ココロニハナオ

全速力で過去を追想するのだ。
記憶はどこまで遡れるのか?

記憶を食べる

2005-05-31 11:15:32 | 野ざらし:philosophism
野菜であれ、肉であれ。
穀物であれ、豆であれ。
たべもの、のみもの、なんであれ。
喰らうというのはそのものの記憶を摂取することでもあるな。

地中に埋もれるものならば、土の。
地表に開き遊ぶものならば、日の。
空中に伸びゆくものならば、風の。
水中に洗われるものならば、水の。

光の陰陽。熱の温冷。

折り込まれた時間。
畳み込まれた空間。

ゆっくりと。大事に。噛み含む。
じんわりしみこませるように味わう。

さまざまな記憶を取り込み練り込んで
僕らもまたどんどんおいしくなってゆく。

手に汗握る人生 - cliff-hanger -

2005-05-18 20:52:23 | その日暮らし:Live!Laugh!
気が付いたときにはもうこの手と一緒だったんだ。

親に口うるさく言われなくたって、ハンカチを持たずに外に出ることなんてできなかったよ。しかも1枚じゃとても足りないんだ。それでもたまに忘れてしまう時がある。最悪の状況さ。そんな時はどうするか?シャツの下に手を潜り込ませてTシャツをぎゅっと握りしめる。靴下の足首の部分をつかんで靴下を引き上げるようなフリして手を拭く。説明なんかしてみるとなんとも滑稽だなぁ。
手が乾いた状態から汗が出るまさにその瞬間、ってのは人前で赤面する瞬間に似てないこともないけれど、もっと理屈や理由や原因がわからないんだ。カラダの奥の方で何かが突発的に「爆発」するんだ。あ!来た、って具合に。熱いカタマリがカラダの中心から拡がってくるのがわかるんだ。そして、手のひらの汗腺は全開になるんだ。ひとつひとつの穴から水の粒々が溢れだす。こうなったらもうお手上げだよ。たとえバスタオルを握りしめたって汗を拭いきることはできないんだから。
いつも手に汗握る人生なんて、もうヤっ。手術で治るもんなら治したい。手が濡れていて便利なことなんてなんにもない。このおかげで(フツウの)人の何割かは確実に損してる。
僕が触ったものはみんなダメになってしまう。紙類はしわしわよれよれになる、破れてしまう。インクはにじむ。金属は錆びる。機械は壊れる。電子回路はショート。バットやラケットは吹っ飛ぶ。ボールはあらぬ方向に飛んでく。鉄棒からは落ちる。車やバイクのハンドルが滑ると時速数十キロの制御不能ロケット状態だ。砂や土に触れればドロドロ。綺麗なものはすぐ汚れる。ジーンズは手を置く太もものところから穴が開く。電車のつり革につかまったり本屋で立ち読みしてると手のひらから流れ落ちた汗で水たまりができる。人の手に触れれば気持ち悪がられる。大っ嫌いだフォークダンスなんて。握手も嫌い。店でおつりをもらう時もイヤ。まるで僕がニンゲンではないことがばれてしまうかのようで、この瞬間にすべてを拒絶されるようで、こわい。

・・・って、ずーーーっと思ってたんだ。

水が必然的にある場所はいい。皿洗い、好きだなぁ。せんたっきも好き。蛇口から走り落ちる水に手を差し出す瞬間は少し神聖な気持ちになったりもする(手を合わせるのはきっとその所為)。風呂に浸かっているのもいいけれど、シャワーにたたきつけられるのもいい。雨も嫌いじゃない。傘なんかなんの役にも立たないくらいの嵐がいい。うれしくなって立ち止まって天に叫びたくなる。ずっと待っていたのかもしれないナニカの迎えが来たようで両手を広げて言葉にならない大声を発してしまう。雨後の泥水にも手を浸しかき混ぜたくなる。流れている水、動いてる水を見ると、まず手を触れたくなる。川の流れ、海の波。水の中がいちばん安心する。水の中でならなんの違和感もない。陸で暮らすのはホネが折れる(ホネがあるとすれば)。

♪やぁっぱり俺が死んだら 海がいいなぁ

普段それほど飲み物を口にしなくてもノドが乾いたりはしないのになんでこんなに汗をかくんだろう?体内の水分バランスの保ち方がフツウと違うんだろうな。僕のカラダはこうして手をびしょびしょにしながらうまいことやってるんだろうな。
いまではもうこの手と一緒に汗をかいて生きてくことを、あきらめではなく肯定するようになったよ(とは言えそれを積極的に利用しようとは思わないけれど)。こんな手だけれど僕の大切な相棒なんだ。汗で台無しにしてしまわないような工夫を(手袋したり)すれば、ものすごく細かい作業もできる器用な手なんだ。それに、こんな手を持つ僕のようなニンゲンを好きだという人も居ることを知ったんだ(たとえば内田春菊「私の部屋に水がある理由」)。
小学生の時に泣きながら木に手を叩きつけたり、誰にも相談できずに悩んでいたりしたけれど。まぁ、とりあえず手首を切り落とさなかったのは正解だったな。

いつも手に汗を握って暮らしているっていうのは、いつもハラハラドキドキワクワクの人生を生きてるようで。考え方次第では楽しくなってくるよ。もしかしたらこの世界を最も敏感に感じ取っているのかもね。
よしっ!そういうことにしとこ。

雨男のキセキ - rain man -

2005-05-12 15:03:33 | 野ざらし:philosophism
わたしが奇蹟を起こすわけではない。
けれどわたしは水に祝福されている。

たいていは役立たずだ。
わたしだって水を持て余してるほどなのだ。
太陽を返せと言われてもこっちだって困ってる。

だけど。もし。
みち(道/未知/満ち)の途中でくずおれるものあらば。
このてのひらから滴り落ちるひとすくいの水を差し出そう。

わたしは枯れぬ泉を持っている。

歩道橋

2005-05-02 08:32:35 | その日暮らし:Live!Laugh!
昨夜の雨のおかげで。
空気が花が草が木々がぴかぴかで。
うれしくなって歩道橋に上がる。
空に近いところ。

上空から下界を見下ろし。
こう言うのだ。
「いろいろあろうが、皆の者、しあわせになるがいい。わしが許す」
何様のつもりかといえば、やせがまんの王様でしかないが。
なーに、知ったこっちゃないフリで下界はぐるぐる今日がはじまる。

ふ、と。5年前に書いたものを思い出す。
脈絡もないが、浮かれ気分は同じだったな、と。

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「爛漫」simple and innocent / in full bloom / Spring has come.

春爛漫。
天気のいい朝。洗濯。満開の桜。春の風に花びらが舞う。
ただもうそれだけで掛け替えのないこの一瞬に感動。
ああ、春、だね。
とても優しい気持ちになるね。

コインランドリーへの往復の途中。
歩きながら花を見上げる。桜舞う穏やかな春。
通りすがりのおばあちゃんが声をかけてくる。

天真爛漫。
私に声をかけるのがいつもの習慣でもあるかのように。
桜が満開だねぇ。綺麗だねぇ。
「花はちゃんと季節を知っているんだねぇ」

暖かな陽光と風と人の声を全身に受けて私の中にも春の花が舞った。

[00.04.09sun]海月通信 vol.045より
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あぁきっと今日もいい日。
まずはひと寝入りしてからはじめようか。