世の終わりのキリスト全能神

終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられます。考察したい者は全能神教会にご連絡してください。

「知らぬが命取り」愚かな乙女はなぜ主を迎えることができないのか 予告編 日本語

2019-03-23 20:43:35 | キリスト教映画

   ヂェン・ムーエンは米国の中国系キリスト教会の労同者です。ヂェン・ムーエンは長年主を信じ、主のために熱心に働き、尽くしてきました。あるとき彼の叔母が主イエス・キリストが真理を示し、終わりの日に人を裁き清めの御働きをするために再臨された、と証したのです。その福音にヂェン・ムーエンは胸が高鳴りました。全能神の御言葉を読み、全能神教会の映画や動画を観て、全能神の御言葉が真理であること、全能神こそが主イエス・キリストの再来に違いないこと、を確信しました。彼は兄弟姉妹達と共に、終わりの日の全能神の御働きを学び始めました。しかし、教会の指導者であるマー牧師がそのことを知ると、牧師はヂェン・ムーエンらを何度も妨害しようとしました。牧師は中国共産党政府の宣伝用の動画を見せました。それは東方閃電を中傷し非難する内容でした。その目的はヂェン・ムーエンが真の道を学ぶのをやめさせることにありました。この動画を観たヂェン・ムーエンは当惑しました。彼の目には全能神の御言葉が真理であり、神の声であることは明白です。それなのになぜ宗教界の牧師や長老たちは全能神を非難するのでしょうか。牧師ら自らが求め学ぶことを拒絶するだけでなく、他者が真の道を受け入れることも止めようとします。それは何故なのでしょう。ヂェン・ムーエンは、欺かれて誤った道に迷うことを恐れますが、神の国に召されるチャンスを失うことも恐れます。葛藤し困惑するヂェン・ムーエンに、マー牧師は中国共産党と宗教界の作成した、さらに否定的な宣伝映像を見せて心の疑念を大きくさせるのです。ヂェン・ムーエンは牧師の言うことに耳を傾け、真の道を学ぶことを放棄することに決めました。その後、全能神教会の真理の証しや分ちあいを聴いたヂェン・ムーエンは、真の道を学ぶにあたり基本原則の核となるのは、その道に真理があるかどうか、そしてそれが神の声を表しているかどうかを見極めることだと理解しました。多くの真理を表すことができる者がいるならそれがキリストの出現にちがいない、なぜなら、堕落した人間に真理を表すことなどできないからです。これは争いようのない事実です。真の道を学ぶ際に神の声に耳を傾けることに注意を払わず、代わりに、想像に依りかかり白い雲に乗った主イエスの降臨を待つような者は、決して神の出現を迎えることができないでしょう。ヂェン・ムーエンはようやく、主イエスの御言葉から神の声を聴いた賢い乙女たちの奥義を理解することができました。そしてもう、中国共産党政府や宗教界の牧師や長老の、偽りと愚かしい論理を信じるまいと決心し、宗教界の牧師の拘束や縛りから逃れました。ヂェン・ムーエンは、真の道を学ぶ難しさを深く経験しました。洞察力や真理への求めがなくては、神の声を聴くことも神の玉座の御前に召されることもないどころか、サタンに欺かれ支配されて、悪魔の罠にかかり死ぬしかないでしょう。このことは、まさに聖書に「わたしの民は知識がないために滅ぼされる。」(ホセア書4:6)「愚かな者は知恵がなくて死ぬ。」(箴言10:21)と書いてあるとおりです。


「福音の使者」 神の福音を伝えることはクリスチャンの責任だ 予告編 日本語吹き替え

2019-03-18 12:32:05 | キリスト教映画

   キリスト教徒チェン・イーシンは主を長年信じ、終わりの日の主イエス・全能神をお迎えする幸運に恵まれていた。彼女は全能神の御言葉から、人類を一刻も早く救いたい神の御心と、被造物が果たすべく使命と責任を理解したため、福音を伝えて終わりの日の神の働きを証し始めた。その間、多くの都市や省に渡り、何度も宗教界からの抑圧と拒絶や中共政府による追跡と迫害に見舞われる。多くの苦難に遭う彼女だが、神の御言葉の導きの下、使命を背負い続け、危険を恐れず勇敢に前進する。


「私は善人!」正直な人のみ天の国へ入れます 完全な映画 日本語吹き替え

2019-03-12 15:53:09 | キリスト教映画

   キリスト教徒ヤン・フイシンは幼い頃から善人であることを好み、人の機嫌を損ねるとを嫌い、自分は人に親切で優しいから善人だと信じている。しかし、神の終わりの日の福音を受け入れ、神様の言葉の裁きと刑罰を経て初めて覚醒し、自分は本当は善人ではないと悟る。むしろサタン的な哲学に基づいて生きている非常に利己的で狡猾な「八方美人」なのだ、と。真理を求めて正直で高潔な善人になろうと決心するヤン・フイシンだがどのような経験を通してそのような変化を遂げるのだろうか?


「敬虔の奥義」抜粋シーン(6)神が受肉によって働きを行う必要性

2019-03-05 14:03:55 | キリスト教映画

   神が受肉した方が、堕落した人類の救いに有益であると言われるのはなぜか?神が受肉されることの必要性と重大に意義は何において見られるのか?全能神は仰せられる、「人間の肉はサタンによって堕落し、最も深く盲い、まことに深く損なわれた。神自らが受肉して働く最も根本的な理由は、救済の対象が肉の体をもつ人間であり、サタンもまた人間の肉を用いて神の働きを妨げているためである。サタンとの戦いは、実は人間を征服する働きであり、同時に、人間はまた、神による救済の対象でもある。このように、受肉した神の働きは不可欠なのだ。サタンは人間の肉を堕落させ、人間はサタンの体現者となり、神に打ち負かされるべき存在となった。このように、サタンと戦って人類を救う働きは地上で行われ、神はサタンと戦うために人間にならなければいけない。この働きは極めて実際的なものだ。」(『言葉は肉において現れる』より)


「敬虔の奥義」抜粋シーン(5)キリストが真理、道、いのちであることを知る方法

2019-03-04 20:09:17 | キリスト教映画

   神の二度の受肉はいずれも、「キリストが真理、道、いのちである」と証している。なぜキリストが真理、道、いのちである言われるのか?主イエスについて行った使徒たちや偉大な霊的な人々も多くの事柄を語ったし、それらの事柄も人にとって大いに有益だったが、なぜ真理、道、いのちではないのか?これら二つの側面の違いを私たちはどう理解すべきか?