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Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

『沖縄ノート』 - 現代日本への予言的警告の書

2007年11月18日 | 一般
「沖縄ノート」が著されたのは、沖縄返還以前の1970年です。沖縄返還に当たっては紆余曲折があり、日本政府、とくに自民党は慎重な姿勢をとったらしいのです。当時、沖縄住民は「租税負担をしていないことなど」を理由にして、「沖縄代表議員に対して、沖縄関係だけでなく、(日本国政に関する)すべての案件について、議決権を与えるのは憲法上疑義がある」というのです。沖縄の人々はつまり日本人ではないのだということです。

大江さんは、一体沖縄が当時のようにアメリカの占領地になったのは誰のせいなのか、戦争末期に沖縄に対して、日本は何を行ったのか、その記憶が意図的に隠蔽されているのではないか、忘れ去らせようとされているのではないか、それとも、沖縄戦の記憶に触れたくないのか、もしそうなら、それは戦争当時、沖縄で取った戦略を引き起こした思想、思考が繰り返されていることではないのか、ということを問いかけようとしておられるのでした。

そこで今、係争中の記述が書き記されたのです。ご紹介します。

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このような報道とかさねあわすようにして新聞は、慶良間列島の渡嘉敷島で沖縄住民に集団自決を強制したと記憶される男、どのようにひかえめにいってもすくなくとも米軍の攻撃下で住民を陣地内に収容することを拒否し、投降勧告にきた住民はじめ数人をスパイとして処刑したことが確実であり、そのような状況下に、「命令された」集団自決を引き起こす結果を招いたことのはっきりしている守備隊長が、「戦友」ともども、渡嘉敷島での慰霊祭に出席すべく沖縄におもむいたことを報じた。

僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分を味わうのは、この旧守備隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい》と語っていたという記事を思い出すときである。

「おりがきたら」、この壮年の(1970年ころ当時)日本人はいまこそ、「おりがきた」と判断したのだ、そして彼は那覇空港に降り立ったのであった。

僕は自分が、直接かれにインタビィユー(ママ)する機会をもたない以上、この異様な経験をした人間の個人的な資質についてはなにごとかを推測しようと思わない。むしろかれ個人は必要でない。それは、ひとりの一般的な壮年の日本人の、想像力の問題として把握し、その奥底に横たわっているものをえぐりだすべくつとめるべき課題であろう。

その想像力のキッカケは言葉だ。すなわち、「おりがきたら」という言葉である。1970年春、一人の男が、25年にわたる「おりがきたら」、という企画のつみかさねのうえにたって、いまこそ時は来た、と考えた。かれはどのような幻想に鼓舞されて沖縄に向かったのだろうか。

かれの幻想は、どのような日本人一般の今日の倫理的想像力の母胎に、はぐくまれたのであるか?


(「沖縄ノート」/ 大江健三郎・著)

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たしかに冒頭部では、この「守備隊長」はほぼ特定されてはいます。名前は出されていませんが、渡嘉敷島での慰霊祭に出席しようとした元守備隊長、フェリーに乗船を拒否された(別の箇所に書かれている記述)人といえば、ほぼ特定できるでしょう。

でも大江さんは、ここで当の元守備隊長を非難しようとしているわけではないことを明言しておられます。

「僕は自分が、直接かれにインタビィユー(ママ)する機会をもたない以上、この異様な経験をした人間の個人的な資質についてはなにごとかを推測しようと思わない」。

「むしろかれ個人は必要でない」のです。

どういうことでしょうか。

「それは、ひとりの一般的な壮年の日本人の、想像力の問題として把握し、その奥底に横たわっているものをえぐりだすべくつとめるべき課題であろう」。

つまり、1970年当時壮年に達していた、戦争を経験したすべての日本人、もっといえば戦争を引き起こすのに同意したすべての日本人の象徴として、この守備隊長は使われているのです。いわば戦争に加担したすべての日本人の代名詞、記号としてここで定義されなおしています。大江さんが告発しているのは、1970年当時の多くの日本人です。本土の日本人です。コンテクストを読めば、個人を中傷誹謗したり、個人の名誉を毀損したりする意図がないことは明らかだと思います。

大江さんは、この守備隊長が語ったとされる「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」というコメントに激しい拒絶反応を示されます。どんな「おり」がくるのを、この旧守備隊長は、つまり当時の日本人は待っていたのでしょうか、大江さんはこういうふうに解釈して考察されます。

