ウィトゲンシュタイン的日々

日常生活での出来事、登山・本などについての雑感。

天野祐吉『成長から成熟へ――さよなら経済大国』

2014-01-18 20:03:01 | 

昨年10月にお亡くなりになった天野祐吉(以下、天野さん)は、大変洒脱味のある方だった。
朝日新聞の『CM天気図』や、本ブログでも紹介した「天野祐吉のあんころじい」でも
洒落っ気と風刺の効いた文章を繰り出していた。
ここで御紹介する『成長から成熟へ  さよなら経済大国』は、天野さんの没後に出版されたが
おそらく御本人は、遺書のような形で出版されることになると、思ってもみなかったのではないだろうか。
天野さんは、「広告」という窓から見た視点から、大量消費社会という世の中の歪みを紐解いていく。


冷静に考えれば、継続した右肩上がりの成長など、あるわけはないのだ。
あるわけないものを持続させなければ成り立たない社会、それが大量消費社会だ。
大量に消費させるために、製品が一定の期間で壊れるように作られる「計画的廃品化」が横行し
さらに財布の紐を緩めさせるために、欲望が「計画的廃品化」の対象となる。

ぼくらが住んでいるこの大量消費社会と表裏一体というか、
大量消費社会を一ヵ所に圧縮したのが都市化社会というものじゃないかと思います。

と、天野さんが言及したが、都市化とは近代化であり、近代化とは単一化・均一化することだ。
少し前、鳥取になかったス○ー○ックス・コーヒー出店!?などといって
手放しで歓迎している人がニュースで放送されていたが
それは、とりもなおさず地方都市までもが単一化の波に飲み込まれ、地方色を失い
ひいては日本中どこの都市に行っても、駅前にはス○ー○ックス・コーヒーとマク○ナル○と
コンビニエンスストアとパチンコ屋が並ぶ、結局のっぺらぼうな街になることを意味する。
昨今かまびすしい「グローバル化」などというものは、地球という船に乗る地球人が
地域間紛争や貧困に地球人として立ち向かい、解決していこうとするものではなく
地球を一つの市場として単一化・均一化しようとしているだけだ。
体裁よく見えるように、みんなをだましやすいように「グローバル化」などと言い換えて
世界をのっぺらぼうにしていく。
結局、「同じ」という意識は、巨大化・暴力化につながるのである。


天野さんは、東日本大震災を受けて、「脱成長」・「成熟社会」への引っ越しを勧めている。
それは平たく言ってしまえば「生活大国」・「貧乏暇あり国」への引っ越しであり
天野さん言うところの「別品」の国へと進む道だ。
東日本大震災後の日本のあり方について、いらだちを感じているのだろう。
次のように「おわりに」に書いている。

 が、3.11を契機とするこの国の再生はまだ遅々として進まない。それは災害地の復旧だけではありません。日本そのものの再生も、うやむやになっている。それどころか、今の政権は、3.11以後の日本の再生ではなく、3.11以前の日本を再生しようとしているように思えます。
 政治家の人たちも、憲法をいじったり原発の再稼働を図ったりするヒマがあったら、経済大国や軍事大国は米さんや中さんにまかせて、新しい日本の国づくりに取り組んでほしいものです。
(中略)
 別品。
 いいなあ。経済力にせよ軍事力にせよ、日本は一位とか二位とかを争う野暮な国じゃなくていい。「別品」の国でありたいと思うのです。

ねじれ国会だの、決められない政治だなんだとの散々騒いでいたメディア。
かんたんに民主党に見切りをつけて、今の政権を誕生させた有権者。
特定機密保護法など、スパッと決まって、メディアも有権者もこれでホッとしたことだろう。
などと、皮肉を言ってみたが、こらえ性のない我々が自民党に政権をとらせた時点で
何を言おうと後の祭りなのである。
特定機密保護法について、メディアも有権者も騒いだが
騒いでいる人たちの投票行動を知りたいものだ。
天野さんが、原発に関しての議論をする時には
電力会社から何らかの資金提供を受けたことがある人とない人を
赤・白の鉢巻きで区別してから意見を言うようにしたらどうかと提案していたが
特定機密保護法にせよ、改憲案にせよ、集団的自衛権の問題にせよ
自民党に投票したかしないかを明確にしてから、意見を言ってもらいたいものだ。
日本においては、既に社会はかなり成熟してきていると、私は考えている。
足りないのは、人間の成熟である。

かなり古い本なので、タイムマシンに乗って、「過去に想像した未来」を振り返るような感覚になるが
こちらの本も「成熟社会」に関して論じているので、紹介しておきたい。
白幡洋三郎監修・サントリー不易流行研究所編『大人にならずに成熟する法』(中央公論社)



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