青梅雨のとき 17
ビルの谷間を走る赤電。
高架化された区間だからこそ、その姿が見えるのかもしれません。
1Kmほど離れた浜松城天守閣から撮影した写真です。この間、遮る高層ビルがなかったことが幸いしました。
浜松城には、何回も足を運んでいますが、ここから直線で眺望可能とは思ってもいませんでした。
↑ 浜松城は徳川家康が、29歳から45歳までの青年期に17年間
城在しました。
◎遠州鉄道のブログは、今回で終了します。
次からは別の路線を考えています。
青梅雨のとき 17
ビルの谷間を走る赤電。
高架化された区間だからこそ、その姿が見えるのかもしれません。
1Kmほど離れた浜松城天守閣から撮影した写真です。この間、遮る高層ビルがなかったことが幸いしました。
浜松城には、何回も足を運んでいますが、ここから直線で眺望可能とは思ってもいませんでした。
↑ 浜松城は徳川家康が、29歳から45歳までの青年期に17年間
城在しました。
◎遠州鉄道のブログは、今回で終了します。
次からは別の路線を考えています。
青梅雨のとき 16
ホームの壁に
"あかでんのお得な乗車券" "1日フリーキップ"
こんな文字の看板が掲げられています。二駅ごとにあります。
1日フリーキップは、どこの鉄道会社でも実施しているサービスですが、
利用者には大変便利なキップです。
因みに赤電では、新浜松駅から西鹿島駅までの往復料金は940円ですが、
1日フリーキップでは、1,000円です。この料金で何回も乗り降り自由ですから、
写真撮影には極めて有難いシステムです。
しかも遠鉄バスとの共通券は、1,540円でフリーですから、車を廃車し免許を返納した自分には、
財布が軽くならず頭が下がる思いです。
青梅雨のとき 15
遠州鉄道の4編成目のラッピング電車です。まじかで目にするのは、初めてです。
緑色の車体に白の斜線が入って、派手ではないが、目につく電車です。
遠鉄グループ自社のPR用だと理解しました。
青梅雨のとき 14
黄昏の時刻から深夜まで、酔客が往来する繁華街のひとつです。
昼間は閑散としていますが、よく見ると幾つかの飲食店が軒を
連ねています。
その向こうの高架橋を新しいラッピング車両が通過していきます。
青梅雨のとき 13
このところ雨の降らない日が続いています。
今日も青空の下には、箒で掃いたような雲が見えます。
新浜松駅に近いホテルの上空ですが、穏やかな夏の雲がゆっくり流れています。
市街地の昼過ぎの風景です。
青梅雨のとき 12
久しぶりに市の中心部へ戻ってきました。
街路樹の緑は、すっかり深みが加わり、空には鱗のような雲が漂うなか、
遠鉄電車が赤い色を添えていました。
青梅雨のとき 11
西鹿島駅の車両基地です。
常時、2両ほどが入庫しています。
基地は余り大きくないので、その奥の野天にも車両が留置されています。
基地の横には、本線が走っています。
↑ 車両基地が狭いので、外へはみ出しています。その横を本線が通過しています。
↑↓西鹿島駅は遠州鉄道の最北端にある始終着駅です。
駅舎は1917年に国鉄から敷地と共に譲り受け、1979年に改築しました。
青梅雨のとき 10
直線と曲線。
遠州鉄道に限ったことではないと思いますが、
線路には直線のところと曲線のところがあるはずです。
しかも郊外は直線の線路が多く、市街地は曲線の線路が多いようです。
小松駅から浜北駅までの約1Kmは、直線ですから見通しが良好ですが、
新浜松駅から第一通り駅までは曲線のため、約500mの近さにあっても
駅どうしを見ることが出来ません。
市中心部にカーブの区間が多いのは、市街地のため、直線の線路敷を確保するのが、
難しかったからでしょうか。
青梅雨のとき 9
昨日とほぼ同じところです。
ここの田圃も苗は植えてあっても、痩せていて、畦道は草が茫々です。
後継者がいないのか、あるいは高齢のため、耕作が出来ないのでしょうか。
何か寂しい感じがぬぐえません。
青梅雨のとき 8
郊外に出るとある地域では、遠鉄沿線の西側は住宅が並び、東側は農地になっています。
農地といっても休耕地が多く、田圃として耕作しているところは、それほど多くはありません。
しかも新潟や富山のような穀倉地帯と異なり、広々としているわけではありません。
苗が植えてあっても、生育するだろうかと心配するほど小さく瘦せています。