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まず、人間が、その記憶をつねに新しく蘇生させつづけているのでなければ、いかにおぞましく恐ろしい記憶にしても、その具体的な実質の重さは軽減してゆく、ということに注意を向けるべきであろう。その人間が可能な限り早く完全に、厭うべき記憶を、肌ざわりのいいものに改変したいとねがっている場合にはことさらである。かれは他人に嘘をついて瞞着するのみならず、自分自身にも嘘をつく。そのような恥を知らぬ嘘、自己欺瞞が、いかに数多くの、いわゆる「沖縄戦記」のたぐいをみしていることか。

たとえば米軍の包囲中で、軍隊も、またかれらに見棄てられた沖縄の民衆も、救助されがたく孤立している。

そのような状況下で、武装した兵隊が見知らぬ沖縄婦人を、「無言で」犯したあと、二十数年たってこの兵隊は自分の強姦を、感傷的で通俗的な形容詞を濫用しつつ、限界状況での「つかのまの愛」などとみずから表現しているのである。

かれはその二重にも三重にも卑劣な強姦、自分たちが見棄てたのみならず、敵に向けるはずであった武器をさかさまに持ちかえておこなった強姦を、はじめはかれ自身にごまかし、つづいて瞞着しやすい他人から、もっと疑り深い他人へと、にせの言葉によって歪曲しつつ語りかけることをくりかえしたのであったろう。

そしてある日、かれはほかならぬ強姦が、自分をふくめていかなる者の眼にも、美しい「つかのまの愛」に置きかえられたことを発見する。かれは、沖縄の現場から、被害者たる沖縄の婦人の声によって、いや、あれは強姦そのものだったのだと、つきつけられる糾弾の指を、その鈍い想像力において把握しない。


(上掲書)

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記憶の書き換え、個々の人々の脳裡から消去するのではなく、社会で、人々の集まりの中で記憶を完全に消去する手だてが、ジョージ・オーウェルの著作「1984年」で書かれているところの、「ダブル・シンク(二重思考)」です。書き物や語ることなど、人々と接するあらゆる機会で、消去したい事実、記憶を別の許容できる表現に置き換えるのです。人々と討論したり、いっぱい飲み屋で演説する際にも、置き換えられた表現で話すようにさせるのです。

沖縄の極限状況で、追いつめられた兵隊と現地の女性が「つかの間の愛」をかわした、と社会のあらゆる場所で語り、また書き、また映画やTVドラマという映像で表現するのです。そうするうちに、現場を知らない人々はそれが事実だと受け止めます。そういう人が多数派になれば、ついにこういうときが来るのです。

“そしてある日、かれはほかならぬ強姦が、自分をふくめていかなる者の眼にも、美しい「つかのまの愛」に置きかえられたことを発見する。”



こんなことが現実に可能なのでしょうか。



可能です! 

わたしは目撃しました。カルト宗教教団(たとえばエホバの証人)は世界の滅びの預言をして、危機が迫っているからと言って信者を集め、教団内にとどめようとします。ところが予定されていた年(たとえば1975年)になっても何も起きません。昨日までと同じように太陽は昇り、1976年1月1日には年賀の挨拶が平和裏に交わされていたのです。周辺的な信者はそれで離れてゆきますが、中心的な信者の多くは組織に残るのです。どうしてでしょうか。別の説明が、つまりいいわけが飛び交い、人々は疑念を話し合うかわりに、そのいいわけのほうを人が集まるところではどこでも話し合い、集会で一致団結して呪文のように挙手して口述します。自分で自分に言い訳し、自分で自分を説得するのです。こんな簡単なことで、人間は突拍子もないことをほんとうに信じ込むことが可能なのです。

であれば、都合の悪い記憶ならなおさら「世間で」、あるいは「社会で」完全に消去することは可能なのです。

日本社会で、戦争中の消したい記憶を消去するダブル・シンク(二重思考)に手を貸すのはだれでしょうか。小説家、映画制作会社、TV製作者、そしてマスコミです。協力するのは、積極的に協力したのはほかならぬ大勢の日本国民です。

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慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。

人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい(ママ)罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶に助けられて罪を相対化する。

つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす。いや、それはそのようではなかったと、1945年の事実に立って反論する声は、実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれにとどかない。1945年の感情、倫理感に立とうとする声は沈黙に向かってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮の中で、かれのペテンはしだいにひとり歩きをはじめただろう。


(上掲書)

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人間としては決して償いきれない罪、それは巨大な岩石の塊のようにも思えることでしょう。戦争で人を殺してきた人たち、人を殺すことを教育されてきた人たちは、教えられたことを実行することしか考えません。しかし、戦争が終わって、敗北者となったとき、自分が犯してきた殺戮は「罪」として問われるのです。戦争が終わったという開放感は、おそらく兵隊も非戦闘員も同じでしょう。殺すか殺されるかという緊張感から解き放たれることは、兵隊にとっても嬉しいことであるに違いありません。これからはそういう開放感の中で生きてゆきたいと願うでしょう。ところがしかし、敵ではなく、自国民を死に追いやった将校は、その責任が問われるのです。

