昨夜もチラッと書いたが、「イタイ」は他者の存在への全否定の言葉である。「死ね」と言ってんのと同義であると俺は感じる。
死ねまでいかなくても、目の前からリセットされて欲しい存在に対して投げかけられる言葉が「イタイ」なのである。
例えばだ、あなたと俺が今日はじめて出会ったとする。
あなたはあなただ。俺とは一面識もない架空のあなた自身としよう。もちろん、架空のあなたなので、あなた自身の事を言っているわけではない。
「こんにちわ」と互いに挨拶を交わす。出会ったシュチュエーションは各自でシュミレートして欲しい。
さて、俺はさえない風貌の小汚い中年男。あなたの俺への第一印象は「ダサッ」である。そして互いに自己紹介をする。まずはあなたから。俺は聞いているのかいないのかよくわからない顔でぼんやりしている。なおかつ目の焦点はさだまっていない。あなたは自己紹介しながら、「こいつ少し危なくなくない?」という感想を抱く。次に俺が自己紹介しはじめる。そのとたんこの世のものとも思えないニンニク臭!「クサッ!激クサのマジクサ!」俺の口臭はこの世のものではなかったのである。まさに犯罪である。そして俺の語る俺の経歴は35にもなって、嫁もなく親からの自立もなく、さらにフリーターでマンガオタク。あなたは、俺の口臭に耐えつつも心の中で思う。「こいつ、今すぐにここから消えて欲しい」
後で、誰かに俺の印象を聞かれたとしてあなたは答える。
「なんだかイタイ親父だった」
俺には何一つ悪気はないが、あなたにとり俺の存在は、今すぐ目の前から消えて欲しいリストナンバーワンだ。俺はあなたの居心地の良さをあきらかに侵害している。俺の存在はすでに人災だ。ならば、対決すればいいのだ。口臭が臭いからマスクしてくれとか、俺と自分はあわないからとか言ってその場を逃げ出すとか。あなたが金で買われた人間でないかぎりはコレは当然の権利だ。俺の存在自体がうとましいのに「こいつイタイ」と論旨をすり替え、痛い思いをした自分は被害者なのだと被害者面するのは、姑息な逃げである 。ましてや、金で買われた身分であるなら雇用者やお客様に対して「イタイ」という感想を抱くこと自体が図々しい。(金で自分を売り渡すこと自体がおかしんだけどね)
自分的に今すぐいなくなって欲しい、あるいはめざわりでうとましい存在に対して「イタイ」が発動する。
街をうろつく路上生活者。あなたにとり、彼らはめざわりでうとましい。
ヘラヘラと笑っている、自分とはかなり違った価値観を持ついじめられっ子。こいつも存在自体がすでにうとましくうざい。見ているだけで嫌な気分になる。
あなたが「イタイ」と言っている限りは、あくまで自分は被害者であり、痛がらせている当人が加害者なんであるが、対象の消滅を願う心境は正に加害者のソレであり、「こいつ、俺にとってウザイから、今すぐ死んでいなくなれ」と言うと加害者なところを、被害者ですませてしまえるのが「イタイ」なんである。
健全なあなた達にとり、俺らは存在そのものが呪いである。現代日本が生んだひずみであり、あってはいけない存在だ。
俺たちとは。
かたわ。
キチガイ。
売女に脱落者である。
俺は脱落者だ。
身体障害者の方には五体満足なくせに脱落したお前と同類にするなとお怒りの方もいらっしゃるかもしれない。(身体障害者という言葉自体が嫌いで失礼なんだが)でも、実は俺だって社会に適合する能力のない精神障害者なのである。現代日本の慣習に従い、なにかが足りない事を障害と言ってみた。
でも、なにかが欠けていても、脱落者でも、本人やまわりに変革の意志があるかぎり必ずや変われるはずだ。なくても、時が変革をまねくこともある。せっかく自分も母親も痛い思いをしてこの世に生まれたのだ。他人に「死ね」と言われて黙っていてはいけない。「お前が死ね」と言い返そう。
イタイは卑怯で被害者意識丸出しのまったくいけてない言葉である。どんな人でも生きているんである。生き物にいなくなれと重うコトはその存在への全否定であり、対決こそが正しい生き様であると俺は思う。
