義理の妹さんの50回忌におばあちゃんと私の二人でご縁に合わせていただきました。農家に嫁がれて、さまざまな苦悩があったのでしょう、27才の若さで、しかも、三ヶ月の赤ちゃんをのこしたまま、自死されたそうです。話しながら、涙をながされておりました。
年老いて、歩くのも不自由になり、物忘れも多くなりました。と愚痴をこぼされるおばあちゃん。若いときには気にもしなかったことなのに、年老いてみて、淋しさ苦しさ、情けなさ、その年齢にならないと、わからないものですと、きっぱりおしゃっておりました。そうであるならば、生、老、病、死、人間にとってもっとも大きな苦しみの死も、経験しないとわからないのでしょうか。http://www2.ocn.ne.jp/~butti/10401.html
3日間のスクーリングが終了し、お手伝いありがとうございました。さっぱり手伝えなかった私以外、忙しい中、お手伝いいただきました皆様お疲れ様でした。また、現役生徒のみな様は、もっと疲れたことでしょう。平成18年に卒業した懐かしい記憶がよみがえりました。2年次の筆記試験が不合格となって、どうしようどうしようと、右往左往し迷っていたのを思い出しました。試験は落ちても心配いりません。阿弥陀様のはたらきは、平生業成、いつでも私に届いて下さっています。
仏教を学ぶお仲間が集まりました。お寺出身の方以外の人が多くいます。役所勤めをされてきた方、銀行の支店長をされた方、高校の先生、お寺の総代さん、大切な方を亡くされお念仏の教えに出会われた方、お寺の住職さんと同級生のおばさま、様々な方々がお念仏を学ばれています。仏さまは人を選ばず、すべてのいのちにはたらいてくださっております。
結婚をするということは、自分の都合100%近くで生きてきたお二人同士が、少なくともお互いの都合を50%以下に抑えていき、時には相手の都合を優先するということが「二人で人生を共にする」ということではないでしょうか。
また、長年、一緒に生活を続けておりますと、お互いの良いところも悪いところも見えてまいります。そのうえ、相手の悪いところばかりが目に付くようになってしまうことが多いのかもしれません。「相手の悪いところは大目に見てあげる。相手の良いところはしっかりほめてあげる」ということも大切なことだと思います。
そして、100%私達の命にはたらいて下さっている仏さまに支えられ、導かれお育てをいただきながら、楽しいときも、苦しいときも、うれしい時も、悲しいときも、共に敬い合い、支えあう、よろこび一杯のご家庭を築かれますようお念じ申し上げ、お祝いの言葉とさせていただきます。本日はまことにおめでとうございます。