巨人に土屋という内野手がいた。松本深志高校時代の土屋はどのポジションでもこなす万能選手であった。二年生の時は捕手と三塁手、三年になってからは投手をやった。テニス、バスケットボール、バレーボールと球技ならなんでも得意だったという。
彼は野球を静かにやった。大声をあげて野球をするのは野暮だとでも思っているかのように、静かに野球をやった。
一年生の頃、球拾いに飽きてくると、こっそりとテニスコートへいって、テニスのラケットを振っていたという。おそらく球拾いをしても野球は上手にならないと思ったのであろう。
土屋は東大を受験するつもりだった。ところが三年生の秋に巨人からスカウトが来た。熱心な巨人の勧誘に彼の心は揺らぎ、ついに彼は巨人入団を決意する。
しかし巨人入りの記事が新聞に出たとき、彼の心は傷ついた。ということは彼はまだ新しい世界に入ってゆくという決断ができていなかったということであろう。もちろんまだ少年の彼に「男の決断」を求めることは無理であろう。
大学進学への未練を断ち切れない彼は、その新聞記事で、大学を受験しようとしている仲間たちから外れた、という感じを持ったという。
彼は二軍に入り本塁打王になった。しかし本塁打王になりながらも、まだ彼は心の区切りがつかず、「自分はまちがった選択をしていたのではないか」と迷っている。「ここは自分のいるべき場所ではない」と彼は思いながらもそこにいた。筆者(加藤諦三)に言わせると、土屋は技術においては天才であっても、人間の生きる姿勢としてはきわめて優柔不断であった、つまり未熟であった。
昭和三十年夏、二軍は信州へ遠征した。彼は四番打者であった。それにもかかわらず自分は場違いなところにいる、という思いは頂点に達していた。
試合が終わってそのまま松本の実家へ帰ってしまった。
もうやめて出直そう、と彼は思った。夏のうちから勉強すれば来春の受験には間に合う、と思ったのである。ところがこう思いながらも実は彼の腹はまだ決まっていなかった。技術的能力における天才は、生きる能力において鈍才であった。
松本から夜行で東京の合宿所に世界文学全集を取りに行った。着いたところで僚友たちに、「おう、来たか、ちょうど川崎の試合に間に合うぞ」と言われた。そしてユニフォームを着てしまう。「着おさめのつもりで」ということだが、実はこれこそいいわけであろう。ところが寝不足にもかかわらず、天才だからこの試合で逆転の二塁打を打つ。無断帰省を叱られるどころか、ほめられて、また何となく合宿所へ戻ってしまう。
その年の秋から一軍に移る。
練習中に水原(1950年から1960年まで巨人の監督を務めた、巨人の内野手)が「声を出せ」というと、内野手のなかで土屋だけが黙っていた。水原が叱ると、「ぼくは声を張り上げると耳鳴りがするんです」と答えたという。
「声を出せ」という水原監督の言葉は、実に大切な言葉である。元気だから声を出すのではなく、声を出すから元気になる。そういうのが人間なのである。その点が生きる基本的観点である。生きることに何か意味があるわけでもなく、意味がないわけでもない。意味があるという前提で生きることで、意味を感じ取ることができるのが人間である。「声を出すより、要は球を取ればいいんだ」という理屈は、いちばん深いところで、「どうせ人は死ぬんだから何をやっても意味がない」というニヒリズムに根ざしている。
昭和三十三年、長嶋茂雄が巨人に入ってくる。天才には天才が見抜ける。長嶋の天才を見抜いた土屋は二塁にまわされることに不満はなかったという。それでも彼はプロに徹してみようと思う。長嶋と広岡が派手なプレーをやるので、逆に静かなプレーをやろうとする。難ゴロを平凡な打球のようにとってしまう。天才にしかできないことである。ヒステリー性格の人間なら平凡なゴロを難ゴロであるかのように取る演技をするであろう。しかし土屋は違った。
