そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

『道化師の蝶』 円城 塔

2012-06-03 14:48:36 | Books
道化師の蝶
円城 塔
講談社


今年芥川賞を受賞した表題作と『松ノ枝の記』の2作を収録。

難解、という評は聞いていましたが、読みづらいわけではない。
気分よくすらすら読み進められる、というか字面を追っていけるんだけど、頭には入って来ない(「理解」はできない)という不思議な体験を味わえます。

2作とも「文章を書くこと」「物語ること」が主題になっている。
それらのことに強い関心がある読者であればあるほど魅かれる世界かもしれない。

自分のような俗人には、やはり「場面」が思い浮かばないとなかなか印象に残らない。
そういう点では『松ノ枝の記』のほうが、相対的には平凡でありますが、よい余韻が残ります。

あと、細かいけど「屹度」っていう漢字の使い方が気に入りました。
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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」 増田俊也

2012-04-28 23:24:26 | Books
木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田 俊也
新潮社


自分は、プロレス中継がゴールデンタイムに放映されていた時代に小学生時代を過ごした世代です。
小学校の高学年の頃、クラスの男子の半分以上は熱狂的なプロレスファン。
学級文庫に「プロレススーパースター列伝」が置かれて回し読みし、プロレス雑誌やムックなどを通じて、プロレス界に伝わる歴史や伝説について学びあったものでした。
そんな小学生なんて、21世紀の今になっては想像もつかないでしょうが。

そんな自分にとって「木村政彦」の名前には、正直「プロレスの王者である力道山に挑んで、あっさり敗れた哀れな柔道王者」くらいのイメージしかありませんでした。
ただの柔道王者ではなく戦争を挟んで15年間無敗の無敵の王者であったこと。
「柔道家」の実直そうなイメージとはかけ離れたバンカラ、やんちゃで人間味あふれる人物だったこと。
力道山に先駆けて既に海外でプロレスデビューし、ブラジルでは若き日のエリオ・グレイシーにバーリトゥードで圧勝していたこと。
グレイシーの件はなんとなく耳にしていましたが、この本を読んで初めて知ったことがたくさんあり過ぎて混乱しそうなくらい。

そして問題の力道山との世紀の一戦。
今回、初めてYou Tubeにアップされている動画をみましたが、あまりの凄惨さにショックを受けました。
明らかに「プロレス」ではない。
力道山という「怪物」の底知れない恐ろしさを思い知らされる。
この試合の時点においては、力道山はまだプロレス界の王者であったわけではない。
木村を叩きのめすことで、その地位を確固たるものに固めていった。
一方で、「負け犬」として生き恥を全国民に晒された木村の後半生は、世間から忘れ去られていく。

ところが、この700頁に及ぶ壮大なノンフィクションを通じて描かれる木村政彦の一生は、けっして悲劇の主人公のそれではない。
そう思わされることこそが本書の素晴らしいところだと感じます。
著者の木村政彦に対する思いの強さは一方ならぬものがある。
強さも弱さもひっくるめて、木村政彦という傑出した人物の複雑さも単純さも全てが伝わってくる。

また、本書を通じて、現在の立ち技中心のスポーツとしての柔道が、木村が極めようとした「実戦的な柔道」とかけ離れたものであることを識ることができます。
「力道山のプロレス」にしても「講道館の柔道」にしても、最初っから絶対的な地位にあったわけではなく、戦後という時代の政治の流れの中でその地位に収まったものである。
21世紀の今、そんな冷静な見方で戦後社会を概観できるという点でも良著だと感じます。
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「体制維新―大阪都」 橋下徹・堺屋太一

2012-01-04 23:36:17 | Books
体制維新――大阪都 (文春新書)
橋下 徹・堺屋 太一
文藝春秋


正直、東京に住んでいると、大阪都構想が実現すると何がよくなるのかピンとこなかったんですけど、これを読んで非常によく理解できた。
主張されていることはごくごくシンプルなんですよね。
中央が号令かけて地方を画一的に統制し、恣意的に分配するやり方はもう時代に合わない。
地域地域で、最適な形を自ら選択できるようにすることで活力を生む。
シンプルかつ真っ当な考え方です。