死ねまでいかなくても、目の前からリセットされて欲しい存在に対して投げかけられる言葉が「イタイ」なのである。
例えばだ、あなたと俺が今日はじめて出会ったとする。
あなたはあなただ。俺とは一面識もない架空のあなた自身としよう。もちろん、架空のあなたなので、あなた自身の事を言っているわけではない。
「こんにちわ」と互いに挨拶を交わす。出会ったシュチュエーションは各自でシュミレートして欲しい。
さて、俺はさえない風貌の小汚い中年男。あなたの俺への第一印象は「ダサッ」である。そして互いに自己紹介をする。まずはあなたから。俺は聞いているのかいないのかよくわからない顔でぼんやりしている。なおかつ目の焦点はさだまっていない。あなたは自己紹介しながら、「こいつ少し危なくなくない?」という感想を抱く。次に俺が自己紹介しはじめる。そのとたんこの世のものとも思えないニンニク臭!「クサッ!激クサのマジクサ!」俺の口臭はこの世のものではなかったのである。まさに犯罪である。そして俺の語る俺の経歴は35にもなって、嫁もなく親からの自立もなく、さらにフリーターでマンガオタク。あなたは、俺の口臭に耐えつつも心の中で思う。「こいつ、今すぐにここから消えて欲しい」
後で、誰かに俺の印象を聞かれたとしてあなたは答える。
「なんだかイタイ親父だった」
俺には何一つ悪気はないが、あなたにとり俺の存在は、今すぐ目の前から消えて欲しいリストナンバーワンだ。俺はあなたの居心地の良さをあきらかに侵害している。俺の存在はすでに人災だ。ならば、対決すればいいのだ。口臭が臭いからマスクしてくれとか、俺と自分はあわないからとか言ってその場を逃げ出すとか。あなたが金で買われた人間でないかぎりはコレは当然の権利だ。俺の存在自体がうとましいのに「こいつイタイ」と論旨をすり替え、痛い思いをした自分は被害者なのだと被害者面するのは、姑息な逃げである 。ましてや、金で買われた身分であるなら雇用者やお客様に対して「イタイ」という感想を抱くこと自体が図々しい。(金で自分を売り渡すこと自体がおかしんだけどね)
自分的に今すぐいなくなって欲しい、あるいはめざわりでうとましい存在に対して「イタイ」が発動する。
街をうろつく路上生活者。あなたにとり、彼らはめざわりでうとましい。
ヘラヘラと笑っている、自分とはかなり違った価値観を持ついじめられっ子。こいつも存在自体がすでにうとましくうざい。見ているだけで嫌な気分になる。
あなたが「イタイ」と言っている限りは、あくまで自分は被害者であり、痛がらせている当人が加害者なんであるが、対象の消滅を願う心境は正に加害者のソレであり、「こいつ、俺にとってウザイから、今すぐ死んでいなくなれ」と言うと加害者なところを、被害者ですませてしまえるのが「イタイ」なんである。
健全なあなた達にとり、俺らは存在そのものが呪いである。現代日本が生んだひずみであり、あってはいけない存在だ。
俺たちとは。
かたわ。
キチガイ。
売女に脱落者である。
俺は脱落者だ。
身体障害者の方には五体満足なくせに脱落したお前と同類にするなとお怒りの方もいらっしゃるかもしれない。(身体障害者という言葉自体が嫌いで失礼なんだが)でも、実は俺だって社会に適合する能力のない精神障害者なのである。現代日本の慣習に従い、なにかが足りない事を障害と言ってみた。
でも、なにかが欠けていても、脱落者でも、本人やまわりに変革の意志があるかぎり必ずや変われるはずだ。なくても、時が変革をまねくこともある。せっかく自分も母親も痛い思いをしてこの世に生まれたのだ。他人に「死ね」と言われて黙っていてはいけない。「お前が死ね」と言い返そう。
イタイは卑怯で被害者意識丸出しのまったくいけてない言葉である。どんな人でも生きているんである。生き物にいなくなれと重うコトはその存在への全否定であり、対決こそが正しい生き様であると俺は思う。