しかし、兵隊の一人ひとりにはどうしようもなかったことではないか、当時はそういう教育だけを刷り込まれていた、兵士個人に責任を問うことは酷ではないか、と思われるでしょうか。いいえ、敗軍の将校には責任が問われます。戦争とはいえ、国際法によってさまざまな規制が設けられています。捕虜の虐待の禁止、住民への強姦・略奪の禁止。ましてや自国民の住民を強姦し、自決を強要するというようなことは責任を問われないはずがないのです。

また、そういう異常な教育がおこなわれる社会を作り上げてしまったのは、国民が個々の利益だけしか考えず、大局的な視点を持たなかったことのツケでもあります。ファシズムはある日突然に完成された姿で国民の前に姿を現すのではありません。小さな利益と引き換えに妥協を重ねていった挙げ句に、巨大な犯罪国家に束縛されるようになったのです。

これは21世紀、2007年に生きるわたしたちへの強烈な警告になっています。生物の進化が徐々に、段階的に変化していって、ついにわたしたち人間のような「ありえない」とも思えるほどの姿にいたったのと同じように、ファシズムも小さな妥協が積み重なったうえに、その巨大な力をむき出しにするようになるのです。

こういう過程から教訓を得、二度と同じ過ちを犯さないようにするためにも、戦争責任は徹底的に検証し、追及するべきなのです。ところが、
「実際誰もが沖縄でのそのような罪を忘れたがっている本土での、市民的日常生活においてかれにとどかない。1945年の感情、倫理感に立とうとする声は沈黙に向かってしだいに傾斜するのみである。誰もかれもが、1945年を自己の内部に明瞭に喚起するのを望まなくなった風潮」が生じるようになります。

戦争映画で、製作者個々人は、売れる作品を撮影しようという意図だけで、戦争中の恋のエピソードを映画にします。すると、映画中の恋する兵士に観客の共感が生まれます。戦争をする兵士もひとりの人間だ、という小さな小さなコンセンサスが形成されるのです。「市民の日常生活」では誰もが素敵な毎日を送りたいに違いありません。ですから、親が幼い子どもを撲殺して自決する、というような話をするよりも、成就しない恋に身をやつし、敵艦に特攻して行った兵士への共感を語る方が、いいに決まっています。こうして誰に言われるでもなく、ダブル・シンクが行われてゆきます。

こういう風にして青春時代を70年代にすごした世代が長じて青壮年になった時代が現代です。一部のエリートが集まって、「新しい教科書をつくる会」などを結成し、南京事件や従軍慰安婦問題や沖縄の集団自決事件といったことを歴史から抹消しようとするのです。

どこに狂いがあったのでしょうか。

時が過ぎ、歴史事実を修正しやすい時期が来た、と考えられるようになりました。当時においてさえそうだったのであれば、現代においてはなおさらでしょう。

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本土においてすでに「おり」はきたのだ。かれは沖縄においても、いつその「おり」がくるかと虎視眈々、狙いをつけている。かれは沖縄に、それも渡嘉敷島に乗りこんで、1945年の事実を、かれの記憶の意図的改変そのままに逆転することを夢想する。その難関を突破してはじめて、かれの永年の企ては完結するのである。

かれに向かって、いや、あれはおまえの主張するような生やさしいものではなかった。それは具体的に追いつめられた親が生木を折りとって自分の幼児を殴り殺すことであったのだ。おまえたち本土からの武装した守備隊は血を流すかわりに容易に投降し、そして戦争責任の追及の手が27度線からさかのぼって届いてはゆかぬ場所へと帰ってゆき、善良な市民となったのだ、という声は、すでに沖縄でも起こりえないのではないかとかれが夢想する。

しかもそこまで幻想が進むとき、かれは25年ぶりの者と生き残りの犠牲者の再会に、甘い涙につつまれた和解すらありうるのではないかと、渡嘉敷島で実際に起こったことを具体的に記憶する者にとっては、およそ正視に耐えぬ歪んだ幻想をまでもいだきえただろう。このようなエゴサントリクな希求につらぬかれた幻想にはとめどがない。「おりがきたら」、かれはそのような時を待ちうけ、そしていまこそ、その「おり」がきたとみなしたのだ。

日本本土の政治家が、民衆が、沖縄とそこに住む人々をねじふせて、その異議申し立ての声を押しつぶそうとしている。そのような「おり」がきたのだ。ひとりの戦争犯罪者にもまた、かれ個人のやりかたで沖縄をねじふせること、事実に立った異議申し立ての声を押しつぶすことがどうしてできぬであろう?

