進めウエトレ道

2020年はパワリフ・ベンチ大会出ません

ガテン時代

2016年12月08日 | Weblog

牛久大仏を見たら、昔を思い出した。入社時は、70kgちょいのデブ体型で顔はパンパンだった。品川の現場で、重機の接触事故に遭い「現場いたら命がいくつあっても足りない。本社に上げろ」と直訴したら「君の成績じゃ無理。牛久の現場に開発申請の人手が足りないから行ってくれ」と、飛ばされた(大爆笑)。確かに現場には出なくて、ひたすらA0サイズの巨大な図面の色塗りばかり。4ヶ月ぐらいたって、広大な浄園内の建築現場がいくつもあって、余剰の人がいないからと嫌がるBOKUは現場に出された(メガ爆笑)。幸い、事務所にいた大仏班・造成班・建築班にいたメンバーは、いい人ばかりで人間不信からは抜けられたものの、職人さんも足りなくて毎日泥だらけ。「大学まで出たのに、なんでこんな泥まみれならなきゃなんないの?」と1年で100回は会社辞めようかばかり考えていた。未開発の原野を造成するから、何から何まで手つかずの現場。掘削しても台風が上陸したり、大雨が降ると水没する現場の水を吸いとる水中ポンプを設置したり、移動したり。このポンプは3インチと大型で72kgもある。1日中、水と重たい機材と泥と格闘しまくっていた。アパートに帰ったら、飯食う15分があったら寝た方がマシと、半年位は夜飯抜きの生活。生コン打設して、佐官工事はセメントを運んだり。画像は現在の25kgセメントでも、当時は40kgと涙が出る程重かった。何故25kgになったかは、また別の機会に。それである春の日に、ゆっくりバスタブに浸かっていたら・・・自分のアソコは腹が出ていたから見えなかったはずが、腹の贅肉が全部無くなっていて、高校生以来、7年振りぐらいで腹筋が出ていた。健康診断では17kg減の55kgで、久しぶりに顔を合わせた内勤の人から「痩せすぎで、どっか悪い?」とまで言われる始末。単に、前まで太りすぎていただけの話。3年後に本社に上がって(部署新設に伴いで、頭の善し悪しではなかった)60kgの普通体型になり、13年後に赤トレで鍛えたらまた55kgになり、減量気にする事なく56kg級で試合に出られた。ここから、地獄の6年間の闘病生活に入り48kgまで死にそうなるまで痩せてから、ようやく健康になり66kgまで増えたとさ。めでたしめでたし。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