Luna's “ Life Is Beautiful ”

その時々を生きるのに必死だった。で、ふと気がついたら、世の中が変わっていた。何が起こっていたのか、記録しておこう。

「事大主義」という心理

2013年05月05日 | 「心の闇」を解読してみよう







人の深層心理を見極める情報のひとつをスクラップしておこう。



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その日9時ごろ、私は家を出た。学生服の下にパンツではなく下帯をつけていた。これが当時の徴兵検査の “正装” である。検査場は杉並区下高井戸の小学校の雨天体操場、家から歩いて40分くらいの距離である。その古い木造校舎は、戦後もしばらく残っていた。校門の近くの塀に白紙がはられ、筆太に矢印で検査場への道筋が示されている。殆どが学生服の三々五々が、手に書類を持ってその方へ行く。



雨天体操場にはゴザが敷かれ、壁ぎわがついたてで仕切られ、その各区画を順々に通って検査を受ける。周囲をつい立てで囲まれた中央のゴザの広間がいわば待合室で、その正面が講壇、終わった者はその前に裸で並び、順々に呼び出されて壇の上から検査の結果が宣告されるらしい。



そんな光景を、開け放たれた雨天体操場の入り口を通して横目で見つつ、その入り口の横に机を並べて書類の受付をしている兵事係らしい人びとの方へと私は向かった。その前には十数人の学生服が、無言で群れていた。



そのとき私は、机の向こうの兵事係とは別に、こちら側の学生の中で、声高で威圧的な軍隊調で、つっけんどんに学生たちに指示を与えている一人の男を認めた。在郷軍人らしい服装と、故意に誇張した軍隊的態度のため一瞬自分の目を疑ったが、それは、わが家を訪れる商店の御用聞きの一人、いまふうの言葉でいえばセールスマン兼配達人であった。



いつも愛想笑いを浮かべ、それが固着してしまって、一人で道を歩いているときもそういった顔つきをしている彼。人あたりがよく、ものやわらかで、肩をすぼめるようにしてもみ手をしながら話し、どんな時にも相手をそらさず、必ず下手に出て最終的には何かを売っていく彼。それでいて評判は上々、だれからも悪く言われなかった彼。その彼と今目の前にいる超軍隊的態度の男が同一人とは…。



あとで思い返すと、あまりの意外さに驚いた私が、自分の目を信じかねて、しばらくの間ジィーッと彼を見つめていたらしい。別に悪意はなく、私はただ、ありうべからざる(ありえない、の意。自分の知っていた御用聞きと今の彼との落差を見たときの、「ありえない!」といった驚き)奇怪な情景に、われ知らずあっけにとられて見ていただけなのだが、その視線を感じた彼は、それが私と知ると(=いつも御用伺いに行っていた家の子だと気づくと)、何やら非常な屈辱を感じたらしく、「おい、そこのアーメン(この文章の筆者はこのころキリスト教徒だったらしい)、ボサーッとつっ立っとらんで、手続きをせんかーッ」と怒鳴った。



そして以後、検査が終わるまで終始一貫この男につきまとわれ、何やかやと罵倒といやがらせの言葉を浴びせつづけられたが、これが軍隊語で「トッツク」という、一つの制裁的行為であることは、後に知った。



軍隊との初対面におけるこの驚きは、その後長く私の心に残った。






そのためか大分まえ、ある教授に、

 ある状態で、 “ある役つきの位置” におかれると一瞬にして態度が変わる、
…という、この不思議な人間心理について話したところ、それは少しも珍しくない日本人的現象だと、その教授は言った。



(その教授の経験だが、)学生に何とか執行委員長とかいった肩書がつくと一瞬にして教授への態度が変わる。次いで就職となれば、一瞬にしてまた変わる。社員になればまた一瞬にして変わる。それは少しも珍しい現象ではない。



そして…、と教授は続けた、…その人がその後に(再びあなたの家に) “御用聞き” として現れたときは、また一瞬にして変わっていたでしょう、そしてそのことを、矛盾とも不思議とも恥ずかしいとも感じていなかったでしょう、と。



「その通りでした。でも、どうしておわかりですか」と私はたずねた。



「わかりますよ。今の学生がそうですから(この文章が書かれたのは学生運動の最高潮の時代からほんのわずか時期の下ったころ。1974~5年ころ)。昨日まで“テメェ”呼ばわりしていた学生が、平気で、就職の推薦状をもらいに来るんですから。そして就職すれば平気で社長のような口をきくんですから(対等であるかのような口のきき方をする)。この傾向は、一部の人が言うように戦後の特徴ではなく、戦前から一貫しているわけですよ」。



「どうしてそんなふうなのでしょうね」、私は思わず言った。



するとその教授は答えた。

「これが事大主義、すなわち “大に事える(つかえる、と読むらしい=仕える、の意)主義” です。この点で彼ら(先の “御用聞き” と、その教授の言う “今どきの学生” の態度の変化)は一貫しているわけです。



御用聞きにとって顧客は “大” でしょう。だからこれに “つかえる” わけです。ただその頃も彼は、自分より“小”な人に対しては、徴兵検査場であなたに対してとったと同じ態度をとっていたはずだと思われます。



あなたがすごい落差だと感ぜられたのは、御用聞き氏とあなたの立場が逆転したからで、その人の方ではむしろ、事大主義という原則で一貫しているのです。



ですから、徴兵検査場では、徴兵官に対して、かつてあなたに対してとったと同じ態度を取っていたはずです、そうだったでしょう」。






「そういえばその通りでした」、私はあの時の情景を思い出しながら言った。あの時の場で見た、中佐の徴兵官に対する彼の態度はまさに、もみ手・小走り・ごますり・お愛想笑い、と、自分を認めてほしいという過大なジェスチュアの連続であった。



そしてこの、事大主義にもとづく一瞬の豹変は、日本人捕虜にも見られ、また日本軍による捕虜への扱い方にも見られた。したがって、この “素質” を単位として構成された帝国陸軍が、徹頭徹尾“事大主義”的であったのは、むしろ当然の帰結であり、それ以外のことが望めるはずがなかった。

 

 

 

 

(「一下級将校の見た帝国陸軍」/ 山本七平・著/ 第1章より)






 

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