ぽんぽこタヌキの独り言 Solilokui dari Rakun Pompoko

日本を見て、アジアを見て、世界を見て、徒然なるままに書き記す、取るに足らない心の呟き

「唐変木」「ウドの大木」「でくのぼう」

2009年07月01日 22時31分38秒 | Weblog
日本語っていうのはよくよく眺めてみると極めて「ヘンテコ」な言葉が散りばめられていて面白いものである。「唐変木」っていう言葉は、文字通りに解釈してみると「唐(外国)から来た変な樹木」ってことじゃないかと思う。日本語では「偏屈な人」「一風変わった人」「気の利かない人」のことをこう呼んであざ笑う言葉である。当然ながら、日本っていう国は昔から中国や韓国と密接な外交関係があって、沢山の日本人が日本海を渡って中国や韓国に赴いているし、逆に中国や韓国からも沢山の人々が日本にやってきている。その外国から来た人や物は「見知らぬ」「見慣れない」人や物なのであって、英語でも外国人のことは「異質の」という単語“Foreign"を変化させて“Foreigner"と呼んでいる。インドネシア語でも「外国人」=「見知らぬ人」=“Orang asing"なのである。日本にも朝鮮から移住してきた人が沢山住んでいるし、中国や台湾からの移住者も沢山住んでいる。現在では「在日中国人」とか「在日韓国人」「在日朝鮮人」などという言い方で呼ばれているけれど、平安時代や鎌倉時代には「渡来人」と呼ばれていたようである。昔、朝鮮出兵した折に「征夷大将軍」に任じられたことで有名な「坂上田村麻呂」もこの「渡来人」であったためにこの大役を命じられたようである。いずれにせよこの「唐変木」っていう言葉の元来の意味は外国人を「変な人」という「色眼鏡」で見た言葉から派生したのではないかと推察される。次に「ウドの大木」であるが、これは日本語では「大きいだけで役に立たないものの例え」で使用されるけれど、最近、メタボでブクブクと太ってきている役に立たない小生自身にどうしてもイメージをダブらせてしまうのである。実はウドというのは「木」ではなく「多年草」だっていうことはご存知だろうか。春に出回る「ウド」は土をかぶせて「もやし状」にしたものである。要するに若芽のもやし状の時は食用となって役に立つけれど、大きくなると食用にならず、高さは2メートルほどにはなるが柔らかくて弱いために建築用材にも使えないということらしい。また、この「ウド」を漢字で書くと「独活」となるが、これは「風がないのに動くように見える」ことから当てられた漢字らしいのである。小生は「ウド」というとどうしてもお笑い芸人コンビ「キャイーン」のウド鈴木を思い起こしていまい、その憎めないキャラクターのイメージがこびり付いて離れない。最後に「でくのぼう」であるが、これもまた「役に立たない者」や「気の利かない人」を罵っていう言葉である。「でくのぼう」は「木偶の坊」と書き、これは平安時代の「くぐつ」という木彫りの繰り人形のことである。宮沢賢治がその詩「雨にも負けず」のなかで自らそうなりたいと願ったのがこの「でくのぼう」である。日本語の中で「ぼう」という言葉は「親しみをこめて軽い嘲りを示す接尾語」であり、「きかん坊」とか「食いしん坊」とかに付けられている「ぼう」と同義である。宮沢賢治もやっぱり、先の「雨にも負けず」の中で、お人よしで憎めない、「愛されるべきキャラクター」である「でくのぼう」のイメージに自らを重ね合わせたかったのだろうと思うわけである。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