あの渡嘉敷島の「土民」のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったのではないか、とひとりの日本人が考えるにいたるとき、まさにわれわれは、1945年の渡嘉敷島で、どのような意識構造の日本人が、どのようにして人々を集団自決へと追いやったかの、およそ人間のなしうるものと思えぬ決断の、まったく同一のかたちでの再現の現場に立ち会っているのである。


(上掲書)

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沖縄では、当時もいまも、このような日本人の思惑通りには進みませんでした。当時、実際に渡嘉敷島に渡ろうとしたこの元守備隊隊長はフェリーボートへの乗船を拒否されました。

今日でも、歴史教科書から沖縄集団自決の記述を削除しようとする安倍一派の思惑は、沖縄住民によって拒否されました。あの当時は皇国教育が刷り込まれていたから、住民は悲惨な決断を決行しました。しかしいまや住民は学んだのです。知識を得ました。もはや同じ過ちは犯さないのです。

同じ過ちを犯しているのは誰でしょうか。大江氏が元守備隊長を代名詞に使って言い表したのは、本土に生きる私たち日本人全部です。このたびの沖縄での反対運動も、本土の大手新聞紙上では軽く扱われたに過ぎず、言論暴力団・産経をはじめ、読売などは否定的な論陣をさえ張ったようです。

「沖縄ノート」はいまこのときにまったく色あせていません。それどころか、まさにこの2007年の今日に、ぴったりマッチするのです。文体が大仰で、読むのがちょっとたいへんですが、今回裁判になった9章だけでも読んでみることをお勧めします。わたしもいきなり9章に飛んでこの記事を書きました。通勤電車の中で読むにはちょっと固いものですが、時間をぬって、全部を読み進めたいと思います。
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「知らされていないことによって、世論もまたつくられる」

2007年11月11日 | 一般
 知らされていないことによって、「世論」もまた作られる。

     「弱い文明」/ “レイランダー”

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日本人はあまり知らないことかもしれませんが、世界中で死刑を積極的に行っている国はむしろ少ないのです。昨年で最も多く死刑を執行した国は、アメリカと、ブッシュ大統領が「悪の枢軸」と呼んだイラン、イラク、そしてパキスタンと中国です。

日本はどうでしょうか。死刑廃止どころか、弁護士が積極的に死刑を求めて、裁判を起こす状態です。国民の間にも死刑を擁護する声が高いのです。マスコミも情緒的な記事を執拗に書いて、殺人者を処刑しようという世論を作りあげています。

法の裁きは社会の秩序を回復させるためにあるもので、復讐のための処刑を執行する“必殺仕事人”ではないのです。社会の秩序を回復するには、たとえば未成年者が何の関係もない主婦と子どもを殺害したとするなら、何がそのような事件を引き起こしたのか、を明らかにしなければなりません。

近年の、少年によって引き起こされる重犯罪の背景には、家族の崩壊、抑圧的な人間関係、子どもへの精神的・身体的虐待、さらには新しい「貧困」という問題があることは数少ない良質の報道によって知らされることがあります。私たちはそれを知っているのです。問題の根本には、社会のありよう、日本が今めざしている「効率主義」=生身の人間の感情や人格を置き去りにする価値観があるのです。

そういうことは飲み屋談義のネタになることはあっても、真剣に取り組もうとすることはどれほどあるでしょうか。わたしは思うのですが、日本人は今、問題の本質から目を背けたいのではないでしょうか。子どもの権利を尊重しようという方向への機運が起こらないようにしたいのではないでしょうか。

「経済大国」にのし上がるに当たって、企業も労働者も人間よりも利益をあげることの方を優先してきました。その結果として公害や家庭の崩壊が生じてきたのです。日本のこういう実態はユネスコをはじめ、人権団体から何度も警告されてきたのですが、日本のマスコミはそういうことはほとんど報道しません。

中曽根さんの時代から、新自由主義が台頭しはじめ、今日、労働者はまるで封建時代の農奴のような扱いをされてきています。何をめざすのかといえば、国際市場での価格を下げるため、そうやって収益効率を上げるため、です。日本人は家族の崩壊や国民の生活の安全よりも、「経済大国」のメンツを維持することの方を選んでいるのです。それが国民自身を害する事になるにもかかわらず!