それと、政治と行政の役割分担について。
政治家はビジョンと方針を示し、行政は実務が回るよう細部を組み上げる。
お互いが衝突する際は、とことん議論を尽くす。
これもまたシンプルかつ真っ当。

そして、組織マネジメントの大切さ。
政治家は政策を示すことより、体制・組織をデザインすることに注力すべし。という慧眼。

なんだか拍子抜けするくらいシンプルで真っ当です。
過激なところなんて全くありません。
「ハシズム」だ「独裁」だ、と批判している人はこれを読んだのでしょうか。

とはいえ、職員基本条例や教育基本条例がシンボリックに取り上げられるのは、橋下氏から「仕掛けている」面もあるように感じます。
その点は”小泉流”な「わかりやすい敵を作る」手法の踏襲に思え、ポピュリスティックに感じられるのも事実ですが。

主張がシンプルな分、同じ内容が繰り返されて、読み物としてはやや冗長。
それと、「第三の敗戦」「下り坂」など堺屋氏の時代認識は的を外しているような気が。
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「謎とき平清盛」 本郷和人

2011-12-25 22:02:05 | Books
謎とき平清盛 (文春新書)
本郷 和人
文藝春秋

今年の大河ドラマは視る気が微塵も起きなかったけど、来年の『平清盛』は今のところ視てみようかなという気になってます。
その予習も兼ねて、ということで手に取りました。
著者の本郷氏は、来年の大河の時代考証を務めている学者さんです。
『平清盛』の時代考証は2名が務めているそうで、本郷氏はセカンダリ。
プライマリ時代考証役の高橋昌明氏とは見解を異にする部分もあるらしく、そのあたりの裏話も本著の中で少し紹介されたりもします。
そのへんも含めて、系統だった歴史書というよりもエッセイっぽく書かれている感じです。

著者は、歴史を叙述する際の手順を以下の4つの位相で考えているとのこと。
 1.史実(歴史事実)
 2.史像(歴史像)
 3.史論(歴史理論)
 4.史観(歴史観)
このへんはなるほどなーと思わされました(十分に消化はできてないけど)。

大河ドラマの中でも大きなクライマックスになるであろう保元・平治の乱。
大学入試で日本史を学んで以来、すっかり忘れてしまってましたが、記憶が甦りました。
皇室・貴族・武士が二手に分かれ、血族同士が争い滅ぼし合った大内乱。
本著では、次のように評されます(第6章)。

保元の乱を語る際、「AとBが対立している、CとDが手を組んだ、Eがいつ、こんな行動に出て、Fはこれに対抗してこう動いた」と説明がされる。それは歴史を実証的に認識するために大切なことです。けれども、そうした小さな史実を漠然と積み重ねるだけで、史像が自然と形成されるわけではない。

ここで何に注目すべきかと言えば、それまでは陰謀とか暗躍とか、外の人間にはまるで分からぬ所謂「コップの中の嵐」として行われていた宮中の権力抗争が、「武力を駆使しての戦闘」という、誰の目にも明確なかたちで解決された、ということ。軍事力が政治をドラスティックに変革する時代が到来したのだ、ということです。これこそが平安時代末、朝廷の政治における史像になり得るのです。

ここで書かれていることこそが、この本が示唆している最大のポイントだと思います。
この後、七百年にわたり続くことになる「武士の時代」の端緒となるエポックメイカーとしての平清盛。
大河ドラマが楽しみになってきました。

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「昭和天皇伝」 伊藤之雄

2011-12-05 23:47:52 | Books
昭和天皇伝
伊藤 之雄
文藝春秋


昭和天皇の評伝としては、以前に『畏るべき昭和天皇』を読みましたが、本著は、側近の日記など一次資料を丹念に検証しながら、昭和天皇の「畏るべき」側面だけでなく、弱さや蹉跌にもスポットを当てている点が特徴的です。

