ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

慶派仏教彫刻探訪 京都編②

2013-12-21 12:54:52 | 仏教彫刻探訪

12月13日(金)、朝御飯を食べ終わるとMさんからこう告げられた。
「今日はね、午前中はぴー一人で醍醐寺に行っておいで。
   帰りのバスがわかったら電話頂戴。バス停で待っているから。
   バス停までは送っていくから、心配しないように。」
Mさんのだんなさんに送ってもらい、ホテル京阪前から出ている京阪バス山科急行に乗り
約30分で醍醐寺の駐車場に到着。
朝からの雨降りとあって、降車したのは私一人で、境内にも人気がない。
とりあえず山裾にある下醍醐の最奥・弁天堂まで行き、順繰りに廻ってみることにする。
弁天堂手前の寿庵という休憩所脇から延びる上醍醐への登山道は
門が閉じられて施錠されている。
これでは上醍醐に行きたいと思っても行けなかったのか?
釈然としないまま境内をうろついたが、訪れた時季も時季だけに、いまひとつぱっとしない。

金堂では法要の準備だろうか、僧達がせわしなく働いている。
本尊の釈迦三尊像を拝めたものの、いわゆる寺宝と呼ばれるような文化財は
春と秋に期間を決めて、霊宝館で特別公開される仕組みになっているらしい。
しかも秋期特別公開は、8日(日)までだったようだ。
下調べの不備と言えばそれまでだが、なんだか総スカンを食らったような気分。
一縷の望みを抱いて、快慶の手による弥勒菩薩坐像を本尊にしている三宝院に向かう。

醍醐寺三宝院の勅旨門は、平成22(2010)年に創建当時の姿に復元された。
室町時代中期以降荒廃していた醍醐寺は
慶長3(1598)年に豊臣秀吉によって催された「醍醐の花見」を契機に
秀吉・秀頼の庇護を受けて復興されたため、いたるところに桐の紋がつけられている。

醍醐寺三宝院は、修験道中興の祖とされる開山の理源大師聖宝以降継承されてきた
真言系修験(山伏)「当山派」の総本山である。
しかし…、ここでも肝心の本堂は特別公開区域(上図の⑬⑭⑮)になっていて入れず
表書院の廊下に座って、秀吉が自ら縄張りしたという庭園をぼんやりと眺めただけだった。
醍醐寺、総スカンである。


京都駅でMさん御夫妻と落ち合い、昼食を済ませて蓮華王院(三十三間堂へ。

再びMさんと別れて、一人堂内に。
どんなに修学旅行生が騒いでいようとも、観光客が押し寄せようとも
足を踏み入れた途端に広がる異空間と言うか空間構成美は、さすが。
面白いことに、修学旅行生や比較的若い人は等身立像に興味があるらしいが
慶派の仏教彫刻、しかも国宝勢揃いなのが
前列に居並ぶ二十八部衆と、両端におわす風神・雷神である。
中尊の丈六仏(立つと4.85mになる仏。それ以上は「大仏」という)は
運慶の長男・湛慶が82歳の時に造像し、やはり国宝。
この世の果てであり葬送・埋葬の地である鳥辺山麓に長寛2(1164)年に出現したこの空間は
まさしくこの世にありながら極楽浄土にいるような錯覚を起したに違いない。
二条天皇に院政を停止された傷心の後白河院は
平清盛の心憎いばかりの気遣い(清盛からすれば、後白河院に対する保身なのだろうが)に
狂喜乱舞したことだろう。


心ゆくまで美しい空間を堪能した後は、Mさん御夫妻と共に六波羅蜜寺へと向かった。
六波羅蜜寺は、念仏を始めたとされる空也が開いた寺で
宝物館では、あの有名な空也像をはじめ、平清盛坐像や運慶・湛慶坐像などが見られる。

空也像は、運慶の四男・康勝によるもので、空也没後百年以上経て造られたものだが
そこに空也がいるように感じられる傑作だ。
阿弥陀仏が出ている口元につい目が行きがちだが、草鞋を履いた足元、少々前かがみの姿勢
あらわな鎖骨となんともいえない微妙な表情を見れば、康勝の力量が伺える。
六体の阿弥陀仏は、いまだに空也がそこにいて念仏を唱え続けていることを
なんとか視覚的に表そうとした康勝が、考え出した結果にすぎないのではないだろうか。
私が宝物館を見ている間、夕刻に執り行われる「空也踊躍念仏厳修」を見るため
Mさん御夫妻は本堂の最前列に陣取っていた。
民俗学者の御夫妻とあれば、そういう時を狙って行くのだから
私ひとりでは到底出来ない、またとない良い経験であった。
16時過ぎ、僧達が内陣に入場すると、法話と念仏の練習の後、厳修が始まった。
「モーダナンマイトー!モーダナンマイトー!」
鎌倉幕府の念仏弾圧から逃れるために、南無阿弥陀仏を言い換えたことばを唱え
首から提げた鉦を叩きながらながら、僧達がグルグルと内陣を回る。
途中、僧達はぱたりと念仏をやめて、内陣から逃げていく。
これは、念仏弾圧の際に幕府の追っ手から逃げた様子を再現しているものと思われる。
再び内陣に戻った僧達と共に、本堂にいる我々も大きな声で念仏を唱える。
「モーダナンマイトー!
 モーダナンマイトー!
 モーダナンマイトー!」

今、自分の置かれている状況では考えられないが
末法の世にあって大勢が一斉に念仏を唱える様は、一種の恍惚状態なのではないだろうか。
さらに空也は、こんな歌も遺している。

  ひとたびも 南無阿弥陀仏といふ人の はちすの上に のぼらぬはなし (拾遺抄)

この考えが、後の浄土教から派生する鎌倉新仏教に多大なる影響を与えることになる。
恐るべし、空也。

略図及び空也写真は、各寺院のパンフレットから転載しました。



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