「日本人が」と一般的な言い方をしましたが、わたしの身のまわりでは、おおかたの人はむしろ逆で、家族を愛している人のほうが多いのですが、選挙があると小泉自民党に票を入れて、自分たちの生活の安全弁を積極的に外そうとするのです。日本人は今、どこにむかって「特攻」しようとしているのでしょうか。自分たちの将来の生活に向かって、です。何のために? 「国益」という名の一部企業の利益とアメリカの目的のために…。昔と全く同じ行動様式のように思えるのです、わたしには。

どう考えても異常な行動です。

これは日本人が望んでしていることとは思えません。異常な行動を取るよう、思考コントロールされているのではないでしょうか。いまやマスコミが自民党の提灯持ちとして情報を取捨選択して、世論を操作しているのです。戦争中のようにウソを報道するのではなくて、事実を知らせないようにする、という方法によって、です。こういうのを「白いウソ」といいます。真実を隠すのです。

今、日本国民を益する政治の方向は、大国主義からの脱却であり、今必要な政策は福祉重視です。社会のあり方を180度転換しなければならない局面に、現実にきているのです。そのためには、わたしたちはこれまでの価値観を切り替えなければならないのですが、まさにわたしたち日本国民はこぞってそれを怖れ、拒否しようとしているのではないでしょうか。

刑法の厳罰主義化、個人よりも公益という価値観=国家主義的愛国心の教育、老人や身体障害者の切捨て、労働者の商品化。全体主義が子どもたちを荒廃させてきたことを薄々知っているのに、あえてそれを無視しようとしているのが、今のわたしたちの姿ではないでしょうか。わたしたちはマゾヒストではありませんので、自らそれを望んだのではなく、情報操作によってそう望まされているのではないでしょうか。

ひずみや矛盾が顕在化しているのは、それまでの方針に無理や間違いがあった、ということです。わたしたちは今一歩、身を引いて、深呼吸をし、冷静になって考えて見なければならない「淵」にきています。情報が操作されているのだとしたら、情報の受け手であるわたしたちは、慎重に判断しなければなりません。自分の命、自分の生活、自分の将来の問題なのですから。




「預言者のことばは、地下鉄の壁や、安アパートの廊下に書かれている」(「サウンド・オブ・サイレンス」/ ポ-ル・サイモン・作)




真実の情報は、大手新聞紙上ではなく、ましてTVのワイドショー的ニュース番組でもなく、ネット喫茶や、路上や、ハローワーク、たらいまわしにされる妊婦、病床が減り、医師がいない病院、毎年自殺する3万人以上の人間の遺体、自分の平穏な生活に埋没する主婦たち、…そして裁判にかけられている少年の背中に書き記されているのです。
コメント (4)
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「怒り」を取り戻そう!

2007年11月11日 | 一般
日本社会のキーワードは、
「仲間外れ」
「村八分」…だ。

それが怖くて、人々は同調してゆく、強い者に。



だから、怒りをぶつけていい対象が強い者から与えられると、人々はいっせいに動き出し、ヒステリックにその対象を攻撃しはじめる。とくに、権力に逆らった者に対しては、権力と一緒になって容赦なくたたく。

日本社会は「判官びいき」ともいわれる。たしかに弱者がもの言わず耐えている間は、同情を寄せる。だが、その弱者が声をあげて主張しだすと、今度は強烈な嫌悪感と憎悪で攻撃し、そして排除する。「権利ばかりを主張するやつだ」「世間を騒がせる迷惑なやつだ」などと。

声をあげた弱者や「普通」とは違う行動を取った個人を、自分たちの怒りのはけ口にしては、そのことで世界中から顰蹙(ひんしゅく)を買う。日本社会はこれを繰り返している。



イラクでの日本人人質事件などは、まさにこの典型だろう。

被害者である人質をまるで犯罪者のように扱い、しかも救出経費の請求までするといった話には、イラクのファルージャで虐殺事件を起こしているアメリカでさえ首をかしげた。コリン・パウエル氏は、「危険を知りながら、良い目的のためにイラクに入った市民がいることを、日本人は誇りに思うべきだ」と語ったという。



誰か(イラク人質事件では自民党)が決めた役割によって人々が動かされ、しかも役割を決めた人間はその結果に責任を取らない。この仕組みが日本社会なのだ。

直接責任のある人間に怒りをぶつけて責任を取らせることができれば、この社会の多くの問題は解決できる。

だが、怒りをぶつける者は少ないし、責任をとる者はもっと少ないから、誰も責任を取らない仕組みが温存されてしまうのである。

この仕組みを壊すためには、ひとりひとりが必要に応じて実験と学習を繰り返しながら、目の前の問題を解決していくことが大事なのだ。そのように動ける人が、どんどん力をつけてゆく。

