いつも寝不足 (blog版)

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靖国問題に感じる違和感

2005年05月23日 | 時事
この問題については、マスコミで報じられていることの大枠くらいしか知らないし、外交的な問題は複雑なので深入りしない。

ただ、靖国神社を詣でることだけが戦没者を慰霊することみたいな言辞が少なくないことには非常に違和感を感じる。A級戦犯云々の問題ではなく、靖国神社へ行く前にやるべき事があるでしょと思わざるを得ない。

「あなたの地元に神社仏閣はないのですか? そこに戦没者は祀られていませんか?」といつも思う。身の回りにある慰霊碑などを疎かにして草の中で朽ちさせてしまう一方で靖国神社へ行っても仕様がないでしょ。

靖国神社が戦没者慰霊の中心的存在であることを否定するつもりはないけれど、そこばかりに目が向けられる状況は大事な何かが欠落している気がしてならない。靖国神社だけが美々しく飾り立てられる一方で足元にあるものを蔑ろにするのであれば、あまりにも空疎じゃないかな。

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2 コメント

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その通りです。 (toriyaのバカですが)
2005-05-23 23:27:25
どこでも、極端にいうとお寺だって教会だって

良いんですよ。総理になったら、一法人の靖国ではなく、国自身が管理する千鳥ヶ淵墓苑(無縁墓地)を忘れてはいけませんが、まあ、見栄と名誉が精神の人は、民間へ行くのが筋なんですが、しがみついてはがれないでしょうから困っておりますはい~!

国がこわれかけてますけど。
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特定の誰というわけではないのですが (querent)
2005-05-24 23:29:16
blog本文中の「あなた」は特定の誰かを指しているわけではないのですが、靖国神社(参拝)に賛成する人も反対する人も、あまりにも型にはまった教条的な意見ばかり述べていることに違和感を感じるわけです。



つまり、靖国神社に参拝すれば全てOK、または全てNGみたいな悪しき二元論に陥っていることが気になります。



本来の目的である戦没者の慰霊が脇に追いやられて、一手段にしか過ぎないはずの靖国神社参拝が自己目的化している感があります。形だけでも参拝すれば、愛国者で戦没者を敬っているとポーズが取れることが重要なのでしょうか。



「身の回りにある慰霊碑などを疎かにして草の中で朽ちさせてしまう」は、SF小説家で翻訳家の矢野徹がR.A.ハインライン『宇宙の戦士』(映画『スペース・トルーパー』の原作)の後書きで書いていたことが大本になります。



つまり、日本では慰霊碑は一部の例外を除いて草の中に没してしまっているのに対し、アメリカではどんなに小さなものでも常に手入れをされていて、そこにこそ人民・国民としての誇りの源がある、というような内容だったと思います。



どんなに目立つ所を立派にしても、裏側や脇に逸れた部分がボロボロだったら、立派さは侘びしさに繋がりますし、中央では不活発でも周辺で活発であれば、何の問題もないはずです。
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