今日は陰暦10月12日にあたります。
歳時記を紐解いてみると,陰暦10月12日は俳聖松尾芭蕉の忌日であるとのこと。
日本中を旅して歩いた芭蕉は,あるとき食べ物にあたって発病。
元禄7年(1694年)のこの日,大阪の花屋仁左右衛門方で病没。享年51歳とのことでした。
芭蕉の亡骸は,以前,義仲の足跡を辿る9でもお話ししましたが,大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)に葬られました。
上の写真は,義仲寺境内の芭蕉翁のお墓です。
どういうわけか木曽義仲の生き様をこよなく愛した芭蕉は,死後も義仲ゆかりのこの地での永眠を希望し,現在も義仲の墓のすぐ隣で眠っています
義仲寺については,本ブログの義仲シリーズで何度か取り上げさせていただきましたが,規模的にはほんとに小庵,小庭のこぢんまりとしたところですが,いろいろな意味で想いを馳せることのできる,ワタシ的にお気に入りのスポットです。
私が義仲寺を訪れた際,上の写真の楽書帖がありました。
当地を訪れた人たちが,その日の思い出を書き残していくこの手の帳面。
こういうものが現地にあって,「よし,なんか僕も書いていこう!」と思っても,いざ書こうと思うと何を書いていいか悩んだ経験ってありませんか?
私も,書きたいことが定まらず,2,3行ほどわけがわからないことを書いて帰ったような気がしました…
私が訪れたのは,お寺も閉まる少し前の夕方4時くらいだったと思うので,この日に楽書帖を書いたのは,おそらく私が最後である可能性が高いです(私以外,他に客がいたようには見えませんでしたし…)。
というわけで,この楽書帖で平成17年9月11日の最後あたりに書いてあるのは私のものだと思いますので,もしも今後,義仲寺を訪れる方がいらっしゃいましたら,文章になっていない私の感想を見て笑ってやって下さい
(もちろん署名は「ぴえる」ではありません!)
<今日の一句>
芭蕉忌やはるか義仲寺懐かしみ ぴえる
木曽義仲と芭蕉が繋がってるなんて、何だかおもしろいですよね。
義仲寺、そんなに遠くないのにまだ行ったことがないんです。
ぴえるさんのブログを読ませていただいて、
やっぱり行かなきゃ、って思いました。
ここでは義仲と芭蕉がリンク,滝口寺では滝口入道となぜか新田義貞がリンク…など,摩訶不思議なリンクがあるところが史跡のおもしろいところでもありますね!
秋の義仲寺はどんな感じか,私も行ってみたいですね