他人も組織も当てにならない。大切なのは、役職や肩書き、所属団体がなくても問題解決できる力をつけることだ。自分で考え、自分で動いてこそ、自分の道は開ける。

そのためにはまず、奪われてきた怒りを奪還することだ。これは人間性を回復することでもある。


(「怒りの方法」/ 辛淑玉《シン・スゴ》・著)

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ジョークにすること=笑い話にすること。これは「改革」あるいは改善、または抵抗を示すこととは正反対の行為だと思います。それはむしろ現状追認の行為です。

イヤだと思ったことは毅然として、かつ断固として不快感を表明する。怒りによって抗議と抵抗を表明する。これは「お上品」なことではありませんが、自分というアイデンティティを取り戻した「個人」であってはじめてできることだと思います。辛さんの言葉を借りて言えば、「奪われてきた怒りを奪還することは、人間性を回復することでもある」のです。

お上品にふるまわなければダメだ、という人は誰でしょうか。その人は他者の上に立ちたい人ではありませんか。聖書の言葉を借りて言えば、「主人でありたい」人であり、「教師でありたい」人なのです。「穏やかに話そう、われわれは大人なのだから」と言われてそのとおりにふるまう、その瞬間に、従ったその人は相手の人から承認を得ようとしたのです。人々の間でより高められたいという野心を持ったのです。(*) その結果はなんでしょうか。相手に言いくるめられてしまい、「誰も責任を取らない仕組みは温存される」のです。


 (*)
 ここでいう「他者からの承認」というのは、自分で何か努力して得た成果に対する評価ということではありません。権力者に取り入って得られる寵愛、という意味です。この記事の最後に紹介する経験談の中で言われる「他者からの評価」とは全然違う種類の「評価」です。努力してスキルアップする、ということではなく、長いものに巻かれて要領よく立ち回るという意味の「他者からの承認」です。


こんなことが起こるのは、言いくるめられる人たちに「人間性が回復されていない」からでしょう。メンヘル系のことばで言うと、「自分を好きになっていない状態」あるいは「自己確立できていない状態」ということになるでしょうか。このような人々は他人から賞賛を得たり、承認を得たりすることで自分に自信とアイデンティティを得ようとします。エホバの証人が、組織の操る人形になりはててしまうのは、組織から「特権」だの、大会で演壇に立つことなのといった承認を得ようとするからです。「特権」を得て初めて一人前になれる、裏返せば、「特権」や主人からの承認がなければ人は一人前ではない、と思い込まされているのです。これがマインド・コントロールの基本です。

社会で不当に扱われてきた人たち、エホバの証人のようなカルト組織で人生という貴重な機会と人間としての尊厳を不当に破壊され、搾取されてきた人たちが抗議のために集まっても、その内部で分裂し、抗争してしまうということは頻繁に起こります。たいていそれは、誰かがその集団の中で「主人」になろうとするか、あるいは誰かが敵方に買収されるかなどして寝返ったことが原因です。人に指導する、人に助言するということは自分が偉くなったような錯覚を起こさせます。このいわば「甘い汁」に酔ってしまうのでしょう。

そうなるとその集団の中でヒエラルキーが出来上がってしまいます。ヒエラルキーの下のほうにいる人たちは上にいる人たちのご機嫌を伺いながら行動するようになります。自分たちの不遇を改善したい、不当な抑圧を打破したいと思っていたのに、結局元の木阿弥になってしまいます。外から眺めればそれは「現状追認」にしか見えないのです。

抜け目のない組織の策士たちはまさにこの効果をねらって策を弄し、抗議する人々を分裂させ、弱体化させ、そして自分たちの影響力を維持するのです。日本の社会が、大きな不満を抱えているのに、一向に事態の打開が起こらないのはこういうことが日常的に生じているからです。「大人げない」、「品がない」などと言われてしまうと抗議の矛先が緩むのです。抗議しようとする人たちに「大人だ」「品性がある」「知的だ」という評判を得たいという邪心が起こるからです。それは怒りを鎮めてしまいます。「怒り」を奪うことで人々を支配しやすい状態にとどめておく、これがマインド・コントロールの目的なのです。

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人間は何のために怒るのか。

「私が私として生きるため」。

このことばが私には一番ピンとくる。



それは自分が、誰かにとっての自分-たとえば、家にとっての嫁、夫にとっての妻、子どもにとっての母、「家」にとっての後継ぎなどではなく、「自分にとっての自分」になるということだ。