20歳代半ばの若さで即位した昭和天皇は、張作霖爆殺事件や満州事変などの処理に躓き、軍部に対する威信を築き上げられないまま太平洋戦争への突入に消極的同意をすることになります。
生来の生真面目さゆえに軍部や政治家との、或いは皇室内での確執に悩みながらも次第にその政治手腕に円熟みを増し、戦争終結に政治力を発揮。
そして、終戦後連合軍占領下、戦争責任や退位問題に揺れながらも新憲法下における象徴天皇としての自らの在り方を模索し確立していきます。

改めて印象深く思わされるのは、昭和天皇が、戦後象徴天皇となってからも含め生涯通じて政治的存在であったことです。
象徴天皇となって政治からは切り離された存在になってもなお、国内政治・国際政治に関心を抱き、内奏を受け続けたとのこと(そんな中で増原内奏問題が起こったりもするのですが)。

もちろん平成の今上天皇も我々の知らないところで内奏を受けてはいるのでしょうが、やはり生きてきた時代が違うだけに政治的な重みが昭和天皇とは違うのは致し方のないところ。
昭和天皇という重しを失ったことが、現代の日本における政治の軽さや混迷の一因となっているのではないか、そんな気もしてきます(当然のことながら今上天皇が悪いと云いたいわけではありませぬ)。

著者による評伝を読むのは『伊藤博文 近代日本を創った男』以来だけど、600頁に迫る大著は読み応え十分。
8月の終戦記念日の頃に購入して、少しずつじっくりと読み進め、開戦記念日間際のこの時期に読了しました。

改めて、昭和天皇は日本という国の現代史そのものを体現する偉大な存在であります。
日本史の教科書よりもこれ一冊を読み込んだほうがよっぽど日本現代史の理解を深めることができましょう。
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「なずな」 堀江敏幸

2011-11-06 16:53:34 | Books
なずな
堀江 敏幸
集英社



この小説は途中で始まり、途中で終わっています。
思いがけず生後2か月の姪っ子「なずな」を育てることになった独り身の中年男性が主人公。
小説の始まりではすでに主人公の育児は始まっており、なずなを実母に無事受け渡す直前で小説は終わります。
400頁を超える長編ですが、小説内の時間は、なずなが生後2か月から3か月になるまで、ほんの1〜2か月しか経過しません。

この時間の切り取り方がまずユニークなんですが、時間がゆっくり流れる、という感じかというとまたちょっと違います。
慣れぬ育児に悪戦苦闘する主人公は、周囲の人たちにサポートされながら、そろりそろりと少しずつ行動範囲を広げ、地方都市のコミュニティ紙記者としての仕事を傍らで進めていったりと、けっこう忙しい。

一方で、大きな事件や出来事が起きるかというとそんなことはなくて、近所の人たちの過去についての噂話だとか、食材や料理の話だとか、地域碁会所やゲートボール場の話だとか、ショッピングモールの回転すし戦争だとか、交通事故に注意喚起する看板が悪戯で書き換えられただとか、はっきり言ってどうでもいいような話題が次から次へと現れていきます。
ところが、読んでいるうちに、この「どうでもいいような話題」こそがまさに「人間が生活をする」ことそのものなんだよな、という気になってきます。
そして、そんな俗世の事柄を構いもせず、少しずつ、確実に成長していくなずな。
考えてみれば、赤ちゃんを育てるという営みほど、人間が生活する、生きていく上で根源的なものはないでしょう。

生きるってこういうことなんだよな、としみじみ感じ入ってしまいます。
これこそ堀江ワールドの真骨頂でしょう。

友栄さんとのほのかなロマンスの香りを漂わせる、余韻もいい感じです。
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「津波と原発」 佐野眞一

