瞞の「疾病利得」を得てきた、いうのは内田氏お馴染みのロジックですが、今回ほど腹に落ちたことはありません。

内田氏も、かつてはその「疾病利得」をあながち悪くないソリューションとしてポジティブに評価していたように思いますが、そのあたりのスタンスも若干変わってきたようです。
6月2日のエントリ「思考停止と疾病利得」は次のように結ばれています。

けれども、散文的な言い方を許してもらえば、自己欺瞞が有用なのは自分を偽ることによって得られる「疾病利得」が、適切な自己認識のもたらす自己嫌悪の「損失」を上回る限りにおいてである。
疾病利得は「自分が詐病者であることを知っている」という「病識」の裏づけがある限りかなり長期に維持できる。けれども、自分を偽りながら、かつそのことを忘れた場合、それがもたらす被害は疾病利得をいずれは上回ることになる。
私たちはもうその損益分岐点にさしかかっているのだと思う。
今回のマスメディアの「集団的思考停止」は私たちがすでに損益分岐点を一歩超えてしまったことのおそらくは徴候である。

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復刻・GDPギャップの話

2010-06-07 23:18:10 | Economics
菅新首相の経済政策ブレーンと言われている小野義康・阪大教授、数日前の日経新聞にインタビュー記事が出ていましたが、不況時に供給側に対策を打っても効果が無い、増税して政府が雇用を創るべし、と確かに菅サンが言ってるのと同じことを語っていました。

不況時に供給側の云々…という話に関連して、池田信夫氏が以前ブログにエントリしていたのを思い出し、掘り出してみたので備忘を兼ねてリンクしておきます。

構造改革はGDPギャップを拡大するか(池田信夫blog)

「不況で構造改革をして生産性を上げると、供給が増えてGDPギャップが拡大する」のは誤りだという内容ですが、この記事はどっちかというとGDPギャップの定義に対する誤解を正しているだけのようにも読めます。

より詳しく説明されているのは、一年以上前の記事ですが、アゴラの以下エントリ。
こっちを合わせて読むと少し理解が深まる気がします。

「GDPギャップ」の過信は危険だ-池田信夫(アゴラ)

TFP(全要素生産性)が下がると、潜在GDPも実質GDPもどちらも下がる。
一方で、TFPは実測できない値なので過去のトレンドからの慣性が働きがちである。
したがって、不況期には潜在GDPが過大評価され、ひいてはGDPギャップも課題に見積もられるために、それを埋めようと財政出動すると無駄遣いになる。
…といった感じでしょうか。

このへんは経済学的に正しいのかどうかはあずかり知らぬのですが、アゴラの記事の後半にある「長期の問題と短期の問題を区別して考えるべき」という話は分かります(ただ、これが前段のGDPギャップの話とどう繋がるのかはイマイチわかりづらい)。
菅氏あるいは小野氏の主張するように、政府が増税して無理矢理仕事を作ったところで、それで日本経済の潜在能力が高まるというのは感覚的にも全く信じ難い気がします。
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