大学を卒業してサラリーマンになっていたかつてのチームメイトに、「もう少し派手なところを見せたらどうだ」といわれて、彼は逆に喜んだ。「この連中にも見抜けないほど、自分は天才技術を発揮しているのだ」と。この喜びには、明るく大きく青空に抜けてゆくような壮大で軽快な性質がない。どこか少しひねくれた感じがある。彼は、自分は他の連中とは一段も二段もレベルの違う特別な人間なんだという意識があったのだろうと思う。彼は派手なプレーに沸き立つ観衆たちを見下していたという。
土屋は天才であるから、このゴロは取れるか取れないかががわかる。取れないゴロは追いかけない。それでベンチへ戻ると、「何で追わないんだ」と怒鳴られる。土屋は取れないと分かっているものを追いかけて横ざまに倒れて見せるようなことはしない。合理主義と言えばその通りだが、さわやかな感じがない。なんかひねくれていて不気味な考え方だ。ニヒリズムの行きつくところは「どうせ人は死ぬんだからシャカリキになることに何の意味があるのか」という諦観だ。
たしかに人間は死ぬことは死ぬ。しかし人間として生まれてきたことも事実なのである。シャカリキになってやったってどうせ同じように死ぬんだから無意味だという理屈は死ぬことに焦点が合っていて、生まれてきた、という事実から目をそらしている。
ある試合で巨人は大差でリードしていた。相手の一塁走者が二塁盗塁した。このとき、土屋は二塁ベースのカバーをしなかった。「なぜベースへ入らなかったか」と言われて、彼は答えた。「馬鹿のお守りはできませんよ」。十分点差が開いているのにあえて土まみれになって盗塁してまで点を稼ぐのは非合理的で格好悪いと。
しかし、人はなぜ生きるのか、と問われたら、彼は何と答えるだろう。彼は愚直という言葉の意味を知らないのだろうか。
フランスの作家カミュは、人生が生きるに値するかどうかは緊急かつ本質的な問題だという。そしてこの本質的な問題をどう考えるかについては二つの考え方があり、そのうちのひとつはドン・キホーテの思考の方法であるという。筆者もその通りだと思う。もうひとつの思考は、ラ・パリスだとカミュは言う。非常に勇敢に戦い、1525年に戦死したフランスの勇将である。
いずれにしろ、土屋にはドン・キホーテのようなところがどこにもない。またある試合で、ゴロを胸に当てて彼は大きく前へはじいた。そのままうずくまって拾いに行かない。投手だった別所がマウンドを降りて取りに行った。これを見ていた読売の正力松太郎はカンカンになって怒ったという。「球を拾ってから倒れるのが巨人の選手だ」と正力は言った。
土屋に言わせれば、「もう拾いに行ったって間に合わない」ということだろう。たしかに土屋の考えかたのほうが合理的で、正力の考え方の方が非合理的である。しかし、「人はなぜ生きるのか」ということに合理的な理屈などない。土屋の考え方は合理的なようだがニヒリズムに根ざしている。正力の考え方は非合理的だが、生きる意味をとらえている。
昭和三十四年、川上がヘッドコーチになる。春のキャンプで土屋は川上からノックを受けた。例によって取れないと思うものは最初から追わなかった。「どうして追わないんだ。やる気がないならやめてしまえ!」と怒鳴られて、ほんとうにベンチに引き揚げてしまったという。
やがて土屋は国鉄スワローズ(今のヤクルトの前身らしい)にトレードに出される。三番や四番に入ってバリバリ打つ。そして四月末から五月にかけて、長島と激しく首位打者を争う。五月の連休の頃、0.413という驚愕的な打率でトップに立つ。土屋は後にこう語る、「国鉄に行ってすぐ、よく打ったのは、見返してやる、という意地のせいだったでしょうね」。
この意地こそが実は生きることだと、彼はどうして思わないのだろうか。しかし結局はこのシーズンの土屋の打率は0.269に終わり、長島は0.353で首位打者になる。「意地がありながらそれを持続させる何かに欠けていた」とルポライターの上前淳一郎は述べている。確かにその通りだろう。その「なにか」こそ、実は人間の生きるということを根本において支えているものなのである。
