ぶっちのお念仏生活

いかされていきる

すくいましますべし

2017-07-10 07:24:45 | 日記
たとひ罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくひましますべし『末代無智章』

本日はようこそお参りくださいました。朝活のこのご縁に私を念仏者としてお育て下さっている南無阿弥陀仏の救いのはたらきが、今、私の上にどのようにはたらいて下さっているのかを「かならず弥陀如来はすくひましますべし」というお言葉を中心に10分間ほど味わわせていただきます。
このお言葉は、本願寺第8代の蓮如上人がお念仏のみ教えをわかりやすく示されたお手紙、御文章の中の末代無智章の一説です。現在私の一番お伝えしたい言葉のひとつとなっています。

南無阿弥陀仏の必ず救うとは「すべてのいのちに寄り添い、そのいのちをありのままに輝かせ、そしてそのいのち終わる時は必ず我がさとりの国に生まれさせ、さとりの仏となる身にさせる」というおはたらきです。
このおはたらきが「南無阿弥陀仏」の6文字のお名号として完成され、私に至り届いて下さり、その届いて下さったなんまんだぶつが私の口から出て下さり私にお聞かせ下さるのです。
阿弥陀様が「救わずにはおかない」と願いはたらいて下さっていても、そのおはたらきを聞き受けることのない人生は、私の慶びにも力にもなりません。阿弥陀様の「生きとし生けるものすべてを分け隔てなく必ず救う」という「南無阿弥陀仏」のおはたらきをそのまま、計らうことなくお聞かせ頂くことが、今ここでの救いということなのです。

十数年前、あるご門徒様のお宅、名前はトミさんとお参りし、この末代無智章を拝読しましたら、「必ず弥陀如来はすくいましますべし」ここが好きなんだよね、ありがたいんだよねえ・・・。と。いうのです。その頃の私は、なぜそんなにありがたいのかよくわかりませんでした。
同じ頃に、お寺の法座が行われるたびに、毎回毎回後ろの席の同じ場所に座るおばあちゃん二人がいました。名前はハルヱさんとテルさんです。お寺で知り合われたお二人は、必ずご法座で同じ席に二人並んで座っていました。二人の中では、その席に座ってみ教えを聞かせていただくことが回を重ねるごとに決まっていったようです。お互いに連絡を取りあい、お念仏のみ教えを大切にそのよろこびをわかち合うような関係に育てられたお二人でした。そのお二人それぞれのお宅にお参りに行くたびに、お念仏をよろこばれたお姿、お仏壇を大切され、仏様を仰がれたお念仏生活を送られている姿勢に私も育てていただいております。
その後トミさんもハルヱさんも先立たれました。現在テルさんもご高齢で身寄りも少なく一人暮らし。数年前からお寺の法座に出向くことは困難になっています。自宅へお参にうかがうと、身体の衰えからか、横になっていることが多いようで、思い通りにならない我が身、もしかしてこの世の縁尽きるのはそれほど遠くないかもしれず苦悩を目の当たりにされているように見受けられます。そのような中でもお念仏を中心とした生活を歩まれているテルさんと「家の中で何か困ったことはないですか」などと会話をしても、何の役にたつこともできない私に「往き先は決まっているから」と、笑顔でおっしゃったのです。その時私はわーすごーい。トミさんが「必ず弥陀如来はすくいましますべし」というところがありがたいと言っていたのはこれなんだあ。浄土真宗の救いっていいなあ。素晴らしいなあ。と思わせて下さいました。
阿弥陀様の届かぬところのない光に照らされ、自己中心の心から離れられずに、知らないうちに他人を傷つけ自分自身をも苦しめてしまう心は、衰えていく我が身、自分の力ではどうすることもできないものに出会い、苦悩していく。そんな罪悪深重の弱い私が、煩悩あるままこの身このまま救われていく道が今もうすでにご用意くださっている。テルさんはこのみ教えを大切に聞き受け、先だったハルヱさんからも学び、どうなっていくいのちなのかを知らされ、生死の問題の解決が済まされているからこそ「いのちの往き先の心配は無用である」と笑顔で言えるのではないでしょうか。
お念仏を中心とした生活を大切に歩んでこられたトミさんハルヱさんテルさんこのお三方のご縁を通して、今、南無阿弥陀仏の救いのど真ん中にあるこの身であったと、私に教えてくださったのです。
                                      
このことから、南無阿弥陀仏の救いのおはたらきは、お仏壇の前に座ることさえなかった私を、お念仏を申すことなどなかった私を、日々「なもあみだぶつ」を聞き受ける身に育てて下さり、煩悩の束縛から離れられない、閉ざされていた私の心を、多くの人とのつながりの中で、安心の世界へと導いて下さいます。
しかも、いつでも阿弥陀さまが私の心に寄り添って下さっていることの喜びを聞かせて頂きながら、いのちを精一杯に輝かせた日々を歩ませて頂けます。
 私たちがこの世を生きていくうえでは、様々な苦悩に出会って行かねばなりません。しかし、私の上にどのような問題が起ころうとも、このおみのりの中で支えて下さり「いのちの輝き」を見失うことなくお念仏の日暮らしを大切に送らせて頂くことが「弥陀如来はすくいましますべし」ということであると、このご讃題からお聞かせ頂くことであります。
なんまんだぶつ だいじょうぶだよ
なんまんだぶつ ひとりじゃないよ 肝要は御文章にて