まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

大垣の郊外をめぐる

2016-09-19 23:42:41 | 建物・まちなみ
大垣の続き。

お昼を食べてから車を借りてちょっと郊外へ。30分ほど北へ走った黒野ということころに、近代建築が2軒。
こちらが青木医院旧診療所。木造下見板張りの四角い建物。道路側には入口が見当たらないな。。


門の間から覗いてみると庭側に入口があった。むくり屋根の車寄せ風玄関は古めかしくて明治建築かと
思わせるが、1917(大正6)年の築。


すでに診療所としては使われていないようだが、サッシも更新されきれいに保たれているところを見ると
居室として第二の人生を送っているようだ。
来年で100年とは思えない元気な姿で、大事にされているんだなぁ~とほっこり。

そしてこちらは、小森医院旧診療所。青木医院の2年後、1919(大正8)年である。
青木医院が診療所を建てたのに触発されたのだろうか。


爽やかなペパーミントグリーン色に塗られた下見板張りで、こちらは道路に面して入口がある。
立派な門もあるのだが、このデザインが面白いなぁ!ぐるぐる渦巻き。


こちらももうすでに診療所機能は移転してしまったようで、玄関は閉ざされていた。
洋館の裏には大きな和館が続いているのが見える。外からは見えないが、和館との間にアーチ型の
装飾のある小部屋がついているようだ。→こちら


歩いて数分の範囲に洋館の診療所が2つも残っていることから分かるように、この黒野という集落は
結構まとまった規模のまちである。街道筋の宿場町なのか?寺内町なのか?近隣に鉄道の駅もなく
何だか不思議な場所だなぁ、、、と思っていたら、何と、かつて美濃電気軌道北方線と谷汲鉄道が
通っていたということを、帰ってから知った。うわぁ~!しまった!!
 
のちに名鉄揖斐線となった同路線は2005(平成17)年に廃線となってしまったが、
1926(大正15)年開業当時からの黒野駅駅舎は残され、「黒野駅レールパーク」という
まちの観光拠点施設となっているらしい。それは2つの診療所のすぐ近くだったのだ。
駅舎好き、廃線跡好きの私としたことが・・・ショック~(涙)

・・・とにかく次へ向かって走り出したところで、すごくきれいな石垣が。スト~ップ!!
東海地方や富山あたりでよく見かける亀甲石垣だ。美しい~~


長い塀が曲面を描いて続いている。ぐるっとたどって行くと、うぉっ!蔵??
なが~~~~い!


なんだこれは、タダモノではなさそうな雰囲気だが・・・庄屋だろうか?
扉はぴっちりと閉ざされ内部は全くうかがい知れない。む~


さ、そのままずっと南下し、JR線を超えて東へ。ずっと前にも一度行ったことのある、墨俣へ。


ここは昔遊郭のあった街だそうで、前回は雨の中少し歩き回ったのだが、今回はここだけ。さくら湯。
2009年の時点ですでに廃業後しばらく経っているような雰囲気だったが、そのまま全く手を
つけられていないようだ。


この扇模様も色あせることなく残っていた。よかった~~


前回気づいていなかったかもしれないけど、外壁タイルもかなりきれい~
この微妙なニュアンスカラーがいいね!


さて、今度は西に向かって走ろう。


続く。

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