前回紹介した西山の棚田から道一つ隔てて東側に有る棚田、多分この棚田を分けるバイパスが通るまではきっと棚田を分けるのは曲がりくねった里山の古道であったに違いない。
今その古道は「和銅の道」として京都府県境辺りからこの伊賀高倉辺りまで整備され、平城遷都を思い起こす旧街道としてハイキングに利用されたりしている。
山城、甲賀、伊賀を隔てる三國山系の御斉峠(おとぎとうげ)はその昔、本能寺の変で徳川家康が堺・枚方・宇治田原を経て、伊勢、岡崎へと自領に逃れる際、この峠を越えたと伝えられている。
西高倉の棚田は伊賀上野城を遠く南東方面に見下ろす高台にあって、背後に屏風を立てた様に御斉峠を擁する峰が聳えている。
棚田を通る「和銅の道」には国指定文化財に指定された補陀落寺町石が点々と有ったり、又伊賀上野生まれの芭蕉の句碑が有ったりと見るべき処も多い。
なだらかな棚田は大きな曲線を描き集落と集落の合い間に広がっている。
枚数にして100枚ぐらいは有ろうか??
集落の奥、御斉峠から下る斜面に鎮座する高倉神社に続く参道まで伸びる棚田
撮影2010.7.31