罵倒されてもなんとも感じなくなってしまうのは、それは、自分が自分でなくなっている状態、本当の自分、自分の本音と乖離・分離した状態になったということだ。(ほんとうの、あるいは、ありのままの)自分のことを嫌いになったら、自分のためには怒れないだろう。


(上掲書)

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いい子でいたら、いい評判をもらえる。お上品でいたならよい地位をもらえる。これは進歩・向上ではない。これが罵倒なのです。頭をなでてもらうために「お座り」をする犬と同じに扱われているのです。それは光栄を受けているのではない、罵倒されているのです。

わたしはファシズムにしろ、新自由主義体制にしろ、カルト宗教にしろ、いちばん罪が重いのは、そういう体質を作り出した少数のエリートではなく、彼らに従順に従う人々、飼い馴らされた人々、あるいは人格改造された信者たちだと確信しています。人間の抑圧と搾取を積極的に支持する人々こそもっとも悪辣で罪が重く、タチが悪いのです。ですから、アジア・太平洋戦争における戦争責任はまず、当時の日本国民に課されなければならないと確信しています。だから教科書改ざん、教育基本法改訂などに乗ることは、日本国民の戦争責任が問われてこなかったことに起因する醜悪な「罪」だと考えるのです。

上の人に評価されて、周囲の人とは区別されていたい、そういうちっぽけな野心と引き換えに、自分本来のありようを「変えなければならないもの」=「未熟なこと」と見なすのが「自分のことを嫌いになる」ということです。ファシストたちは、追従者が自分のことを嫌いになるように、道徳を創作し、それを追従者たちに押しつけます。最初はそれを不満に思っても、ご褒美が与えられれば懐柔される。こうして信者は人間搾取・抑圧、人権蹂躙の加害者に変貌してゆくのです。そのために失われてゆく人生、命に対して、自分は無関係、本人の自己責任などと言い抜けることは決してできないのです。

わたしは18年間、バプテスマを受けたエホバの証人として、あの宗教を支持してきました。その間に多くの命が失われました。間違った教理のためです。わたしはその罪を一生背負ってゆきます。命の賠償など決してできるものではありません。ですから、わたしは生涯、カルト宗教には髪の毛一本ほどの妥協もしないし、カルトの本質であるファシズムにも一切の妥協はしないのです。カルトとファシズム、そしてそれを容認しようとするあらゆる思想、思考には抗議を続けるでしょう。そう、強い怒りをもって。わたしは決してそれらに対して笑顔を見せることはしません。断じて! これを「大人じゃない」などとする批判には一切耳を傾けません。それは抗議しようとする人々を懐柔するためにファシスト=事なかれ主義者たちによって創作された「道徳」が言うことであって、決して真実ではないからです。

そんな「道徳」を遵守しなければ日本人じゃない、敬虔なクリスチャンじゃない、と言うなら言いなさい。そう来るならわたしはこう宣言します。「くだらない人生を送ることが『日本人』『クリスチャン』の要件であるというのなら、わたしは日本人あるいはクリスチャンであることを辞めます!」

よき国民、よき信者、いい人なんて真っ平ごめんです!





おわりに、怒りを取り戻した人の経験を書き写しておきます。

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「私は、毎日、毎日、会社でいじめられていたんです。雑用だけ指示されたり、無視されたり。いつもひとりぽっちで、誰も助けてはくれなかった。それでも、私は毎日休まず通勤して、一生懸命働きました。今思い返すと、不思議なくらいに。

ある日、会社で歓送迎会があって、私が受付をやることになったんです。会の主賓は、私をいつもいじめてきた人。自分はその人のために、ニコニコしながら受付をやっている。そのとき、自分があまりにも惨めに感じたんです。そんな感覚は初めてでした。

こんなに嫌われていて、それでも愛想よくしている自分がとても可哀想になった。こんな惨めな生き方をこれからもしていくのか、とも思った。そう考えると目の前が真っ暗になった。それだけはどうしても厭だった。そしてどんなことがあっても、自分だけは、自分を好きでいようと思った。世の中のすべての人が私を嫌いでも、私は私を好きでいよう、とね。それからです、私の人生が好転したのは」



今、この人は、会社で女性最初の管理職となり、その手腕を多くの人に期待されている。彼女に、さらに突っ込んで、どうしてそう思えたのか具体的に教えてほしいと訊くと、こういう答えが返ってきた。



「自分を好きでいようと思えたのは、多分、それまでの人生の中で、勝った体験、成功した体験があったからじゃないかな。

私は学校の成績がよかった。それは、私が勝手に成功だと思っているだけじゃなくて、他の人たちから見ても成功といえるようなものだった。客観的な成功体験って言えばいいかな。私はそこに希望を見いだせたんです」




