ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

天野山金剛寺 ~金堂落慶記念 新国宝三尊特別拝観~

2018-04-21 23:50:57 | 仏教彫刻探訪

奈良国立博物館におわしたそのお方は、圧倒的な大きさと眼力で私を魅了した。

それがこちらの天野山金剛寺の降三世明王である。
降三世明王は本尊の大日如来の右脇侍として
左脇侍の不動明王とともに、三尊全てが新たに国宝に指定された。
展示室での存在感は他の仏像の追随を許さず、視線は見る者を捉えて離さない。
いつかはこの方と、本来のお住まいでお目にかかりたいと願っていたが
やっとその日がやって来た。
3月28日(水)から4月18日(水)までの約3週間
金堂落慶記念として、国宝に指定された三尊の特別拝観が行われるとの情報を得た。
当日は、何を勘違いしたのか、家を出る時刻に目覚まし時計を設定し
目が覚めたのが設定時刻の10分前というハプニングを乗り越え
やって来ました天野山金剛寺。

河内長野駅から天野山バス停まで、平日は1時間に1本しかないバスで約20分かかる。
境内に入って最初に出迎えてくれたのがこちらの銅像だった。

昨年のサクラは寒さのせいで開花が遅れ、ちょうど今回と同じ時期に奈良を訪れた際には
こんなにどんぴしゃでサクラの満開と重なることは滅多にない、と感無量の旅を経験した。
今年は早く暖かくなり、サクラも終わりだと思って来たが、まだヤエザクラは美しく咲いていた。


川が流れ、ヤエザクラの並木がある参道を進むと、左手に立派な楼門が聳えている。

拳を振り上げて守護するのは、金剛力士ではなく持国天。

もう一方の増長天とともに、鎌倉時代のもの。

広い境内に足を踏み入れると、平成の大修理を終え、きらびやかに輝く金堂が聳えている。
まずは金堂で大日如来と降三世明王・不動明王を参拝。

あ、あ、あれ~
こんなに小さかった

正直な気持ちを言えば、金堂の須弥壇におわす三尊は、とても小さく見えた。
あの、奈良国立博物館で見上げた降三世明王の巨大さが、微塵も感じられなかったのだ。
おそらく、金堂の空間自体が広々としていることや、降三世明王より大日如来の方が大きいこと
奈良国立博物館ではほぼ真下から見上げるような視線で参拝したのに対し
金堂内の外陣からの参拝だと視線の角度が小さくなり
仏様がより遠くに感じることなどが影響しているのだろう。
そうだとしても、三尊の崇高さは金堂の空間を支配し、ただならぬ雰囲気を漂わせている。
このような恵まれた機会に立ち合えたことを、ありがたく思う。

平成の大修理は、金堂のみならず、こちらの多宝塔でも行われた。

本堂から高台に登ると、宝珠をいただいた檜皮葺の諸堂の屋根が美しい。

こちらは開山堂。
開山は行基と伝えられ、平安時代に空海が修行した地でもあるといわれている。
私が面白いと思ったのは、金剛寺は後白河天皇と八条女院の篤い帰依と庇護のもと
阿観上人が伽藍を再興、後に八条女院の祈願所となったこと。
八条女院は、当時全国に二百数十箇所に及ぶ膨大な数の荘園を支配していたことで有名である。
金剛寺は、再興当時から空海を祀り、女性が参拝できたことや
八条女院の侍女が阿観上人の弟子となり、二代続けて院主(=住職)となったことから
「女人高野」と呼ばれるようにもなったそうだ。


こちらの鐘楼は南北朝時代の建物で、やはり修理されて生まれ変わった。

金堂・多宝塔・鐘楼と、平成の大修理できらびやかに生まれ変わった建物に囲まれ
広い境内に古色を湛えた佇まいの建物が、こちらの食堂(天野殿)である。
南朝の後村上天皇が、一時(1354~59)政庁として用いていた。


楼門を出て左手、川沿いに進み、少し離れた場所に金剛寺の庭園がある。
面白いのは、先ほどは南朝の政庁があったこの地が、北朝の行在所でもあったのだ。
北朝の行在所はがあったのは本坊の観蔵院で、内部も拝観できる。

こちらが、北朝の光厳院、光明院、崇光院が御座所とした間である。
私は南北朝時代に興味がないのであまりよく知らないが
北朝の三院に関しては、どうやらここに幽閉されていたようだ。


金剛寺での滞在は約1時間20分。
仏様をゆっくり参拝できて大満足
バスで河内長野駅に戻り、この日の宿泊地である奈良を目指そう。


仏像の写真は、寺院パンフレットから転載しました



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