2011-10-02 20:50:57 | Books
津波と原発
佐野 眞一
講談社


東日本大震災と福島第一原発事故について、おそらく一番早く出版されたルポルタージュ。
著者は、地震発生一週間後の3月18日には三陸の津波被災地に入り、また、4月25日には福島第一原発周辺の立入禁止区域にも潜入して被災地の実態を目の当たりにするとともに名もなき被災者たちの生の声を集めます。

そして本書の後半は、日本の原発推進の歴史、そして福島の浜通りに東電の原発が建設されることになった経緯を詳らかに追っていきます。
リサーチと当時を知る人への取材にかける熱意が強烈に伝わってきます。
著者には、過去に、”原発の父”正力松太郎や”東電OL殺人事件”を採り上げたルポルタージュの著作があり、そのあたりも一方ならぬ思い入れに繋がっているように思われます。

正直、著者の感性にはついていけない部分もあり、共感は相半ばという印象でしたが、読後に何とも云えぬ”イヤな気持ち”が広がっていくような、情念が込められたルポルタージュになっています。

この本に出てくる福島浜通りの被災者たちは、口々に「原発は安全だと信じ込まされてきた」「東電に騙された」と語ります。
それはその通りなのでしょう。
東電の罪は極めて重いと思います。
が、彼らは100%イノセントな被害者なのかといえば、そう言い切るのにどこか躊躇いを感じます。
東電の原発が、特段の産業も無く貧しかった浜通り地域に繁栄をもたらしたのも事実なのです。
その恩恵を浴びながら、自ら安全神話に身を委ねてきた側面は果たして無いと言えるのか。

浜通りの地元民だけではありません。
原発推進者たちは決して悪意のある扇動者としてのみ存在していたのではなく、省資源国家に未来のエネルギー源をもたらす、或いは、貧しい過疎地域に産業と雇用を生み出すといった真面目な想いが活動の原動力になっていたのもまた事実なのでしょう。
日本人全体がある意味安全神話に加担していたのだと思います。

ところがその結果起きてしまったのは残酷な現実。
放射線の健康に与える影響については諸説入り乱れていることは承知ですが、少なくとも人類史上稀にみる大量の放射性物質により、一部とはいえ国土を汚染し、人が住めなくなり、多くの家畜に犠牲を出した、その事実だけは間違いなく実在している。

だからこそ、この本の読後感は苦く、”イヤな気持ち”をもたらす。
そしてそのことにこそ、このルポルタージュの存在意義があるのだと思います。
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「ホワイトスペース戦略」 マーク・ジョンソン

2011-09-10 00:23:42 | Books
ホワイトスペース戦略 ビジネスモデルの<空白>をねらえ
マーク・ジョンソン
阪急コミュニケーションズ



ある企業の中核となる事業領域を「コアスペース」とした場合、その外側にある領域を「ホワイトスペース」と呼んでいます。

企業がビジネスモデルにイノベーションを起こし、ホワイトスペースに進出しようとする契機には、以下のようなパターンがある。

【1】内なるホワイトスペース
 ・競争の基準が変わって市場に新たな未解決なジョブが登場する。
  競争の基準の変化:機能性→信頼性→利便性→価格(=コモディティ化)
 ・未解決のジョブが見落とされ続けてきた。
 ⇒既存企業にとって、飛躍的な成長と企業革新を実現する有望なチャンス
【2】かなたのホワイトスペース
 ・今、顧客でない層(=非消費者)を市場に取り込む。
 ・非消費者が消費者になることを妨げている障壁を打ち破る。
  資金の障壁、技能の障壁、アクセスの障壁、時間の障壁
 ⇒自社の商品・サービスを「民主化」し、新しい市場を手にするチャンス
【3】はざまのホワイトスペース
 ・市場の需要に予測不能な、或いは劇的な変化が生じる。
 ・テクノロジーに予測不能な変化が生じる。
 ・ビジネス環境に関する政府の政策に劇的な変化が生じる。
 ⇒変化の前の世界と後の世界の間に、フロンティアが生まれるチャンス