この年をピークに土屋はだんだん影を薄くしていく。そしてプロ野球から引退していくのである。一口に言って、土屋にはロマンがない。
(筆者注:土屋の言動については、上前淳一郎著、文芸春秋刊「英雄たちの挽歌」によった。)
「自信とおびえの心理」/ 加藤諦三・著 より
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加藤諦三教授の書いた本のなかでは、これはわたしが一番好きな作品です。残念ながら今はもう絶版になっていて容易には手に入らないんですが。1986年に刊行された本です。
この章の後に、土屋の行動様式の解説が述べられています。土屋氏の行動や考え方は資本主義的合理主義を体現したもので、それは(バブル直前の)われわれ日本人の心性でもある、上手に格好よくムダなく行動するのは、機械化するのと同様であり、ムダかもしれなくても球を追うのは、野球というゲームで、ルールに則って相手に勝つということを自分の意志で自分に強いて、それにのめりこむことであり、それが生きることの意義となるのだ、と加藤先生は訴えています。
合理性、効率という意味合いでの合理的に行動するのが良いのなら、不治の病になった人に棺桶を贈ることが理にかなった行為であるが、それでいいのか、ということになる、しかし誰でもそれはおかしいと思う。
人間は進化の過程で人間にまで至った、進化は効率のいいシステムが自然淘汰の過程を通して生物をはぐくんできた、弱肉強食の非情な掟が真理であるように見えるが、人間が他の生物にないくらい繁栄したのは、知識を記録して残し、おおぜいの協力が行われたからです。人が結婚その他で結びつくのは効率がいいからではなく、ある場合には経済的に苦しむのは分かっていても、うまくいくかどうかわからない夢や目的に共感して、苦境を共にする覚悟をもってすることもざらにあるのです。だから財産目当てで結婚する人たちに対しては、公然と非難はしないものの、内心では軽蔑を感じますよね。土屋選手と似たような、イヤ~なものを感じ取るからです。人間の営みをまるで機械のように見なされることに、わたしたちはいや~なものを感じます。逆に高校野球がいろいろ問題があっても支持されるのは、ゲームにのめりこむその真摯さにわたしたちはさわやかさを感じるからなのです。
生きることとは、自分でやりたいと思ったことにのめりこむこと、ひたむきに、誠実にハマることであり、誰かに決められるものでは決してないのです。見た目に格好悪くても自分で決めた道にひたむきにハマる姿にこそ、人びとはここ起きなく賞賛を与えるでしょう。逆に、賞賛を求めて望まないことをそつなくやり遂げる人には嫌味しか感じませんが。
こう考えてくると、ふられるのを怖がってアタックしないことのばかばかしさがわかるし、世間の非難を怖れて汲々と暮らすこと、やりたいことをあきらめることというのがいかにニヒリスティックか、わかるのではないでしょうか。その背後には、土屋選手に通ずる、ニヒリズム、虚無主義があり、自分のほんとうの気持ちを見失っている深層心理があるのです。
不治の病の人に棺桶を贈るのが合理的という記述がありましたが、今はまさにそういう時代になっています。効率主義、市場原理主義とも呼ばれる小泉政権以降の日本の政策のむごさはありません。死亡税、独身税、など効率よく税収をあげるのにかつてはなかったような発想が公然と提案されるのです。年を取るのはみんな同じなのに年金や生活保護が減らされ、福利厚生を締め上げ、一部の人間だけが生きれるような世の中にされつつあります。弱肉強食のおきてが自然の摂理だというのが根本思想です。お金を稼ぐことにしか人間の値打ちを認めない昭和の雰囲気の帰結なのでしょう。安倍政権を終わらせられない背景には根本的にわたしたち庶民が生きることの意味を見失っていることがあるのだと、わたしは思います。