客観的な成功体験とは、たとえば、学生であれば、クラスである教科の成績がトップだったとか、運動会の徒競走でいちばんだったとか、美術で賞をとったとか。会社員であれば、営業成績がトップだったとか、開発の責任者だったとか、プレゼンテーションが通ったとか、つまり、誰が見ても文句がつけられない成功の事実、というものだ。実際の能力、実際に培ったスキルに対する正当な評価にもとづく成功体験。それがあったから耐えられたと彼女は言う。

私がやっている企業研修の現場で、学歴で差が出る瞬間に出くわすことがある。それは能力の差ではない。どの時点で「あっ、おれにはできない」とあきらめるかの差だ。高学歴な者がえてして優秀な成績を収めるのは、その人の能力が高いということよりも、その成長過程の中で「やればできる」「私に分からないはずはない」という自信が身についているからだ。この自信は、過去の成功体験に裏打ちされている。

過去の成功体験 → 自信 → 怒り

ここでいう成功体験とは、自分が肯定された経験、と理解してもらいたい。失敗も成功も含めて、他者から肯定された体験が、怒るうえでは必要なのだ。どんなにひどいことをされても。過去に自分が肯定された体験がリベンジのためのとても大きな力になるのだ。

彼女は、怒りを忘れずに、効果的に怒ることを学習していった。効果的に怒ることを「社会性(の表れ)」と言い、「それがないと勝てない、理不尽な環境を変えられない」と言い切った。

しかし、そういう彼女の中にも、すぐに収まる怒りと、長い間収まらない怒りがあるという。収まらない怒りを忘れずに、いつか逆転させてみせるという意思を持ち続けることが社会改革につながる。彼女は、そのようにしていつも、怒りを(向上させる方向への)エネルギーに変えている。

そして社会の中で「偉く」なったら、女性を差別しているその組織環境を改革して行こうと決めている。だから、昇進するたびに電話がかかってきて、「私、また昇進したの」と嬉しそうに伝えてくれている。彼女は怒りを忘れていない。


(上掲書)

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感想を述べます。まずその一。
「学歴」とか、「成功体験」とか出てきて、気落ちされた方もいらっしゃるでしょうか。この辛淑玉さんはでも、無学歴の人です。在日朝鮮人で、貧しくて学校へ上がれなかったことと、成績もよくなかったそうです。朝鮮人であることで深刻なイジメに遭いつづけ、弟さんは大怪我をさせられ、心が傷ついてヤクザのような暮らしをしているそうです。辛さんの成功体験はおそらく誰かから無条件の受容をされたことかもしれませんね。無条件の受容ということは、子どもを育てる際に、本当に必要なことなんですね。親に理解のできないことでも、否定せずに受入れ、評価してあげること、親が子どもに与えられる財産とは資産ではなく、こうした「肯定体験」「成功体験」を与えてあげることなんだなあ、とつくづく思います。

自分には、親からの無条件の受容なんてなかったし、成功体験もない、とうなだれる方、それは間違っています。生まれてからこのかた、一度も成功体験がなかったなどということはありえないのです。ただ自己評価の低い人は、自分の傷ついた体験や失敗を徹底的に処罰された経験ばかり注目するのです。心理療法はそういう偏った考え方を矯正しようとするのです。よーっく冷静になって思い出してみてください。何かあります、成功体験は。

わたしの場合は、ローマ人への手紙を長老や巡回監督よりも筋道を通して説明できたという体験です。ほとんどそれオンリーだと言ってもいいでしょう。カトリックの神学から見て正確だったかどうか、ということではなく、巡回監督を「わかってないなあ」と思うことができた、という体験です。そしてそれは会衆の誰の目にも明らかなことでした。聖書をよく説明できるということが、お局の妬みを買い、熾烈な闘争へと発展したのですから、これは「客観的成功体験」だったといえると思います。ですから、誰にも必ず何かあります、成功体験は。

感想の二、怒りを持ち続けないと「社会改革」や「理不尽な環境」を変えようとする意欲を持てない、ということ。そして三番めに、彼女は地位を得た後、増長して慢心しなかったこと。それは彼女が理不尽な女性差別やイジメを引き起こす体制への怒りをもち続けたからです。

怒りを取り戻しましょう。決してへらへらして、権力者にお追従を言って頭をなでてもらおうなどというセコイ企てに走らないようにしましょう。怒ることは恥ずかしいことではありません。怒ることは自分を持っている、ということなのです。アイデンティティが確立されている、ということなのです。怒りなしに改革はできません。むしろ、傍観者然として一生懸命怒っている人を評論していることこそ、惨めで恥ずかしいことなのです。
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