そして、企業がこういったホワイトスペースに進むためには、ビジネスモデルの変革が必要になるわけですが、まず従来の自社におけるビジネスモデルとはどのようなものであったのか、そのことについて明確に理解している企業は多くないと著者は述べます。
「ビジネスモデル」とは一体何であるのか、その点について意識的でない限り、何をどう変えようとしているのかを理解することもできません。
その点が本著の肝であります。

著者は、「ビジネスモデル」という概念を4つの構成要素に分解します。

(1)顧客価値提案
 顧客が抱えている未解決のジョブを見出し、それを解決するための商品・サービスを提供する。
(2)利益方程式
 企業が如何に自社と株主のために価値を創り出すか。
 4つの変数で構成される。
 ・収益モデル:価格×販売数量
 ・コスト構造:直接費と間接費(規模の経済を考慮)
 ・1単位当たりの目標利益率
 ・経営資源の回転率
(3)主要経営資源
 顧客価値提案を実現するための資源
 人材、テクノロジー、商品、設備、納入業者、流通経路、資金、ブランド…
(4)主要業務プロセス
 持続・再現・拡張・管理可能な形で顧客価値提案を実現するための手段

こうしてまとめられると当たり前のように感じるわけですが、これらのうちのどの要素をどのように変えようとしているのかが分かってないと、ビジネスモデルの変革は的外れなものになる。
そして既存の企業にとって、長年培ってきた利益方程式や経営資源・業務プロセスにメスを入れることは極めて難しいことも指摘されます。
この点は実感としてよく分かります。
「これってうちの会社がやるべきビジネスじゃない」なんてセリフ、よく聴こえてきます。
そうなると最早現場だけではどうにもならず、経営の問題になってきます。

なるほどと思ったのはM&Aに触れた部分。

現実には、買収したビジネスを無理やり既存事業に組み込もうとして、そのビジネスの独自性を壊してしまう企業が非常に多い(そもそも、独自性に魅力を感じたからこそ、その企業を買収したはずなのだが)。

うーん、まったくその通りですなあ。

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「昭和天皇とワシントンを結んだ男」 青木冨貴子

2011-08-20 16:11:51 | Books
昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領
青木 冨貴子
新潮社


トマス・コンプトン・パケナム、終戦後の占領期に「ニューズウィーク」東京支局長を務めた一人の民間人。
偶然に、彼が遺した日記を入手した著者は、コンプトン・パケナムが単なる特派員ではなく、宮内省の幹部(松平康昌)を通じて日本の皇室と繋がり、当時公職追放されていた鳩山一郎や岸信介といった後に首相となる大物政治家とも懇意の仲であったことを知ります。
一方で、「ニューズウィーク」本社の外信部長の役にあったハリー・カーン(後にダグラス・グラマン事件において贈賄計画に関わったコンサルタントとして名前が挙がることになる人物)を通じてワシントンとも繋がり、トルーマン大統領の特使として訪日し、後にアイゼンハワー政権の国務長官となるジョン・フォレスター・ダレスの情報源になっていたことも明らかになります。
パケナムの日記には、来日したダレスを鳩山と引き合わせた件りなどが生々しく記されています。
終戦翌年の1946年に東京に赴任したパケナムは、マッカーサーの占領政策を批判する記事を書いたことでGHQに睨まれて一旦は日本から追放(再入国拒否)されますが、1948年末にはワシントンの後ろ盾を受けて東京に再赴任します。
ちょうど冷戦が始まるという国際情勢の変化の中、米国の占領政策が方針変更され始めた時期と重なります。
マッカーサー解任から講和条約締結・独立といった一連の流れの中で、パケナムは裏ルートでの日米政界の橋渡し役を務めていきます。

そんなパケナムの出自が、日本生まれの英国人であったというのがまた面白いところです。
パケナム家は元はアイルランドの貴族の系統。
コンプトン・パケナム自身は、神戸の在日英国人商人家庭に生まれ、第一次大戦では英国軍に従軍し、米国に移民して大学の教員や音楽ライターの職を経て、「ニューズウィーク」のジャーナリストとして再来日を果たします。
生涯に四度の結婚をし、最後の妻は日本人のオペラ歌手。
伯父は、日露戦争で英国の幹線武官として司馬遼太郎の「坂の上の雲」にも登場する「ペケナム大佐」であることも明らかになります。

著者は、日米英の血縁者や文献を隈なく調べ上げて、コンプトン・パケナムの数奇な人生を紐解いていきます。
1957年にパケナムが急死した際に「ニューズウィーク」誌に掲載された彼の死亡記事に記されたプロフィールにも事実と異なっている点が多くあることが明らかになります。
終章で、多磨霊園に眠るパケナムのもとを著者が訪れる件りには感慨が溢れていて感動的です。

それにしても、このような名もなき民間人が、日本の戦後の行く末を左右する占領期の政策決定に深く関わっていたという事実には、日本人としてやや複雑な思いも湧いてきます。
パケナムのような数奇なプロフィールを持つ人物がもしいなかったとしたら、日本の戦後はまた違ったものになっていたのでしょうか。

さらに言えば自分のような戦後世代からするとついつい軽視しがちな占領期という期間が、戦後日本を形作る上で決定的な時代であったことを改めて思い知らされます。
在日米軍や沖縄の問題を考えれば、この時代に為された政策決定が、今日的な問題に繋がっていることを否応なく意識させられます。
公職追放解除も、朝鮮戦争も、講和条約も、日米安保も、けっして必然ではなかった。
何か一つ歯車が狂っていたら、まったく異なる戦後日本が実在していたのかもしれません。
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「イノベーションの知恵」 野中郁次郎、勝見 明

2011-07-22 23:53:09 | Books
イノベーションの知恵
野中 郁次郎,勝見 明
日経BP社



類稀なリーダーにより奇跡的な成功を実現した「イノベーション」の実例を紹介しつつ、経営学的見地からの解釈を差し挟む構成。

本著で紹介されているイノベーションのケースは以下の通りです。
旭山動物園
京都市立堀川高校
・JR東日本・エキュート
・トヨタ自動車・iQ
・霞ヶ浦・アサザプロジェクト
社会福祉法人むそう
再春館製薬所
・徳島県上勝町・いろどり
銀座ミツバチプロジェクト

どのケースも、読んでいるだけで元気になってくるような魅力にあふれており、それだけでも一読の価値があると思います。

特に強く印象に残ったのは再春館製薬所の4500平米・1200人収容のワンフロア・オフィスですね。
ちょっとこれは普通の会社では真似できないな、という感じです。
その他、”アサザプロジェクト”や”いろどり”のような地域活性化系のケースも、地道な活動が大輪を咲かせた感が感動的です。

で、差し挟まれる野中郁次郎氏の解釈編ですが、これがまた分かるような分からないような(笑)。
・「理論的三段論法」から「実践的三段論法」へ
・「モノ的発想」から「コト的発想」へ
・「考えて動く」から「動きながら考え抜く」へ
・「名詞」ベースでなく「動詞」ベースで発想する
・「見えない文脈」を見抜く眼力をつける
・偶然を必然化する

例えば「実践的三段論法」とは、「目指すべき目的がある」「目的を実現するにはこんな手段がある」「ならば、実現に向け行動を起こすべきである」と結論を導き出すこと。
正直、これを「論法」と言ってしまっていいのか?という感じではありますが、要するに大切なのは「行動する」ことであると。
当たり前だけど、なかなかこれができないのですよね。

「まとめ」の章では、リーダーに必要なのは「場のマネジメント」である、ということが提唱されます。
これは納得です。
いくら机上でうんうん唸っていてもイノベーションなど生まれない、綺麗にまとめようとしているうちはダメ、ってことですかね。

あと、これからのリーダーに求められるのは「ジャッジメント」ではなく「ディシジョン」だとも。
「ジャッジメント」と「ディシジョン」の定義の違いが明確に説明されていないんですが、基準による「判定」よりも行動をベースにした「判断」が重要、というようなイメージでしょうか。

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